雪あかりのあなた


 王城クラーケンシュタインから北に位置する、古びた城。正式な名前も特に無く、単に「北の城塞」と呼ばれるこの城の主は、暗夜王国第二王女カムイである。
 カムイは自由を知らない。籠の鳥だ。彼女は物心付いた頃から、この小さな城でひっそりとした生活を送っている。バルコニーに出て、遥か遠くに見える王都の灯りを見ること。それがカムイの数少ない楽しみのひとつだ。
 それ以上の楽しみがたったひとつだけ存在する。それは、半分だけ血の繋がったきょうだいたちの来訪だ。強く気高く、それでいて目標の兄マークス。美しく魅力的で憧れでもある姉カミラ。博学で、素直になれない一面を持ちつつも心根は優しい弟レオン。それから無邪気で可憐な妹のエリーゼ。彼らは、時間を作ってはこの城に来てくれる。
 しかし、ここのところ、マークスやカミラの足は遠退きがちだ。お父様からの命令もあってすごく忙しいんだと思うよ、とエリーゼが少し前に言っていた。その隣で、やはりやや久々の訪問となっていたレオンが、小さく頷いていたのをよく覚えている。カムイからすれば、もっと兄や姉にも会いたい。だがそれは、我儘に過ぎない。隣国である白夜王国との関係も緊張状態にある中、そういったことを願うのは身勝手なことにしかならない。だからカムイはその時、苦々しい気持ちを隠して微笑むことしか出来なかった。
「――カムイ様」
 物思いに耽っていた彼女に、聞き慣れた声が届く。無意識に俯いていた顔を上げ、声の主を探せばそこにいたのは臣下のひとり、フローラだった。氷の部族出身の彼女と、その双子の妹フェリシアは、専属のメイドとしてカムイの身の回りの世話をしてくれている。
「お茶をお持ちしました」
「まあ、ありがとうございます。フローラさん」
 花のように柔らかく穏やかに笑む彼女は、慣れた手付きでテーブルにティーセットを並べていく。芳しい紅茶の香りが鼻孔を擽る。
「もう、今年も終わりですね」
 フローラはどこか感慨深そうに言った。一年はあっという間に過ぎていく。そうですね、とカムイも相槌を打った。
 闇に覆われたこの国も、あと数日で新年を迎える。白夜王国との対立は深まるばかりで、開戦も目前なのではないか、と囁かれている。細やかな星明かりが寄り添う常闇の国である暗夜王国と、光と豊穣の大地に恵まれた白夜王国。カムイは平和が続けばいい、と強く願っているし、きょうだいたちだってきっとそうだ。しかし、そう、綺麗な話のようにはいかないのだろう。きな臭ささは消えない。寧ろ、強まっていく一方だと、老騎士ギュンターも嘆くように言っていた。
「そういえば、カムイ様。フェリシアから聞いているかと思いますが――年明けにはレオン様とエリーゼ様がこちらへ来られるのですよね」
 楽しみですね、とフローラは言った。だが、これはカムイからすると初耳で、思わず目が丸くなる。そうなのですか、と無意識に漏らす姫君に、フローラが「えっ」と驚き顔になったかと思うと、深い溜め息を吐く。また、あの子は……と呆れ顔になった彼女へ、カムイはくすくすと笑う。楽しみがひとつ増えました、と。
「……エリーゼさんは少し前にも来てくださいましたが、レオンさんにお会い出来るのは――結構久し振りになってしまいますね。美味しい紅茶と……それから、そう……ですね、焼き菓子の用意は出来ますか?」
「はい、それはもちろんです、カムイ様。私にお任せください」
「ふふっ、ありがとうございます。……あと数日で、会えるのですね――」
 カムイはティーカップを手に取り、それを口元へと運ぶ。熱い紅茶は、気付かぬうちに冷えていた身体を温めてくれる。城塞の外は、今日も変わらず何色にも染まらぬ雪が舞い、冷たい風が吹き付けていることだろう。カムイは指折り待つことになる――新しい年の訪れと、大好きなきょうだいに会えるその日を。

 ◇

「カムイおねえちゃーん! 会いたかったよ!」
「久し振りだね、カムイ姉さん」
 待ち侘びた瞬間だった。花弁のように雪の降る中、弟と妹はそれぞれの愛馬に跨って、カムイの目の前へ現れた。吐き出す息は大地と同じように真っ白で、極寒の中、馬を走らせてきたふたりの頭や肩もその色が乗っている。
「ええ、お久し振りです、エリーゼさん。レオンさん」
「外は寒いだろ? 中で待っていて良かったのに」
「いえ、少しでも早く、おふたりに会いたくて……」
 実はジョーカーさんにもそれと同じことを言われたのですけど、とカムイは苦笑した。
「そ、そう? ……あ、そういえば新年の挨拶がまだだったね」
 おめでとう、良い年になると良いね、とレオンは言った。それにエリーゼも同様の言葉を連ね、カムイも同じように頷いた。
「ここは寒いから、そろそろ中に入りましょうか。おふたりの為に、紅茶とお菓子を用意してもらっているんです。お菓子はこの前、エリーゼさんが『美味しい』って仰っていたものを、またジョーカーさんが作っていただいたものなんです!」
「え〜! そうなの? えへへ、嬉しいなあ。あたし、とっても楽しみ!」
 その場でぴょんぴょんとエリーゼが飛び跳ねる。足元の雪が舞い上がり、トレードマークと言える縦に巻かれた金色のツインテールが揺れる。
「……エリーゼ」
 大はしゃぎの妹に、レオンが呆れたように肩を落としながら溜め息を吐く。仲の良いやり取りが見られ、カムイは嬉しくなる。いつまでだって、ふたりと一緒にいたい。もっと望むのであれば、マークスとカミラにも。しかし、それは叶わぬ夢だ。父王ガロンが、カムイのことを、この幾重にも結界が施された北の城塞に留め置く以上は、絶対に実ることの無い願いなのだ。
「……では、行きましょうか」
 カムイは微笑んだ。寂しさや無力さを、その笑顔で覆い隠して。

 ◇

 熱い紅茶と作りたての焼き菓子、それから、なんてことのない会話をきょうだいたちは楽しんだ。はしゃぎ疲れてしまったのか、エリーゼはソファに座ったまま、深い眠りに落ちてしまった。レオンはそんな妹を見て「相変わらずだな」と漏らしていたが、そこにあるのは優しい兄の顔だった。
「……あの、レオンさん」
「何?」
「今日は――泊まっていってくださいますか?」
「え? あ、そうだね……そのつもりだよ。せっかく新しい一年を迎えたばかりなんだ。姉さんもその方が嬉しいだろう?」
 この城は古くて小さい。とはいえ、それでも王女の居城だ。充分な部屋数があり、きょうだいたちにはひとつずつそれが用意されている。勿論、レオンの部屋もあり、そこには多くの書籍が並べられている。カムイが読めば、頭痛がしてきそうな内容の本も少なくない。
「ふふ、ありがとうございます。やっぱり、レオンさんは優しいですね」
 穢れを知らないカムイの眩い笑顔。それを見て、レオンもつられるように頬を緩めた。ぱちぱちと暖炉の薪が爆ぜている。時がゆっくりと刻まれていく。いつまでも――こうしていたい。先程カムイが願ったのと同じ願いが、レオンの心の中で何度も反響している。
「……ちょっとバルコニーに出ませんか?」 
「え? 寒いのに、どうしてそんな――」
 疑問を膨らませたが、レオンは最後まで言わなかった。彼女の細やかな願いを叶えてやりたかった。姉がなにをしたいのか、全く分からないままだったけれど。弟が腰を上げると、彼女は嬉しそうに立ち上がった。そのままふたりで窓を開けて、外に出る。
「――」
 雪は止んでいた。しかし、外気が冷たいのは相変わらずだ。木々も大地も白に染まっている。淡い雪あかりの中、遠く見える王都の光。
「私はいつも、ここで皆さんのことを思うんです」
 カムイの静かな声は、切なかった。
「いつか私も、お父様に許されて――ここを出て、クラーケンシュタインでレオンさんたちと一緒に暮らしたい、そう星に願う夜も、しょっちゅうあるんです」
 でも、と彼女は言葉を切った。
「私には、なんの力もありません。マークス兄さんのように剣が振るえるわけでもなければ、カミラ姉さんみたいに魅力的な女性でもない……。エリーゼさんのような天真爛漫さもないですし……レオンさんみたいに、何でも知っているわけでもない……。それでも、いつか、って思うんです」
「それは違うよ、カムイ姉さん」
「えっ」
 カムイは目を大きくした。その赤い瞳に、やはり赤い瞳の弟の姿のみが映し出される。
「カムイ姉さんには、僕らの持っていないものがたくさんある。だからこそ、兄さんたちもカムイ姉さんのところに来て、幸せな気持ちになれるんだよ?」
 彼はそう言って、カムイのことをぎゅっと抱きしめた。気付けば自分より大きくなっていた彼の手が、その背中をあまりにも優しく撫でている。
「大丈夫だよ、カムイ姉さんならきっと――いつか、ここから旅立てる」
 外の世界に出ても、僕は姉さんのことを支えるよ。いつまでだって。そう、ここで約束するよ――そんな、彼の綴る言葉のすべてが、カムイの心を大きく揺さぶる。
「……ありがとうございます、レオンさん」
 大切な存在の腕の中で、カムイは喜びと幸福を知る。この上ないそれは、すべての雪を溶かしてくれるのでは、と思うほどに温かい。
「今年もきっと、良い一年になると思います。あなたがこうして、私に光をくれたから」
 カムイの台詞に、レオンは再び背を撫でてくれる。時が許される限り、そうするふたりの頭上から、また雪が舞い始める。その色は、カムイの知っているどのようなものよりも、ずっとずっと、清らかなものだった。
2024/03/08
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