Sylvain * Mercedes

「レイニーブルーの花束を」

 引っ切り無しに強い雨が降っている。ガルグ=マク大修道院に併設されていた、士官学校では「青獅子の学級」に所属し、いま現在はファーガス神聖王国軍の一員として、戦場に立つ青年――シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエは深い息を吐き出した。今日は、大切な約束の日だったのに、こんな雨に降られてしまうだなんて。続く雨音はまるで、嘲笑っているかのよう。
 遥か遠い古の時代から、慈悲深き女神に見守られた大地、フォドラ。ある時を境に、長く続いた平穏というものは呆気なく崩壊して、現在は戦乱の真っ只中にある。祖国の為に、そして、自分たちが信じる未来の為に、シルヴァンは熾烈な戦いに身を投じている。かつて、同じ学級で、同じ師のもと、様々なことを学んだ友人たちと共に。
 アドラステア帝国軍との戦いの終わりは、今のところ、全く見えていない。戦争を引き起こした女帝エーデルガルトにも、考えがあるのは分かる。それが、ファーガスのディミトリが持つ考えと交わらなかっただけであって、戦争に於ける正義というものは、視点によって大きく変わってしまうものだ。だからと言って、彼らは足を止める訳にはいかないし、振り返ることも許されない。この争いによって失われていった、数え切れないほどの命の為にも。
 自室から出て、彼が向かったのは温室だった。時間としては、食堂が朝食を摂る者たちで賑わう、そんな頃だった。ふわりと漂ってくるのは、焼き立てのパンの香り。空腹ではない、と言えばちょっとした嘘になってしまうが、シルヴァンの足が食堂へ向けられることはなかった。
 そんな温室には先客が居た。見知った背中に、シルヴァンの喉と心が震える。
「――メルセデス……!」
 メルセデスと呼ばれた女性は、榛色の髪を揺らしながら振り返る。春の野で咲く菫に似た色をした瞳は、驚きで見開かれて、彼女もまた彼の名前を無意識に呼びかけた。メルセデス=フォン=マルトリッツ。彼女も、シルヴァンと同じで「青獅子の学級」に所属していた人物であり、優しさと強さを兼ね備えた、聡明な女性でもある。彼女は、この場所に足を運んで、花々を愛でていたところなのだろう。
「まあ、シルヴァン。おはよう〜。あなたがここに来るなんて、なんだかちょっと、珍しい気がするわね〜?」
「ああ、そうかもしれないな。俺は――何となく来ただけなんだ」
 でも、もしかしたら、君に会う為だったのかもな、と続ければ、彼女は擽ったそうに笑った。それこそこの温室で、可憐に咲いている花のよう。
「……それにしても、今日は生憎のお天気になってしまったわね」
 彼女の表情が若干曇ったのを、シルヴァンは見逃さなかった。そう、彼が約束を交わした人物は、彼の目の前に居る、メルセデスなのだ。前々から決めていたのだ、次の休日は一緒に出かけよう、と。戦時下ではあるが、ガルグ=マクは一定の秩序を保っている。それに、彼らの師も言っていた。たまには羽を伸ばすことも、必要なのだと。武器を手に戦う者にも、心身の休息は必須なものであると。
「もし、あれだったら、出かけるのはまた今度にするかい?」
 恐らく、この雨はすぐに止まないだろう。寧ろ、時間が経てば経つほどに、激しさを増しているようにも思える。彼女との時間が延期されるのは、正直なことを言えば、非常に残念なことである。指折り数えて待った日なのだから。そしてそれは、メルセデスの方も同じだったらしい。
「……そうね〜。でも……あなたさえ良ければ、今日は一緒に過ごしたいわ。お出かけが出来なくても、お部屋で紅茶を楽しみながら、お喋りくらいは出来るわよね〜?」
 その言葉に込められた意味を、シルヴァンはすぐに理解した。彼女は、自分との時間を望んでいるのだと。彼がそうであるのと、同じで。ああ、確かに君の言う通りだな、とシルヴァンは返答した。過ごす場所が何処であっても、彼女が居れば、ただそれだけで幸せなのだ、と。ふたりは笑い合う。でも、まずはご飯よね、とメルセデスが言って、彼は彼女と食堂へ移ることにした。
 温室から食堂は、それほど離れていない。幾つかの会話を交わしつつ、彼らは目的地へ到着する。意図せず混雑時を避ける結果となった為、普段より人の数は少なかった。普段通り、係の者から食事を受け取ると、これまたいつもと変わらない位置の席につく。
 周囲を見回しても、ディミトリやアネットなどの姿を見つけることは出来ない。彼らはとっくに食事を終えて、この場を離れたのだろう。今日は皆に自由な時間が与えられているから、それぞれが望むように、この一日を過ごすのだろう。ゆっくりと心身を休めるもよし、読書に没頭するのもよし。訓練場で汗を流すのもありだろう。
 メルセデスは女神への祈りを捧げてから、食事を開始する。敬虔なセイロス教の信徒である彼女にとって、こういった祈りは、欠かすことの無い、大切なものなのだ。
 食事を終えてから、幾つかの用事を済ませる必要があった為、シルヴァンとメルセデスは一時的に解散した。数時間後に、ふたりはメルセデスの部屋で再会することを約束する。そわそわと心が騒ぐのを揃って認めながら、彼も彼女もその瞬間の訪れを待つのだった。

 ◇ ◇ ◇

 雨の音を聞きながら部屋を片付けて、慣れた様子で茶会の準備をする。それを終えてしまえば、あとは彼がここへ来るのを待つだけ。椅子に座る。メルセデスは、そわそわと胸が騒ぎ出すのを認め、心の中で彼の名前を呼ぶ。シルヴァン。その名を三度ほど繰り返した時だ、扉が数回ノックされたのは。はい、と応じるとゆっくりそれが開かれて、赤髪の青年の笑顔が、彼女の目に映る。いらっしゃい、と笑むメルセデスに、シルヴァンも穏やかな笑顔を見せてくれる。
「待っていたわ〜、シルヴァン。そこの椅子に座って頂戴?」
「ああ、ありがとう。……でも、その前に、いいかい?」
 彼はあるものをメルセデスの方にずっと差し出した。えっ、と驚きの声を漏らすメルセデス。
「もし、迷惑にならなかったら、……受け取って欲しい」
 それは、青い花束だった。数輪を束ねているリボンは、花弁よりもずっと濃い青色。これが何という名を持つ花なのか、メルセデスには分からない。だが、とても綺麗で、可憐で、ひたむきで。迷惑になんて、なる訳がない。
「君に、なにか贈り物がしたくて、さ」
 照れくさそうにシルヴァンは頭を掻く。どこかで、何かしらのタイミングで、これを彼は入手して、持ってきてくれたのだ。花というものは、前々からずっと好きだ。けれど、こんなに心が満ちるのは、きっと――他でもない彼がくれたものだから。メルセデスは胸がいっぱいになる。
「……ありがとう、シルヴァン。私、とっても嬉しいわ〜」
 頬を赤らめたメルセデスが、笑顔を見せる。それもまた、大輪の花のようで、つられてシルヴァンも頬を緩めた。外ではまだ、雨が降り続いているけれど、ふたりの気持ちは晴れやかで、あたたかく、優しい光に包まれているかのよう。
「俺も、君の笑顔が見られて、とても嬉しいよ」
 彼はそう言ってから、メルセデスの指し示した椅子に腰を下ろす。テーブルの上には、茶会の準備が既に出来ている。シルヴァンの為にと、彼女は魔法で温められた湯を用いて、熱い紅茶を淹れてくれた。ふわ、と漂う芳しい香りはシルヴァンの好む茶葉のもので、なんだか嬉しくなる。彼女が、自分をよく知ってくれていることが。口に含めば、深い味わいが広がる。大変に美味だった。
 そして、テーブルにあるのはそれだけではない。焼き菓子の入ったバスケットも置かれていた。シルヴァンの視線がそれへ向いたことに気付いたメルセデスが、くすりと上品に笑む。恐らくこれは、彼女が焼いた――手製の菓子なのだろう。メルセデスは菓子作りを趣味としている。今までにも、何度か分けてもらったことがあった。シルヴァンはその中のひとつに手を伸ばし、口へと運ぶ。甘さは控えめに作られているのだろう、とても優しい味だった。流石はメルセデスだと絶賛すると、彼女は頬を赤らめる。これ以上のものにはきっと巡り会えないだろうな、とシルヴァンが言葉を足せば、メルセデスは「それは言い過ぎよ」と言いながらも、嬉しそうに微笑ってくれた。
「……今日は、こんな天気だけどさ」
 紅茶をもう一口飲んでから、シルヴァンは言う。
「君と、穏やかな時間が過ごせて、こういうのも良いものだなって思えたよ。俺さ、雨ってあんまり好きなものじゃなかったけど……少し、好きになれた気がする」
「まあ。……ふふっ、実はね、シルヴァン。私もいま、あなたと同じことを思ったのよ〜」
「はは、それは気が合うな」
 ふたりは笑い合った。ここだけ切り取ると、平和そのものの光景。だが、いまもこのフォドラは、大きく揺らいでいる。いつか、こういった時間が永遠になる日が来るまで、彼らは戦い続ける。傷付き、傷付ける、そんな残酷な現実を知った。けれど、知ったのは痛みだけではない。大切な存在を守りたいと願うことも知ったのだ、シルヴァンはメルセデスのことを見、彼女もまた彼を見つめ返す。
「……また、こうしてあなたとお茶会がしたいわ。勿論、お出かけも、いつか、ね?」
 彼女の目線が、青い花束に落ち、それからまた彼へと向けられて。
「ああ、きっと……いや、必ず、な」
 新たな約束を胸に、ふたりきりの時間は刻まれていくのだった。

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