花の枯れないその場所は

 夢を見る。それは懐かしく、とても幸せで、そして残酷な夢。私がまだ、暗夜王国の王女であった頃の思い出を夢に見る。それはもう遠い過去で、戻ることなんて叶わない。ここのところは眠ればいつもその夢に溺れている。そう、たった今も。まだ随分早い時間なのに、目が覚めてしまった。どうしよう、と寝返りを打ったところで、私を呼ぶ声がした。 
「お母様……?」
 舌っ足らずな声だった。隣で眠っていたフォレオが眠たそうな目をこちらへ向けている。
「ああ、起こしてしまいましたか。ごめんなさい、フォレオ」
 フォレオは私の息子。もうひとりの息子であるカンナは、兄の隣ですやすやと眠っている。そして、彼らの父親であるレオンさんもまた眠りに落ちている。カンナの隣で。
「いいえ、僕もただ、ちょっと早く目が覚めてしまっただけです」
「そうですか。私と同じですね」
 ふふ、と小さく笑って見せれば、彼も微笑んだ。お母様とお揃いです、と言う彼はどこか嬉しそうだ。 
 戦争が終わって、一年ほど経ってからのことだった。暗夜王となったレオンさんが私に愛の告白をしたのは。私はずっと彼のことを好いていたし、彼の一番になることを昔から何度も思い描いてきた。けれど私は暗夜を離れた身。私があの日、白夜平原でマークス兄さんの手を取っていたのなら、今とは違う未来があっただろう。しかし現実はそれと大きくかけ離れている。マークス兄さんを、エリーゼさんを喪って、暗夜王国は揺らいだ。レオンさんが即位してからは復興もだいぶ進んでいるけれど、傷が全部癒えたわけではない。そんな傷だらけの暗夜に私は戻ってきた。暗夜王妃として。裏切っておきながら今更、と冷たく言い放つ者も少なからずいたけれど、それでも私は全部を受け止めて、レオンさんと一緒になることを選んだ。年月(としつき)を重ねて、フォレオとカンナという大切な家族も増えた。
「あの、お母様。少しお話をしてもいいですか」
「ええ、構いませんよ。でも、ここではレオンさんとカンナを起こしてしまうかもしれませんね」
 別室でお話をしましょう、と私が言うとフォレオは大きく頷いた。ベッドから抜け出て、一枚上着を羽織る。フォレオにもガウンを羽織らせ、私は息子のまだ小さな手を握った。あまり音をたてないように注意しながら扉を開け、廊下に出る。季節は春とはいえ、まだ結構冷える。冷たい空気が私たちを包み込んだ。別室といっても、どこへいけばいいのだろう。クラーケンシュタイン城はあまりに広い為、逆にどこがベストなのかが分からない。顔にそれが出ていたのだろうか、フォレオが口を開いた。
「お母様。僕、温室に行きたいです」
「温室?」
「はい。この間、カンナとお花を植えたんです! お母様にもお見せしたいなって思ったんですけど」
 どうでしょうか、と続けるフォレオに私は「じゃあ温室に行きましょう」と言って手を差し伸べる。彼は嬉しそうな顔をして、私の手に自分のものを絡めた。子どもだからか、その手は私よりずっと温かい。この手を汚すような、未来は要らない。血にまみれて、憎しみと悲しみがすべてを包み込むような、そんな未来は在ってはならない。戦争はもう二度と起きてはならない。そう改めて思う。心身を引き裂かれるような思いを、フォレオやカンナに味わわせたくない。暗夜王国はきっと変わる。レオンさんの導きで。

 温室に辿り着くと、フォレオが一目散に走り出す。走らなくてもお花は逃げませんよ、とでも言おうと思ったが、彼がとても楽しそうで、同時に嬉しそうなので喉に押し込めて、彼の背を追う。
「これがカンナと植えたお花です」
 フォレオが指さしたのは、白い薔薇。大輪の花が胸を張って咲いている。香りも強い品種なのだろうか、甘く上品な香りが漂ってきて私は目を細めた。
「綺麗ですね。とても。このお花はどうしたのですか?」
「ええと、その……お父様にいただきました」
「レオンさんに?」
「はい。僕がお花を育ててみたい、って言ったら、分けてくださったんです」
 意外だったので問えば、彼の口からはそんな言葉が溢れ出た。レオンさんの父親らしい一面が感じられて、胸にあたたかいものが満ちるのを感じる。白い薔薇。見ていると何かが懐かしい。記憶をゆっくりと辿ると、程なくしてひとつの答えに辿り着く。そう、これは――私が北の城塞で生活を送っていた頃、レオンさんが誕生日にくれたものと同じだ。この大きさと香りだから、間違いない。あの時は花瓶に生けてしばらくそれを楽しんだ。エリーゼさんが遊びに来た時に「きれいだね!」と声を弾ませていたことも思い出せる。
「なら、大切にしましょうね、フォレオ」
「はい! 僕とカンナでちゃんと育てます!」
 大きく答えるフォレオの頭を何度か撫でる。その間も、薔薇は微笑み続けていた。
 
 ◆
 
「カムイもフォレオも、珍しく随分と早起きだね?」
 温室から部屋に戻ると、レオンさんは目を覚ましていて、そんな言葉とともに私たちを出迎えてくれた。カンナはまだベッドで眠っているようだ。
「ちょっと早く起きてしまっただけですよ。ね、フォレオ」
「はい。あっ、おはようございます、お父様!」
 律儀に挨拶をする息子に、父であるところのレオンさんも同じ挨拶を返す。もう少ししたらカンナを起こして朝食だ。それまでまだ少し時間がある。どうしようか、と考えているとレオンさんが私を呼んだ。手招きをしている。
「何でしょう?」
「少し話でもしようかと思って」
「まあ。それは構いませんけれど、ここでですか?」
 私が問いかけると、彼は小さく考え込んだ。フォレオの前では話しにくいことなのだろうか。私が考え出した直後、レオンさんはその息子に声をかける。
「――フォレオ。ここでカンナが起きるまで待っていてくれるかな」
「はい。勿論です」
「ありがとう。カムイ、ちょっと来て」
 手を差し伸ばすレオンさん。私はその手を取り、扉の向こうへ彼と一緒に歩みを進める。廊下の空気はやはりまだ冷たい。それでも彼は私の手を握ってくれている。だから寒くはない。レオンさんのぬくもりがあるから。
「ねえ、カムイ」
「はい?」
「今日も……夢見は良くなかったの?」
 レオンさんは小さな声で問う。私は嘘偽り無く答える。ええ、と。
「そっか……」
「でも、夢は夢ですよ。今の私はとても幸せなんです。レオンさんがいて、フォレオとカンナがいて。これまでよりずっと幸せだなって思っています」
 私は言った。今の気持ちをそのまま。レオンさんはじっと私を見る。血を思わせるような色の瞳が、どこか寂しそうに揺れていた。
「僕も、勿論そうだけど……カムイ。辛いことがあったら、なんでも僕に言ってよ。僕は君の力になりたい。今はこうやって、一緒に生きている訳だし」
 ね、と同意を求めるレオンさんに、私は「ええ」と答える。マークス兄さんやエリーゼさん。そして前王ガロン。彼は多くを喪って、その原因が私にあるという、複雑な過去を私たちは抱えている。憎しみは溶け消えたといつだったかレオンさんは言った。けれど、きっと悲しみは消えていない。私もそうなのだ、自分の選択の結果で大切な家族を喪ってしまった、その悲しみは。
「……レオンさん、よかったら温室に行きませんか」
 私は提案した。悲しみを振り払う為に。彼もすぐに頷く。それはいいね、と返してくれる。手をふたたびぎゅっと握って、私たちはあの真っ白い薔薇のもとへ向かう。レオンさんがフォレオとカンナに分け与えたという、あの花のもとに。純白のそれは、私たちのことをきっと待っている。闇夜に浮かぶ月の如く、私たちの心を照らしてくれるだろう。私はそう思い、彼と共に歩んでいくのだった。

2019-02-26
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