小さな世界の終わりに/R18




 テイワット大陸の各地で悪事を働くならず者たち――宝盗団。璃月港からほど近い荒野で、鍾離たちはそれらと交戦した。旅人の仲間として、この大陸を巡る鍾離や甘雨にとって、宝盗団は恐れるような相手ではない。敵の数は多かったものの、それほど時間を要さず大半を殲滅することが出来た。
 しかし、最後の最後でリーダー格と思しき体格のいい男が、液体をばら撒いた。一見すると、ただの水のように思えたそれを、甘雨は避けることが出来なかった。
 最初は少しだけ衣服や髪、肌が濡れてしまっただけかと思った。鍾離も、その場に一緒にいた何人かの仲間も。そして、それは甘雨自身も、揃って同じように考えたようだった。
 迂闊でした、と言う甘雨は頬を若干、紅く染めていたけれど。
 そのリーダー格の男は、後方から鍾離が長柄武器を用いて、難なく倒したのだけれど。

 この件は、それで終わりではない。
 終わりではなかったのだ。

 ◇

「……甘雨の姿が見えないようだが?」
 夕食の時間になり、鍾離が一階へと下りても、そこに甘雨の姿は見当たらなかった。今日、彼らは、璃月の街の片隅にある宿屋で一日を終える。玉京台で頻繁に顔を合わせる老女、ピンばあや――仙人としての名を、歌塵浪市真君という――から譲り受けた「塵歌壺」の中で身体を休める日もあるが、今回彼らが眠るのは、そこではない。
 鍾離の言葉に旅人が表情を曇らせた。まさか、甘雨に何か良くないことがあったのか。即座に問いかけてくる彼に対して、少々言い難そうに答えたのは、旅人の相棒であるパイモンだった。甘雨は少し体調が優れないから夕食は要らないと言っていた、と。一気に鍾離の顔も暗くなる。あとで、様子を見に行った方がいいかもしれない。鍾離はこの晩、卓に並べられた料理を、少ししか食べることが出来なかった。

 ◇

 甘雨がいるのは、二階へと上がって右手に進み、手前から三番目の部屋だ。この部屋は、さほど広くは無く、寝台もひとつの所謂一人部屋である。璃月港は、テイワットの各国から訪れる人々で賑わう。旅をする者の中には、一人旅というものを好む者も珍しくはない。そういったことから、一人部屋が用意されている宿は、それなりに多かった。甘雨がその部屋を割り与えられたのは、特に大きな意味は無く、簡潔に言ってしまえば「偶然」のことだけれど。
 部屋の前まで来ると、鍾離は一度大きく息を吸い込んだ。ノックをするのはその後だ。
「……?」
 だが、すぐに反応は返ってこなかった。彼女は既に眠っているのかもしれない。ならば、わざわざ起こしてしまうのも悪い。体調が良くないのだと、パイモンからも聞いている。甘雨の身体は、きっと休息を望んでいるのだろう、鍾離はそんな答えを導き出すと、その場から立ち去ろうと考えた。しかし。
「……?」
 室内からかすかに物音がした。その直後に届くのは「どちら様でしょうか」という、控えめな誰何の声。俺だ、と反射的に応じた鍾離へ、甘雨が少しの間を置いて「どうぞ」と返してくる。その声は非常に弱々しいもので、鍾離の胸に靄々とした不安が音も無く広がっていく。同時に、甘雨の声は、少し躊躇いを纏ったように聞こえなくもなかった。
「……入るぞ」
 鍾離は扉に手をかけて、ゆっくりとそれを開く。キイという音とともに、視界に甘雨の姿が飛び込んでくる。彼女は白を基調とした寝間着姿で、寝台に腰掛けていた。食事が摂れないほどと聞いて心配だったのだが、思っていたより、甘雨の顔色は悪くない。というよりは、頬の辺りが熱を持ち、赤らんでいるように見える。
「具合の方は大丈夫なのか?」
「え、ええ……。ご心配をおかけして、本当にすみません。鍾離さん」
 声が震えている。ふたつの瞳は、変わらず澄んでいるけれど、いつもと違う光が灯っているように感じられた。鍾離はじっと彼女を見た。暫くの間、沈黙がふたりを取り巻く。

「……もしかして、熱でもあるのか?」
 そんな沈黙を破ったのは、鍾離の方だった。彼女との距離を詰める。体温を確認しようと、すっと伸びてきた大きな手のひらが、甘雨の額に触れた。途端に、ああっ、と少女の声が室内を走る。その声は普段のものと全く違うもので、どうしてなのだろうか、艶やかなもののように聞こえた。まるで、堪らえようとして堪えられなかった声。鍾離が目を丸くする。以前にも甘雨が体調を崩した際に、こうして額に触れたことがあった。その時とは、反応が大きく異なる。今にも泣き出しそうな彼女を見て、鍾離は自分のいる世界が凍りついたかのような感覚に陥った。
「あっ……ええと、ごめんなさい。そ、その……そういうわけでは」
 甘雨が真っ赤な顔を下へと向けた。もじもじとしている彼女を見て、何かがおかしい、と鍾離は感じる。まさか、と彼の思考があるところまで到達した。身体を過剰に火照らせる甘雨は、いつもの彼女と大きく違っている。何もかもが、違う。
 そう、彼女は具合が悪いのではないのだ。宝盗団との交戦、その最後に撒き散らされた謎の液体――あれは、薬剤だ。ヒトのとある欲求を、意思とは関係なく、急激に上昇させる。
「……」
 そういうものが存在する、というぼんやりとした知識は、頭の片隅に存在していた。だが、まさか甘雨がそれに蝕まれているなんて。あの宝盗団と名乗る連中は、いったい何を考えているのか。次に奴らと交戦する時が来たら、御灸を据えてやる必要があるかもしれない。撤退させるだけでは生温い――鍾離は、明確な怒りが沸き起こってくるのを認めざるを得なかった。とはいえ、その怒りの矛先を向ける存在はこの場におらず、宙ぶらりんという半端な状態になってしまう。彼は、彼女をじっと見た。昂ぶる欲求を、甘雨はひとりここまで必死で堪えてきたようだった。
「鍾離さん……、そ、その……」
 甘雨が俯いたまま、声を絞り出す。しかし、その台詞の続きは声にならない。息は荒く、同時に熱く、降り掛かった薬の力はかなり強いものなのかもしれない。彼女を包み込んでいるものは、間違いなく苦しみと言えるものだった。
「甘雨……」
 鍾離はぐっと手に力を込めた。甘雨を楽にしてやりたい。だが、それが最も正しいことなのかと問われれば――何の言葉を返すことも出来ない。彼らは互いに好意を抱いているものの、一線を越えた関係には至っていなかった。でも。
「もし、お前が望むのならば……」
 彼の発した声は固く、そして途中で途切れて。けれど、その眼差しは真っ直ぐで。
「……」
 下を向いていた甘雨が顔を上げる。透明な涙で濡れた瞳は、縋るように鍾離へと向けられていた。これが、彼女の答えなのだろう。鍾離は甘雨の手を取った。自分のものと比較するとずっと小さな手のひらも、例外無く熱を持っていて、やはり、例の薬の効果はかなり大きいのだと察することが出来た。このままでは辛かろう。
「……あ、あの」
 彼女が口を開く。
「……い、いいのです、か?」
 こういう時であっても、甘雨は彼の方を尊重してしまうようだ。自分の望まない形で、欲望を植え付けられて、心身は酷く苦しいだろうに。鍾離はなんと返せばいいのか戸惑った。彼女のことは好きだ。きっと、これは単純な好意ではなく、もっと複雑で、もっと難解なものなのだということは、前々から察していた。だが、ちゃんとした声にして伝えたことはない。
「お前こそ、俺でいいのか」
 質問を質問で返すのは、あまり良くないこと。無論、分かっていたが、鍾離はそのようなことを言ってしまった。甘雨はすぐに答えず、またしても俯く。ぱさりと長い髪が揺れる。きっと、彼女の心も、それと同様に揺れ動いているに違いない。鍾離は待った。甘雨が何かしらの言葉を発するのを。たとえ、それが否定の言葉でも傷付く覚悟は決めていた。
「……」
「わ、私は……」
 一分近く経過して、意を決したように、甘雨が顔を上げた。大粒の雨に降られたかのような瞳。そこに灯るのは、いつもの彼女が見せるものとは大きく違う「なにか」だ。
「あなたが、いいです……いえ、あなたでなければ、いや、です」
 懇願するような台詞へ、鍾離が「ああ」と頷く。彼女が望むのであれば、すべてその通りにしよう、と。だがまさか――こんな形で、なんて。そう思わない訳でもないけれど、このような状態の甘雨のことを放置する選択肢は、選び取れない。彼女が強く求めているのだから。
 甘雨の身体が横たえられた寝台がギシギシと音を立てる。鍾離は彼女の頬に触れた。紅く染められたその部分は非常に熱くて、まだその部分に軽く触れただけだというのに、彼女の口からは濡れそぼった声が溢れる。だが、鍾離はそんな桜色の唇を、自分のもので塞ごうとはしない。
「あっ……」
 彼女が纏う布を丁寧に取り払っていく。白い肌があらわになる。そこに幾つか残されている傷は、甘雨が戦場に立っていることを物語る。女性なのだから、そういったものは無い方がいい、と多くの者は言うだろう。だが、鍾離はこれらを醜いものとは思わなかった。長く、本当に長く、このテイワットで生き抜いてきた勲章とも言えるものだから。
「ふ、ああっ……!」
 鍾離の指が躊躇いがちに胸元に触れた。左側からは、確かな生命の鼓動を感じる。それは予想以上に強く、そして早く、どくんどくんといっている。頂の部分はもう既に固さを増していて、恥ずかしそうに甘雨がぎゅっと目を瞑るのが見えた。指先でそこを爪弾くのを、何度か繰り返す。動く度に、んん、とくぐもった声が聞こえた。生まれたままの姿をした甘雨が、寝台の上で身を捩っているのは、自分の愛撫によるもの――そう思うと、鍾離の心を熱いものが支配し尽くしてしまう。ああ、と甘雨が声をあげた。彼女は薬のせいで敏感になっているのだ。あまり焦らすようなことはすべきではないだろう。鍾離はそう考えて、濡れた部分にそっと触れる。
「あっ……!」
 甘雨の素っ頓狂な声が鼓膜を揺らした。大丈夫なのかと問う声に、彼女は視線だけを向ける。意味を持つ声を発することすらも、どうやら今の彼女には難しいらしい。甘雨に出来るのは、与えられた快楽の波に打たれること。ただ、それだけ。
「ああっ、あっ、あああっ!」
 悶えるだけの甘雨を見る鍾離の瞳は、ぎらりとした光を灯している。彼女がそうであるように、彼も普段と違う。甘雨は、じゅくじゅくと響く水音に耳を塞ぎたくなったが、身体の奥は鍾離のすべてを求め続けている。どちらが勝るかと言えば、圧倒的に後者だ。もっと、と強請るのは、あまりにもはしたない。そんな女だとは思われたくない。なのに、欲しい。欲しくて――仕方がない。甘雨はとろんとした眼差しで彼を見上げた。
「ん……」
 薬の影響が強いのだと鍾離は分かっている。彼女がこのような顔をするのも、反応を見せるのも、全部――あの薬のせい。誤解してはいけないのだ。勢いをつけて、指を奥へと押し入れる。
「――ふあっ……、んんっ!」
 声を我慢することが、甘雨にはどうしても出来なかった。侵入してくるものを、彼女は拒まない。奥へ、奥へ。ゆっくりと。そうかと思えば、素早くぐいっと引き抜かれ。意識せずに溢れ出る蜜が彼の指を汚している。ぎゅっと甘雨が目を閉じた。代わりに唇からは嬌声が出て、時間の経過のなかで薄暗さを増した部屋の中で反響する。
「ああっ、あっ……ん……っ」
 気付けばそこを刺激する指は二本に増えていて、その質量を容易く飲み込んでいる事実が、甘雨の思考をなお麻痺させていく。
「――甘雨」
 頃合いだろうか。鍾離が自分の半身たるものを、濡れたところへあてがう。
「……いいか」
「ん……」
 やっと瞼を開いた彼女の視界には、先程以上に強いものを宿す、鍾離の双眸。たっぷり時間をかけて「はい」と応じる彼女は、最早彼の姿しか見えていない。ここにあるのは、ふたりきりの世界。何者にも邪魔されることのない、窮屈で、けれど、どうしてだか優しい、居心地の良い檻。
「ああっ、あ、ああっ」
「くっ……」
 最奥を目指して、這入ってくる盛り。これが欲しかったのでしょう、と身体が告げているかのように、甘雨は何も拒めない。
「あああっ!」
 溺れても、いいのかもしれない。彼に。いや、違う。自分は、とっくに溺れてしまっているのだろう――甘雨は明確に鍾離に恋をしていた。こんな時に、本当の想いに気付くなんて。自分は酷く愚かで、同時にこの世界で一番哀れだ。でも、否定することは出来ない。薬のせいで呆気なく理性の箍が外れてしまっている甘雨は、鍾離の名前を何度も呼びながら、彼のことを更に求め続けた。
「ああっ、あ、鍾離、さん……ああっ、んんんっ!」
 自分たちがこんなことをしているのは、彼が優しいからだ。甘雨は頭の隅でそんな風に思う。薬によって甘雨へ植え付けられた欲望を鎮める為に、鍾離がこうしてくれているだけに過ぎない。彼でなければ嫌だけれど、彼が自分を愛してくれているなんて、誤解してはならない。一方通行だった想いが通じたなんて――絶対に、思ってはいけない。
 甘雨はまた涙をはらはらと落とす。大粒のそれを、鍾離の指が拭った。そんな彼の優しさは嬉しいけれど、どうしようもなく切ない。甘雨の喉が高い声をあげる。快楽が全部を飲み込む前に、甘雨は自分に対して必死に言い聞かせた――彼に「好きです」とは、言わないで。彼に、本当の気持ちは告げないで、と。
「はっ……甘雨ッ……!」
「ああ……わ、わたし、んんっ……!」
 その時が差し迫っている。なおも流れる涙の向こうに、彼の姿が見えた。その顔は、今までに一度も見たことのない表情をしている。ふたりきりの小さな世界に、終焉の時が迫っているのだ。いつまでも此処に在りたい、そんな願いが、崩れ落ちようとしている。
「ああああっ!」
 より一層甲高い声が室内を満たした。甘雨が、一番の高みに上り詰めたのが分かった。鍾離が達するのも、ほぼ同時だった。吐き出されたものが飛び散る。甘雨が荒い息のまま、鍾離の顔に熱っぽい眼差しを向けていて、鍾離もまた同じように甘雨のことを見た。
 満たされた筈なのに、胸の中に大きな穴が穿たれたような、そんな気持ちになる。この行為に及んでも、彼は彼女の唇に口付けを一度もしなかった。自分たちが、愛し合っている男女だと誤解することを恐れて。肌を重ねたのは、あくまでも薬で彼女が苦しんでいたから。それ以上の理由も、関係も、求めるべきではない。
「……甘雨」
 彼の声に、はい、と甘雨が小さく応える。
 何が正しかったのか。何が過ちだったのか。むしろ、すべてが過ちなのではないか。
 小さな世界の終わりに、甘雨が今にも散りそうな花のような笑みを、鍾離へと向けた。
 

thanks

>>朝の病(template)

2022/03/10
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