夢の向こうに辿り着いたら

 カーテンの隙間から、生まれたての太陽の日差しが差し込んでくる。シルヴァンは「うーん」と小さく呻きつつ頑なに閉じられていた瞼を開けた。時刻は、まだ早朝と言える。もう暫く眠っていても構わないような、そんな時間帯だ。
 当然だが隣のメルセデスはまだ眠りの国。安らかな寝息を立てる彼女を起こしては悪い。そう思ったシルヴァンは出来る限り音をたてないように注意を払いつつ身体を窓とは反対に向け、メルセデスのことを優しく見つめる。
  
 シルヴァンとメルセデスがこのゴーティエ邸で暮らすようになって一年と少し。ふたりの出会いはフォドラの中心――ガルグ=マク大修道院であり、親交を深め、級友から戦友へ、そして恋人から夫婦へ関係は滞ることなく変わっていった。
 大戦の時代は終わり、ファーガス神聖王国の名の下に統一されたフォドラ。ディミトリが国王の座につき、シルヴァンやメルセデスにとっても恩師と言えるベレスがセイロス聖教会の大司教になり――皆、それぞれの居場所を得て、そこで各々の未来の為に奮闘している。ゴーティエ辺境伯になったシルヴァンも、そんな彼を支えるメルセデスも例外ではなく。
「……」
 起きる気配が無いメルセデスを、シルヴァンは不躾かもしれないと思いながらも、ずっと見ていた。薄紅色の唇。長い睫毛。手入れのされた白く滑らかな肌。昔より随分と短く切られた髪は見ただけで指通りが良いのだと分かる。早く彼女の優しい声で名を呼んで欲しいし、春の山野で咲く菫の色をした瞳にも見つめられたい。だが、彼女はきっといい夢を見ているだろうから、自然と目が醒めるまでシルヴァンは待つことにした。
 彼女が悪夢に魘されないようになったのは、シルヴァンと一緒になってからだ、と数節前に聞いたことがあった。もともとは夢見が悪い方だったメルセデス。ガルグ=マク大修道院にいた頃、夜中の大聖堂で頻繁に出くわしたのも、そういった理由があったのかもしれない。シルヴァンは彼女から自分の身に降り掛かった悲劇を聞いていたし、苦しみながら過ごした日々を語られていたから、大聖堂で会う度に「彼女は今夜も悪い夢に邪魔されて眠れずにいたのだな」と感じ取ることが出来た。そして、シルヴァンも悪夢に襲われることが多かったから、彼女の痛みを理解することも容易かった。血の繋がった兄マイクランのこと。紋章に群がる女達のこと。シルヴァンがメルセデスを分かっていたように、メルセデスもシルヴァンを分かっていた。だからこそ、あの大聖堂で会う夜に優しく微笑みかけてくれていたのだと思う。
 ふたりは似ていた。ぱっと見て分かる部分ではなく――もっと深いところが。似ていたからこそ惹かれ合った。分かり合うことが出来た。互いの痛みごと、負ってしまった醜い傷を直視することが出来たからこそ、愛し合うことが出来たのだ。運命がふたりを手繰り寄せたのかもしれない。
 
「んっ……」
 メルセデスがようやく瞼を開いた。それはシルヴァンが目を覚まして小一時間が経過した頃。差し込む陽光はやはり穏やかで、空に愛された鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。
「ああ、おはよう、メルセデス」
 優しくシルヴァンが朝の挨拶をすれば、まだ眠たそうな目のメルセデスも「おはよう」と短く言葉を発する。その声は普段よりも少々舌っ足らずで、とろんとした眼差しと相まって、ちゃんと覚醒しきっていないのが伝わってきた。シルヴァンは苦笑しながら、じっくりと時間をかけて体を起こしたメルセデスの頭を撫でる。
「君がよく眠れたみたいで、良かったよ」
「ええ〜、そうね。ふふっ……私ね、こんな夢を見たのよ」
 彼女は上品に笑って、それからまじまじとシルヴァンを見つめて語る。
「――あなたにおはようって言う夢をみたの〜」
「なんていうか……その、現実的な夢だな」
「でしょう? あなたは私に、やっぱりおはよう、って言ってくれて……そっと抱きしめてくれたのよ〜」
 これは、もしかして、強請られているのだろうか?
 シルヴァンはそう考えた。菫色の瞳が「それ」を望んでいるように見えて、このまま彼女を両腕で抱きしめたくなる。シルヴァンはいったん自問する。まだ朝で、起きたばかりのメルセデスも自分も寝間着のまま。それなのに体と体を密着させるようなことをしていいのだろうか、と。無意識に逸れていた瞳を彼女の方へと戻せば、年上の彼女はふわりと微笑む。
「――メルセデス」
 名前を口にしたのもまた、無意識だった。シルヴァンはそのままメルセデスを抱き寄せ、背中に手を回す。やわらかな肢体。何処からか香ってくる甘い香り。距離がゼロになったことで、相手の心臓がどくんどくんと動いているのも感じ取られる。それは、この広い世界で最も愛しい人の生命の鼓動。彼女の方も同じように想ってくれているのか、そのままの体勢でメルセデスが「シルヴァン」と名を呼んでくれる。
「……ありがとうな、メルセデス」
 シルヴァンは素直に今の気持ちを言葉に綴る。
「君が居てくれるから、俺は幸せなんだ」
 これは夢ではない。幻でもない。すぐそばに彼女が居てくれる、現実。悪い夢に精神を侵食される日々は終わった。戦いが続き、少し先の未来も霞んでいたのも過去だ。今は彼女と「家族」として、これからを生きていく。どんな困難があろうとも、自分はメルセデスの手を離したりはしない。
「私も幸せよ〜、シルヴァン。私を幸せにしてくれて、ありがとう……いつまでも、私の隣にいてね〜?」
「ああ、勿論だよ――メルセデス」
 空の色はふたりが愛する青のまま。緩やかに流れていく時に、ふたりは笑む。
 

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