銀の夢からの目覚め

 どうやら自分は長い夢を見ていたらしい――アネットはゆっくりと瞼を開くと、差し込んでくる陽光に戸惑う。窓の向こうに広がる世界には、色彩が溢れていてホッとする。自分が見ていた夢は灰色に塗りつぶされた、酷く悲しいものだったから。
 ファーガス、アドラステア、レスター。嘗てこのフォドラを形成していた三つの勢力すべてが崩壊し、セイロス聖教会の主導によって統一国家が築かれて、それなりの時間が流れた。
 アネットは戦後、共に戦場を駆け抜けた仲間のひとり――フェリクスと結ばれた。ふたりは「青獅子の学級」から「黒鷲の学級」に所属を変えたという、共通の過去を持っている。その「黒鷲の学級」の担任を務めていたのが、フォドラの新しき女王、ベレスである。
 言葉少なで、感情表現も豊かとは言えなかったベレスだが、生徒たちからは絶大な人気を誇っていた。学級を移ったのはアネットとフェリクスのふたりだけではないのだ。何人かの生徒が、アネットたちと同じように所属を変えた。その決断が、彼女たちの運命を大きく変えることになってしまったのだけれど。
 五年半にも及ぶ長い闘いの果てに、自分たちの祖国、ファーガス神聖王国は消えた。その事実は深い傷となって、今でもじんじんと痛みを訴えることがある。それに、前の大司教であるレア――「白きもの」が紋章の力を暴走させ、フォドラの脅威となったあの日のことは、きっと永遠に忘れられないだろう。ベレスも、レアの補佐であったセテスも、そんな彼の妹フレンも、皆が悲痛な表情であの闘いを乗り越えた。本当に辛い日々だった、とアネットは眉を顰める。先程まで見ていた夢も、そんな過去に紐付くものだった。胸が強く締め付けられるそれは、あれから幾度と無く見る夢。尊い命が銀色の雪のように、儚く溶けていく夢。
 大きく息を吐き出し、アネットは伸びをする。机の上には古い書物。魔道について記されたそれを読んでいるうちに、自分は寝落ちてしまっていたらしい。これは二日ほど前に書庫で見つけたものだ。分厚く、内容も難解で、表現も古めかしいものだからついつい眠気に襲われてしまった。アネットは本のページをぱらぱらと捲る。窓の向こうでは、鳥の囀りが高らかに響いていた。

 読書を再開して、約十分が経過した頃。
「アネット、ちょっと良いかな」
 数回扉がノックされて、応じるとベレスが姿を見せた。今のアネットは士官学校で教鞭を執る身。自身も多くを学んだ、このガルグ=マク大修道院で。アネットは、学生時代から勤勉で真面目だった。どんな課題にも熱心に取り組んでいたし、成績もとても優秀だった。日々努力を積み重ねていた彼女のことを、ベレスは今も高く評価している。
「あたしに何か用事ですか?」
「用事、というか。アネット宛に一通、手紙が届いたんだ」
 女王が自ら出向いてくるなんて、と思わないことも無かったが、アネットはそこを突っ込むことはせず、彼女が差し出した封筒を「ありがとうございます」と礼を言いながら受け取る。淡い水色の封筒だ、これは一体誰からの手紙なのだろう、と思いながらひっくり返せばそこには自分の名と、よく知る友人の名が小さく記されている。
「えっ、メーチェから……?」
 メーチェ、というのはアネットの親友――メルセデスのことだ。彼女たちは「アン」、「メーチェ」と呼び合う、とても親しい関係にあった。それに、彼女はベレスの受け持つ「黒鷲の学級」に移った人物のひとりでもある。メルセデスは終戦後、やはり殆ど同じタイミングで所属を変えた青年、シルヴァンと結婚した。彼は王国でも屈指の名家ゴーティエ家の出身で、フェリクスの幼馴染でもある。属するものが変わり、新生軍の一員となった四人は一緒に居ることが多かった。痛みと悲しみに満ちた日々だったけれど、彼らが傍らに居たから乗り越えてくることが出来たのだと、アネットは思っている。
「何か、あたしに急な用件でもあるのかなぁ……」
 アネットは不思議そうな目でまじまじと封筒を見る。辺境伯になったシルヴァンを、メルセデスが献身的に支えている、ということは、当然知っている。ゴーティエは、長きに渡りスレン族との問題を抱えてきた。拗れに拗れたそれを改善するのが、自分の責務なのだと、シルヴァンは言っていた。学生時代は軽い一面を見せることもしばしばあったシルヴァン。そんな彼を変えたのは、間違いなくメルセデスなのだろう。アネットはそれを理解していた。きっと、フェリクスも同様だろう。彼に対して素っ気無い態度をとることも多いが、ふたりの間にある絆は深い。
「私はこれから会議があるから、これで失礼するよ」
「あ、はい。わざわざ、ありがとうございます」
「気にしないで。じゃあ、また」
 ベレスが背を向ける。揺れる翠色の髪。彼女はいつも、忙しそうにしている。アネットも、多忙なことを苦と思わないタイプだが、ベレスの方もそうだ。アネットはぼんやりとそんなことを考えて、それから封筒に視線を戻す。部屋の扉を閉めて、引き出しからレターナイフを取り出した。それを用い、丁寧に封筒から便箋を取り出して、椅子に着する。淡い色の窓掛けが小さく揺れた。
「……」
 開いたそれには、見覚えのある丁寧な文字列が続いている。久しぶりね、アン。変わらずに元気にしているかしら――書き出しから、親友の優しさが滲んでいる。濃紺のインクで記されたそれらが、メルセデスの優しい声で再生された。手紙には、来節シルヴァンの仕事の関係で、彼と一緒にガルグ=マク大修道院へ来る、ということが綴られていた。
「……メーチェに会えるんだ」
 思わず、そんな声が雨垂れのようにぽつりと落ちる。戦争が終わって、皆が居場所を見つけ、大きな役目を背負って。新時代を迎えたこのフォドラで懸命に生きて。失ったものは多い。数え切れない犠牲の上に、いまのフォドラがあるということも、忘れてはならない。絶対に、だ。闘いによってファーガス神聖王国も、アドラステア帝国もレスター諸侯同盟も、過去のものになってしまった。歴史の影に消えゆくそれらは、人の記憶の中には存在し続けるだろうが、「これから」というものは、永遠に訪れやしない。アネットは、胸が痛むのを感じた。その痛みはきっと、これから先も幾度と無く感じるものだろう。遠退いていく過去を忘れるなと叫んでいるようなものだから。

「――アネット」
 フェリクスが姿を見せたのは、アネットがメルセデスへの返信を書き終えた頃だった。
 剣の腕が立つ彼は、大修道院に併設されている士官学校で剣術師範を務めている。最初は不満げだった。終戦後、剣以外のすべてを捨てて、流浪の旅に出ようとしていた彼を引き止めたのが、他でもないアネットだった。あたしを置いていかないで。何処にも行かないで、フェリクス。大粒の涙をぽろぽろと流す彼女を前に、フェリクスはそれを貫き通すことが出来なかった。これからもあたしと一緒に居て、と懇願されて、フェリクスが折れた。ガルグ=マクで魔道の教師になることが決まっていたアネットと、「これから」を過ごすことを決断したのだ。
「お前は……手紙を書いていたのか」
 フェリクスは机の上に置かれているものをちらりと見て、そう問いかけてくる。うん、と応じた彼女が説明する。シルヴァンとメルセデスがガルグ=マクへ来る、ということを。そうなのか。短く答えて、「それは良かったな」と付け加えるフェリクスも、穏やかな目をしている。
「えへへ、メーチェと会うの、すごく久しぶり」
 あの頃は、一緒に居るのが普通だった。そこが大修道院でも、戦場でも、街であっても。だが、その日々が終焉を迎えて、それぞれが選んだ道を進むようになった。遠きゴーティエの地で、メルセデスとシルヴァンは前を向いて生きている。
「フェリクスも、シルヴァンに会えるの、嬉しいでしょ?」
 アネットの言葉に、彼は何も答えなかったが、アネットはちゃんと分かっている。彼が、それを否定しているわけでは無いことを。幼い頃に思い描いていた未来と、現実は異なってしまっているけれど、絆は更に深まっている。
「美味しいお菓子と、紅茶を用意したいなあ……あっ、そうだ。今度のお休みの日、フェリクスも一緒に街に行かない?」
「……まあ、それは構わんが」
「じゃあ、決まりだね! フェリクスとお出かけも、久しぶりだよね。楽しみだなあ……」
 再開されたガルグ=マクの士官学校。そこでアネットは、生徒たちに魔道を教えている。思っていた以上に教師というのは多忙で、教えるということは奥深くて難しい。だが、自分たちにありとあらゆる知識を叩き込み、必要な経験をさせてくれたベレスを目標に、アネットは努力をしている。そんな日々を過ごしているから、フェリクスと出かける機会はあまりない。だからこそ、今、胸が弾んでいる。休日までは、まだ数日ある。アネットは――そしてフェリクスの方も、その日を指折り数えて待つのだろう。ふたりとの再会を果たせる瞬間を。

 ◇

 ゴーティエ領の遅い春――大地を覆っていた雪は日に日に減っていき、生きとし生けるものが待ち侘びたこの季節は、太陽が世界に微笑みかける。メルセデスは屋敷の中庭に出て、深呼吸をした。それから、如雨露に水を注いで、幾つも植えられた花々にそれを与えていく。緑は少しずつ力強さを増していっており、何日か前には春告げ鳥の歌も聞いた。
「ああ、メルセデス。ここにいたんだな」
 そんな風に彼女の名を呼ぶのは当然、メルセデスが心から愛する人――シルヴァン。彼の燃え盛る炎にも似た色の髪が、そよ風に揺れる。まあ、とメルセデスが発し、それから笑顔を見せる。その穏やかで優しい笑みは、ずっと前から、何ひとつ変わっていない。幾度と無く、シルヴァンのことを救ってくれた笑みだ。
「この花って、確か……大修道院にも植えられていた花かい?」
 ふと目を向けたところに青い花が胸を張っていて、シルヴァンはメルセデスに尋ねた。ええ、と大きく頷く彼女。
 来節には、フォドラのほぼ中央部に位置する、そのガルグ=マク大修道院に赴く。多くの思い出が残る地だ。いい思い出ばかりとは言えないが――それでも、大切な場所であることに変わりはない。自分たちは戦乱に巻き込まれて、ちゃんと卒業することも出来なかったが、その士官学校も再開され、これからを託されることになるだろう者たちが、切磋琢磨している。
「このお花はね、私やアンが、魔道学院に居た頃も、育てていたものなのよ〜」
 寒さの厳しい地方でも逞しく咲くお花なのよ、とメルセデスは言う。この様子から察するに、思い出深い特別なものなのだろう。嬉しそうな彼女を見て、「そうだったのか」と、シルヴァンもつられて頬を緩めながら言う。押し花にしてアンに贈ろうかしら、とメルセデスがのんびりとした口調で続け、シルヴァンがそれは名案だなと首を縦に振る。きっとアネットは喜ぶだろう。誰よりも大切な友人からの贈り物なのだから。
「……楽しみだな、その日が」
 シルヴァンの鳶色をした瞳が、澄み渡る空をとらえた。ええ、と頷くメルセデス。やっと齎された平穏な時代。戦で大地が焼け焦げ、夥しいほどの血と涙が流れ、人の命があまりにも容易く崩れ落ちていた、あの日々を思うと、胸が詰まる。自分たちが士官学校で学んでいた頃は、そんな現実が襲いかかってくるなんて、想像も出来ずにいた。まさかファーガスという国が消えてしまう、なんて。先程まで幸せの色が滲んでいた笑みが、酷く悲しげなものへとふたり揃って変化する。
「……」
 それでも、自分たちは生きているのだ。アネットとフェリクスがガルグ=マクで新しい日々を送っているように、シルヴァンとメルセデスは、いま、ここゴーティエ領に居るのだ。あの頃、思い描いた未来とは、大きく違ってしまっているけれど――仰げば広がる空の色は同じだ。青。自分たちにとって、特別な意味合いを持つ色。手も声も届かない遠き地で、「彼ら」がこちらを見ているのではないか。そんな風にすらシルヴァンには思えた。もしかしたら、隣に立つ最愛の人も、似たような思いに駆られているのかもしれなかった。

 ◇

 それからの日々は、飛ぶように過ぎた。時折降る柔らかな雨に、大地はなお色を濃くしていく。
 シルヴァンとメルセデスは、久々にガルグ=マクの地を踏みしめる。まず、シルヴァンには片付けて置かねばならない仕事があった。その間、メルセデスは一足早く、アネットと再会を果たすことになっている。嘗ての学舎であり、戦いの拠点でもあった、このガルグ=マク大修道院。崩壊してしまっていた部分も修繕が進んでいて、けれど、吹く風は何処か寂しげにも思えて――メルセデスはそんな気持ちを抱えつつ、アネットの私室に足を向ける。懐かしい光景の中を進んでいくメルセデスの胸は、鼓動を少しずつ早めていくようだった。

 親友は、部屋の前に立っていた。そわそわとしている様子がなんとなく伝わってくる。思わずくすりと笑みが溢れるのを認めながら、メルセデスは彼女の名前を呼ぶ。
「あっ、メーチェ!」
 久しぶりだねと応じ、手を大きく振るアネットのトレードマークとも言える橙色の髪が揺れた。大きな瞳に喜びを灯したアネットに、メルセデスも同じく「久しぶりね」と微笑う。お互いが浮かべるそれは懐かしくて、とても優しい。入って入って、とアネットが手招きつつ言った。ええ、と大きく頷くメルセデス。積み上げられた書物。小さな花が何輪か生けられた花瓶――掃除の行き届いた室内にも、懐かしさが溢れていた。
「フェリクスはまだちょっとお仕事があって。でも、夕食は一緒に食べられる、って言ってたよ」
「まあ、そうなのね〜。シルヴァンも、そう言っていたわ。ふふ、フェリクスも元気なのね」
「うん!」
 力強く頷くアネット。彼女も、彼も、穏やかな日常をここで過ごしているのだと分かって、メルセデスは胸がホッとする。

 それから、ふたりは多くを語らった。アネットが用意した紅茶と焼き菓子を楽しみながら。
 女王となったベレスのもとで、大修道院は前を見据えて進んでいるのだということ。そして、アネットとフェリクスの生活も、充実したものであること。どうかそうであるようにと願っていたし、信じていたが、実際直接言葉として聞けて、本当に嬉しく思えた。メルセデスも友に語る。自分たちも優しい時間を過ごせている、と。
「――」
 アネットがふと、視線を窓硝子の向こう側へと向ける。満ちる青。浮かぶ白雲。大地には赤や黄色い花々。それらは、戦前もここに存在していたもの。だけれど、戦いの果てに多くの命が失われて、あの頃在った筈のものが欠け落ちてしまった。ファーガス。何事も起こらなければ、アネットやメルセデス――それからフェリクスやシルヴァンにとって「特別」だったあの国は、いまも存在し続けていただろう。ディミトリという名の王のもとで。
「アン?」
 メルセデスが小首を傾げた。心配そうな菫色の眼差しに、アネットは首を横に振って「何でもないよ」と言いかけた。しかし、すぐに俯いた。嘘は吐けない。メルセデスはきっと即座に見抜くだろう、長い付き合いだ、それくらいアネットも理解っていた。
「……あの戦いで、あたしも……メーチェも、みんなも……いろいろ失くしてしまったでしょ?」
 その声は震えていた。深い悲しみと、鋭い痛みが滲み出ている。
「割り切っているつもり、だったんだけど……あたしたちがあの学級に居た頃のことを思い出すと、やっぱり……」
「そう、ね……分かるわ……」
 青獅子の学級。ファーガス神聖王国出身者の集められた学級。ディミトリやドゥドゥーたちと一緒に、多くを学んだ学級。アネットたちが、傭兵上がりの教師――ベレスの受け持つ学級に移るまで、自分たちはそこに属していた。
「でも、アン。泣いてばかりではいられないって、私は思うわ〜……」
 いつの間にか潤んでいるアネットの瞳。メルセデスの声は優しく、けれど、同時に真っ直ぐで強いもの。彼らが生き、戦った記憶は私たちの胸に残り続けるでしょう、と続けられて、アネットははっとする。
「私たちと彼らは、進む道を違えてしまったけれど……きっとね、間違った道ではないのよ。どちらもが」
「メーチェ……」
「それにね。悲しまないで、とは言えないわ〜。私も、シルヴァンたちも悲しみを抱えているから……」
 寧ろシルヴァンやフェリクスの傷の方が、深いかもしれないわね、とメルセデスが言う。それも、理解出来る台詞だった。ふたりは、幼馴染を亡くしているのだから。
「でも、後ろを向いてばかりでは居られない……でしょう?」
 そう続けた彼女に、アネットは大きく頷く。前を見て、歩まねばならない。それが、この時代を生きる自分たちの責務。フォドラは平穏を取り戻すことが出来たとはいえ、問題はまだまだ多く残されている。それを解決しながら、より良い世界にするのが生き残った者たちに課せられている。ベレスが頂点に立って、だ。
「そうだわ、アン。あなたに、渡したいものがあるのよ〜」
「えっ、あたしに?」
「ええ」
 メルセデスは自らの鞄に手を伸ばし、「それ」を取り出した。小さなそれは、花の栞。パステルブルーの紙に、青色の押し花。受け取ったアネットの表情がみるみるうちに明るくなっていく。ありがとう、そう言いながら彼女の指先がそっと花に触れた。
「……すごく嬉しいよ。メーチェ。ありがとう……ずっとずっと……大事にするね」
 どんな高価なものより、愛おしくて、特別なものだと思えた。友の優しい思いが、花という形になって咲いているようにも。アネットの笑顔を見て、メルセデスも同じ表情になる。

 そんなふたりの会話が一区切りついた頃。木製の扉が何回かノックされる。部屋の主であるアネットが「はーい」と応じながら立ち上がって、扉の前に立つ。姿を見せたのはフェリクスとシルヴァン。
「よっ、久しぶりだな、アネット」
 まず声をかけたシルヴァンへ、アネットも挨拶を返す。シルヴァンも元気そうだね、と続ければ、彼は微笑んだ。その笑みに懐かしさを覚える。
「お仕事、お疲れさま〜」
 メルセデスが労い、シルヴァンは頷く。フェリクスもね、と付け足された言葉に、名を呼ばれた彼も薄く笑む。揃って立つ彼らを見ていると、まるで、あの頃に戻ったかのよう。だが、それは記憶が描いた幻にすぎない。世界は変わり、自分たちも変わった。それぞれが選んだ道を、今も進んでいる。それは、引き返すことの出来ない道。
「そろそろ、夕食の準備が出来る頃じゃないかな」
 アネットが言う。確かに時間的にも、そんな頃合いだ。
「まあ、いつの間にか、そんな時間になっていたのね〜」
「食堂へ行くぞ」
「ああ、そうだな」
 四人揃って部屋を出る。空は薄墨色に変わっていて、一歩ずつ、新しい日に向かっていることが見て取れた。吹く風も、この時間になるとひんやりと冷たくなる。流石にゴーティエ領ほどではないが。
「……」
 そんな風の中、メルセデスがふと足を止めた。どうしたの、とアネットも立ち止まる。菫色の瞳で、メルセデスは空を見上げていた。何処か寂しそうな光が灯されていることに、友は気付く。数歩前を歩いていたフェリクスが振り返り、後方にいたシルヴァンも「どうかしたのかい?」と問う。ざあっとまた風が通り抜けた。
「……いいえ、何でもないわ〜。ただ……」
 ここでみんなが一緒に居た頃を思い出してしまったのよ――メルセデスの弱々しい声は、確かに全員の胸に響く。「青獅子の学級」と「黒鷲の学級」。そして「金鹿の学級」。三つのそれが当たり前のように存在し、それらに在籍する者たちが輝ける未来に向け、勉学や剣術等に励んでいた日々。彼女の瞳にはそういった記憶が映し出されていたようで、アネットたちも確かにそれを見た。
「戻れないのは分かっているけれど、やっぱり、少し寂しいわね〜……」
 先程、自身がアネットに向けて言った台詞。それをメルセデスは思い返していたのかもしれない。
「そう、だな……でも、メルセデス。俺は……俺たちはここに居るじゃないか」
「シルヴァン……」
「君の胸に穿たれてしまった空白の全部は、埋めてあげられないだろうけどさ、支えぐらいにはなれると俺は思ってるさ」
 彼は穏やかに笑む。そして大きな手を愛する人の右肩にそっと乗せた。
「ええ……そうね。あなたが居てくれて……良かったわ。勿論、アンとフェリクスも……」
「あたしたちは、ずっと一緒には居られないけど、でも……いつだってメーチェやシルヴァンのこと、思ってるよ! そうだよね、フェリクス?」
「……ああ」
 見上げた空には、一番星が輝いている。それを見つけた途端に、心がすっと晴れ渡っていくのを感じた。そう、自分には「彼」がいて、「ふたり」も思いを向けてくれている。
「じゃあ、行こう、みんな!」
 アネットが笑った。そしてメルセデスに手を伸ばす。
「ええ、行きましょうか〜」
 心を重ね、片手だけは繋いで。
 駆け出す彼女たちを、シルヴァンとフェリクスが追うような形で大地を踏みしめる。
 きっと、これからもいろいろなことがあるだろう。そう簡単に解決出来ない問題も、あるかもしれない。胸に傷を負う出来事だって無いとは言い切れない。無彩色の夢を見て、涙とともに迎える朝もあるかもしれない。でも、自分には愛する人がいて、大切な友がいる。だから、大丈夫だ。
「――」
 食堂へ向かう四人を、遠くから見つめる翠の瞳。彼らを導いた者の眼差しは優しかった。メルセデスもアネットも、シルヴァンもフェリクスも、彼女の視線には気付いていない様子だったけれど。


ファイアーエムブレム風花雪月WEBオンリー『黎明の星の下にて』展示用に書いたシルメル&フェリアネでした。イベント発行の小説本が蒼月ルートのお話だったので今回は銀雪で。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

2022.07.23
月咲ひたき / @hitaki_
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