お互いのためのお互い

2023/03/27:R18

 不可解な空間だった。甘雨はぐるりと周囲を見回して、何処にも出口が無いことを悟ると、戸惑いに満ちた目を鍾離へと向ける。しかし、彼は普段とあまり変わらぬ様子だった。
「……」
 そもそも、この洞天は何なのか、というところから説明する必要がある。事の発端は遡ること数日前、旅人やその仲間と共に向かった、テイワット七国のひとつである島国――稲妻でのこと。
 旅人と鍾離と一緒に鳴神大社まで出向いた甘雨は、宮司である八重神子との再会を果たした。旅人は、彼女に用があるのだと言う。甘雨もまた、久方振りに彼女に会いたい、と望んでいた。彼女とは面識があるのだ。
 神子は、旅人たちのことを歓迎した。宮司としてだけではなく、娯楽小説を中心に取り扱う「八重堂」の編集長でもある神子。甘雨はあまり娯楽小説というものに興味は無かったのだが、自分が旅人と話をしている間は暇だろう、と彼女に言われて、何冊か受け取ってしまった。もしかしたら、この時点で間違いを犯したのかもしれない。いや、暇つぶしに俺にも一冊貸してくれないか、と言う鍾離に、一番上にあった本を渡したのが、いけなかったのかもしれない。妙な作品名だなと思いつつ、甘雨は彼にその本を軽率に手渡してしまったのだ。
 旅人と神子の話は、思っていた以上の時間を要するようだった。彼女たちも、久しぶりに顔を合わせたのだから、積もる話もあるのだろう。並んで座り、読書をしていた甘雨と鍾離は、旅人より一足先に鳴神大社を離れて、宿泊先である城下町の宿屋に戻った。本は、また今度の機会に返してくれればそれで良い、と神子に言われて。
 それから数日後。旅人は稲妻で幾つかの依頼をこなすことになったのだと、甘雨たちに告げた。どうやらその依頼数は多く、それなりに時間がかかってしまうだろうと旅人は言う。だったら、甘雨たちに休暇を与えたらどうだ、とパイモンが続けた。確かに、たまには羽根を伸ばしてもいいかもしれないな、と言う鍾離に、甘雨はぎこちなく頷く。
 稲妻の城下町を離れると言う鍾離の背を、甘雨は追いかけ――そうして入り込んだのが、この妙な洞天であった。
 入るのは容易だった。それなのに、何処を探しても出口が見当たらない。場に漂う空気も、他の洞天と異なるような気がする。加えて、甘ったるい匂いも漂っている。甘雨は恐る恐る鍾離に口を開いた。この洞天は一体何なのでしょうか、と声を絞り出す甘雨に、鍾離は薄く笑って続ける。「八重宮司に借りた本に出てきたものを再現してみた」と。それは、想定外の台詞だった。えっ、と甘雨は間の抜けた声しか出すことが出来なかった。
「……こういう機会は、今までに無かったからな」
 彼は、何を言っているのだろう。甘雨は戸惑う。つまり、この洞天は彼が拓いたものであるらしい。そこまでは何とか理解が追いついたのだが、どんな意図で、というのは一切分からない。鍾離――というより、帝君の考えることは、時折、酷く難解なように思える。周りに誰も居ないのは分かりきっているので、甘雨は「て、帝君?」と細い声を発する。
「……甘雨。俺は、お前のことを大事に想っている」
 だが、俺たちの関係は、旅人にも秘密にしているだろう、と彼は言う。ええ、と何とか頷いて見せる甘雨。鍾離と甘雨。ふたりの間に「愛」が生じたのは、恐らくはだいぶ前のことになるが――いまの関係を得たのは、それほど前ではない。彼が言うように、旅人やパイモン、他の仲間には打ち明けていない。まだ告げるべき時ではないと、そう考えたからだ。いつか、祝福の言葉をもらえるような、そんな日が来るのを望んではいるけれど。
「此処であれば、誰にも干渉されない。完全に外界とは隔離されているからな」
「え、ええと……それは一体……?」
「……この洞天から出る為には――」
 彼は彼女に耳打ちした。その方法は、ひとつしかないのだと。甘雨は、身体中が急激に熱くなるのを感じた。きっと、顔も真っ赤に染まってしまっているだろう。あの本に、一体何が書かれていたのか。ようやくそれに気付き、甘雨は自分自身のことを責めたくなった。何も考えずに本を渡してしまった、過去の自分に。それに、神子も神子だ、そんな娯楽小説を混ぜて自分たちに勧めてくるなんて。文句のひとつも言いたいところだが、もう遅い。彼は、その本を読んで、甘雨の存在すべてを求める手段として、この洞天に自分と彼女のことを「閉じ込めた」のである。
「甘雨」
「は、はい……」
「お前がそれを嫌だと言うのなら、それはそれで構わない。この洞天を、すぐに閉じよう。……俺は、お前に無理強いをしたくはないからな」
 だが、と彼は続ける。
「……お前の全てが欲しいというのは、紛れも無い事実だ」
 鍾離は普段と違う、爛々とした目をしている。甘雨はそんな彼から目を逸らさずに、ひとつ頷いた。愛する存在に、これ程まで強く求められているのだ、それが嫌だと感じてしまう訳が無い――少々、いびつな状況下ではあるが。
「……あなたが、それを望むなら――」
 どうぞ、その通りにしてください――辿々しい口調ではあったが、甘雨はこのように答えた。鍾離が満足げに「ああ」と頷く姿が見える。洞天の中を漂う甘い香りが、突如として濃くなったような気がする。もしかしてこの香りは、と気付きかけた甘雨の唇が、鍾離に奪われた。んん、と息が漏れ出て、気付きが確信へと変容していった。身体中が火照っていくのを、甘雨は認めざるを得なかった。それと同時に、彼が欲しいという気持ちも膨らんでいく。
「――何か、言いたげだな」
 鍾離は小さく笑った。甘雨が何を伝えたいのか、全部分かっているような、そんな表情に見える。甘雨は更に頬を紅潮させ、怖ず怖ずと右の手を鍾離の方へと伸ばす。甘雨の細い腕を、彼はそのまま掴んだ。
「……」
 この細腕で弓を射り、元素力を行使しているのだと思うと、鍾離は酷く不思議な気持ちになった。甘雨は半仙だ。半分だけではあるが、仙獣の――麒麟の血を持っている。その血は、甘雨というひとりの女性に多くの力や永い時間を与えたが、孤独感や、疎外感などの負の感情を抱かせる要因にもなった。だが、今の彼女はそういったものを乗り越え、鍾離の傍らに在る。そんな愛おしい存在である彼女の唇を、もう一度塞いだ。角度を変え、何度かそれを繰り返す。深い口吻に、甘雨の瞳がとろんとしたものに変わった。
「んっ……」
 そんな表情も、とても可愛らしく思える。鍾離は、甘雨以上に長い時をこの世界で紡いできた。多くを経験している。出会いも、別離も。心を震わせる出来事も、身を裂くような痛みなども、何度繰り返したか分からない。
 だが、その長い時間の中で、これ程までに心を支配した存在は、甘雨だけなのだと断言出来た。だからこそ、こんな洞天を創って、肌を重ね合おうとしているのだろう。神子から借りた本は、きっかけに過ぎない。もしあの小説を読んでいなくても、彼はどこかのタイミングで甘雨を求めただろう。こういった洞天を用意することは無かっただろうが。
 鍾離は甘雨の身に纏うものを、ひとつひとつ丁寧に脱がせていった。段々と露わになっていくのは、白い肌。それは、まるで陶磁器のように滑らかだ。恥じらう甘雨の頬は更に赤らんでいき、紫の瞳は若干潤んでいるように見えなくもない。
 欲求を抑えきれずに、胸を舐った。鍾離の舌先の感覚に、甘雨が甲高い声をあげる。何度か執拗にその部分を責め立てていけば、先端が硬度を増していくのも分かった。もう片方の膨らみを、手のひらで包むようにしながら愛撫する。更に上擦った声が彼女の口から落ちてくる。
「……甘雨」
 そんな彼女の名を、鍾離が呼ぶ。お前は此処がいいのか、と問う彼を見上げる甘雨の唇は、返答の台詞を形づくることが出来ない。覚えておこう、と低く囁かれた。
 暫く弄んだ胸から手が離れて、今度は優しく、黒い角を撫でられる。それは甘雨が麒麟の血を持つことを証明する部分だ。幼い頃の彼女は此処を撫でられるのが好きだった。記憶力の良い彼はそれをしっかりと覚えていて、このようにしたのだろう。甘雨がぎゅっと目を瞑る様子を見下ろす。この時点で、彼女は生まれたままの姿である。
「――」
 名残惜しそうに角から手が遠退く。この先にあるものは、ぜんぶ、分かっている。甘雨はぼやけた視界の中に、鍾離の姿を見つけて、無意識にその名前を呼んだ。漂う香りがぐっと強くなる。それと比例するように、身体中が熱くなっていく。要するに、そういう効果を持つものが焚かれているのだろう、この不可思議な洞天には。
「……触れるぞ」
 鍾離の指先が伸びてくる。ふたりが繋がるところへ。既に蜜を溢れさせたそこに、だ。彼に躊躇いは無かった。甘雨の身体が、声帯が、同じくらい震える。洞天に響くのは、甘い悲鳴。優しく触れられたかと思えば、彼女のそれよりずっと無骨なその指が中へを押し込められていく。ああっ、と空間を裂くかのような声が響く。いまの甘雨には、彼からもたらされるそれを、素直に感じることしか出来ない。自分の身体に彼の一部分があるのだと思うと、なにかが満たされる気がした。ずっと待っていたのかもしれない、愛する人と触れ合える瞬間を。そんなこと、あまりに恥ずかしくて、直接言葉にして伝えることは出来ないけれど。
「……そんなに、いいのか」
 彼が言う。敏感過ぎる彼女は、嬌声をあげ続ける。びくびくと身体を激しく震わせる甘雨。高いところへ至ったのを悟り、また彼女の唇を奪った。舌が絡み合ったかと思えば、離れる彼。今度は首筋に唇が強く押し当てられて、そこに印が施される。
「――てい、く……」
 何かを強請る眼差しに見えた。鍾離は理解している。それが「何」であるかを。本当は声にして伝えて欲しいところではあるが、今の彼女にそれを求めるのは些か難しいかもしれない。漂う香りは、甘雨のことをじわりと侵食し、今以上の快感を求めるようにさせているのだから。彼だって、繋がってひとつになることを、今か今かと待ち侘びている。
「いいか」
 彼の半身は充分な熱量を持っていた。甘雨が視線で応える。ふたりきりの世界。すべてから切り落とされたこの空間。求め合うふたり。互いの存在だけをその目に映して。
「……ッ!!」
 甘雨の花弁に押し当てられた熱杭。それが、ゆっくりと奥を目指して入り込む。甘雨は両腕を鍾離の方へと伸ばし、そのまま背中にそれを回して縋り付く。大丈夫なのかと問う声に、甘雨は涙目で応じる。やがてその雫は溢れ出て、ぽたりぽたりと雨粒のように落ちていく。
 互いに熱い息がこぼれた。最奥へ辿り着いたのだ、一度、鍾離が動きを止めた。ややあって腰が動き出すと、肌同士がぶつかり合う音と、粘ついた水音が響き始める。同時に甘雨の口からは更に鋭く高い声が出て、止まりそうにない。
 繰り返し押し寄せてくる快感の波は、荒波と言っても過言ではないもので、ふたりの理性を押し流してしまう。けれど――幸福だった。こんな形ではあったが、とても、とても幸せだった。愛する者を愛せたことが。鍾離は愛おしい彼女に、何度目になるか分からない口付けを落とす。甘雨という存在を貪るように責め立てる熱の塊とは対照的に、その口付けは酷く優しい。
「――!」
 甘雨が身を捩る。喘ぎながら、何かを訴えている。そう、限界というものが近いのだ。彼の半身は容赦無く彼女の中で暴れて、そんな彼女を絶頂まで導こうとしている。鍾離は彼女の名を呼びかける。甘雨の背がそれに応じるように仰け反った。あああ、と声が響く。それと殆ど同時に、鍾離の欲望は弾けた。どくどくと吐き出されていくものが、彼女の下腹部を汚すのがわかる。
 はあはあと甘雨は荒く息を吐いている。激しく震えたばかりの身体が揺れている。鍾離の大きな手のひらが右頬に伸びた。彼女が此処にいることを確認するような手付きで。
「……甘雨」
 愛する者の名を、改めて呼んだ。何処かで何かが開く音がした。それでもふたりは暫くこの場から離れない。疲れ切った甘雨の身体を鍾離がそっと起こさせると、どちらからだっただろう、唇と唇が触れ合った。そっと重なっただけの、淡い口吻。けれど、今までで一番幸福感を齎すものでもあった。

 その後、気怠げな様子の甘雨を暫く休ませてから、ふたりは揃って洞天を離れた。先程の音は出口が開かれた音だったのだろう。数日後、顔を赤く染めた様子で、例の本を返しに来た甘雨を、神子は意味深な笑みを浮かべて出迎えたのは、また別の話である。

「セッ……しないと出られない洞天の鍾甘」というフォロワーさんのネタを拝借して書いたお話です。
勢いで書いちゃったけれども、もう少しいろいろ考えてまたいつか書けたらと思いました。

title:天文学

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