あなたと越える夜ならば
 幾つもの苦難と困難の先で、シルヴァンとメルセデスは結ばれた。ふたりが想いを通わせたのは、アドラステア帝国とその女帝エーデルガルトとの熾烈な戦いが終わる、少し前だった。ディミトリやベレスなどといった彼らの仲間たちは、紆余曲折を経て「恋人」になったふたりを心の底から喜び、祝福の言葉をくれた。戦後、シルヴァンは正式にメルセデスへ結婚を申し込み――メルセデスはそれを涙と笑顔を見せつつ受け入れたのだった。



 メルセデスは寝室で本を読んでいた。もともと読書も趣味の一つだったが、ここのところはバタバタとしていた為、一冊の本に没頭するのは久し振りのこと。読んでいるのは若い女性騎士が主人公の物語。それほど分厚い本ではないし、内容も頭を使って唸るような本でもないから、眠る前に少しずつ読むのにちょうどよかった。
 ぱら、とページを捲って彼女はふと顔を上げる。そろそろ、シルヴァンは来るだろうか。時間を確認すると、普段であればもう既にこの部屋に彼の存在があってもおかしくない時刻。シルヴァンは何かと忙しい。だからこそ、彼女は彼を待つ。たとえ遅い時間になっても、先に眠っていて構わないと優しく言われても。メルセデスは前々からそうしている。彼という存在が何よりも大切で、愛おしいものだから。少しでも一緒にいたいから。

 メルセデスが読書を始めて、小一時間経過した頃だった。部屋の扉が数回ノックされたのは。丁寧なその音は、勿論シルヴァンがここへ来た合図。メルセデスは本に栞を挟む。この青い花の栞は少々草臥れてしまっているが、彼女にとっては宝物。親友のアネットが、誕生日にくれた花を押し花にして作ったものだから。そのアネットとも、しばらく会えていないし、手紙のやり取りもそう頻繁には出来ていない。けれどいつかまた会えると信じているし、きっとアネットも同じ思いだろう。
「……今日も遅くなってしまって悪いな、メルセデス」
 シルヴァンは扉を静かに閉めた。メルセデスは首を振って立ち上がり、本はテーブルに置いて、そのまま彼へと歩み寄る。赤い髪に白い肌。そんな彼の腕に抱かれつつ、彼女は彼に労いの言葉をかけた。シルヴァンも最愛の人の背中に手を回して、そこを何度か撫でる。時間としては、もう眠ったほうが良い。そんな時刻に差し掛かっているけれど、ふたりはこのまま眠るつもりは無かった。メルセデスの身体をそっと離し、シルヴァンは彼女の綺麗な菫色の瞳を見て、そのまま薄紅色の唇に自らの唇を寄せる。彼女のそれは柔らかくて、けれどどこか甘くて、このまま酔いしれてしまいそうになる。ふたりが結ばれて数節が経つが、そのまま愛に溺れて肌を重ねる行為に至ったことは、未だ無かった。辺境伯になったシルヴァンが多忙を極めていたせいもあるが、彼自身が少し怯えていたのだ、メルセデスに負担をかけたりしてしまうことが。自分の欲望のせいで彼女を傷付けでもしたら、シルヴァンは自分を見失ってしまうだろう――本気でそんな風に思っていたのだ。
 だが、白い寝間着姿のメルセデスを腕の中に抱き、唇を塞ぐ――ここまでで満足出来るはずも無い。今まではなんとか抑えてきたとはいえ、そろそろ限界だ、とシルヴァンはもう一度メルセデスにキスをする。それは、いつもの触れるだけのものとは大きく異なる口付け。舌を捩じ込み、彼女のものと絡ませた。吐息は熱く、メルセデスは熱っぽい眼差しに変わっている。加えて、彼女の口から漏れ出る甘い声は、シルヴァンの理性を砕かんとしていた。
「……ねえ、シルヴァン」
 口付けを何度か繰り返した後、シルヴァンとメルセデスは一定の距離を取った。シルヴァンの方から少しだけ離れたのだ。本当にいいのだろうか、と最終確認をとるために。しかし彼より先に彼女の方が言葉を発する。
「私、あなたのことが好きよ〜。間違いなく、世界で一番、あなたを」
 メルセデスは真っ直ぐにシルヴァンを見ていた。戦時中は短く切りそろえられていた亜麻色の髪も、随分と長く伸びた。それでも、学生だった頃ほどの長さは無いけれど。
「あなたが、私を傷付けることも無いって、分かっているわ〜。……だからね、シルヴァン。怖がらないで。私が、あなたから離れることなんて、絶対に無いから」
 何なら女神様にも誓いましょうか。メルセデスは言う。ここまで言わせてしまったのは、自分の弱さから来るものだろうか。シルヴァンは無意識に彼女の名を呼んでいた。穏やかに微笑む彼女のことを、シルヴァンは心の奥底から愛してやまない。いつもそばにいてくれて、自分を待ってくれていて。慈愛に満ちたメルセデスのことを世界で一番幸せにしてあげたい、いや、そうしなければならないのに、今まで「それ」を与えられなかった。けれど、メルセデスはそんな弱さや負った傷も分かった上で接してくれている。その優しさにずっと甘えてしまった。けれど、今夜は――。
「メルセデス……!」
 シルヴァンは彼女のことを強く抱きしめ、そのぬくもりを全身で感じ取る。ここにメルセデスがいて、自分がいて、同じ時を紡いでいるのだ。胸の奥で巣食っていた闇がはらはらと剥がれ落ちていく。愛していると耳元で囁やけば、彼女は小さく頷く。いいのよ、と言っている。その声は優しくて、泣きそうになる。シルヴァンは彼女を白いシーツの上に押し倒し、何度目になるのか分からない口付けをした。
「ん……んっ……」
 愛しさが、シルヴァンの胸の奥で叫んでいる。縺れるような口付けは、しばらく続いた。だんだんとメルセデスの頬が赤くなっていく。そこに手で触れれば、かなりの熱度を持っていることに気付いた。そっと首筋にも唇を寄せ、伝うかのようにシルヴァンのそれは下へ降りていく。胸元をそっとはだければ、色白で女性らしい柔肌が視界に入ってくる。メルセデスは恥じらうような表情に変わったが、ここまで来てはもう戻れないだろう。それに彼女の方にも恥ずかしさはあっても、拒否の色は少しも無かった。一緒になって、この関係になって、それなりに時が流れているのに今日が――今この時が、はじめての夜になる。
「……いいのかい?」
 それは最終確認だった。メルセデスがこくんと頷いて答える。
「あなたを、私にくれるかしら」
 彼女は言う。
「……私は、私の全部を、あなたにあげるわ」
 熱っぽい眼差しで、メルセデスはシルヴァンをとらえて離さない。シルヴァンはそっと彼女の髪に触れて、そのまま首を縦に振った。きっと無意識に出てしまったのだろう、メルセデスの目尻に浮かんだ涙を、彼の手は優しく拭う。
「……っ」
 シルヴァンの手は露わになった胸に触れた。彼の手は温かい。当然ながらメルセデスのものよりずっと大きく、ごつごつとしている。だがその触れ方は何処までも優しいもので、メルセデスはそんな彼の配慮を感じ取り、つくづく優しい人だなと改めて思った。彼の動作は、どれもこれもメルセデスに負担が無いようにと気を配ったものばかりだ。決して粗雑なことはしない。そんな人にここまで求められるなんて、幸福だ。彼女は甘い刺激に目を瞑りそうになるのを何とか我慢した。彼を、シルヴァンを、見ていたいのだ。瞼を瞑ってしまえば、視界は闇ひとつになってしまうから。
「無理、してないかい?」
 そんな彼の言葉へ、メルセデスは「大丈夫よ」と返し、微笑む。ずっとこうしたかった、等と言うのははしたなく思えて言えないが――実を言うとそれは本音で。シルヴァンは少々躊躇ったようだが、そのままメルセデスの胸の頂へと口付ける。より一層、彼女の高い声が部屋に響く。彼によってまたひとつの熱が灯され、体温も普段よりずっと高いように思える。メルセデスは手に力を込めた。シルヴァンが与えてくれるものの全部を、受け取りたい。
「しる、ぁん……んっ……あ、ああ……」
 敏感なところを何度も舌で捏ね繰り回されれば、声はより高く響く。メルセデスの瞳にはシルヴァンだけが映り、逆もまた同じだ。カチコチと時計の針は機械的に、そして正確に進んでいく。そうやって時が刻まれている中で、だんだんと肌の露出が増えていった。シミひとつ無い真っ白なシーツの上で。その間、メルセデスの濡れた声がシルヴァンの鼓膜を揺らすと共に、嵌っていた箍も気付けば外れ落ちていて。
「ああ、ん……」
 気付いてみれば、メルセデスは殆ど生まれたままの姿だ。豊かな胸も、滑らかな四肢も。何もかも。彼の前にそれを曝け出すことは途轍もなく恥ずかしいが、彼女も彼のことを求め続けていたのは明白な事実で。シルヴァンがそっと至るところに触れ、その度にメルセデスは甘く声を発して、それに蕩けたような目で見られれば、僅かに残されていた彼の理性も弾け飛ぶ。やや躊躇うような間を置いてから、彼が指先で秘所にそっと触れると、メルセデスが肩を跳ねさせる。静かだった部屋に水の音がして、彼女は耳まで赤く染まった。
 ひとつになりたい。そんな欲望が次第に膨れ上がっていく。その欲求を隠し通すことも、見て見ぬ振りをして無かったことにすることも、最早出来そうにない。シルヴァンは自らの盛を、とっくに蕩けてしまっている彼女のそこへと押し当てた。はあ、と両者の息が漏れたのが分かる。シルヴァンは愛しい人をじっと見た。普段より熱を帯びた身体と、濡れた淡い色の瞳。額などには薄っすらと汗が滲み、けれど、シルヴァンを見つめる眼差しは普段と然程変わらない穏やかさと優しさを残す。
「……シルヴァン」
「メルセデス――」
 まるで、鳴き交わす番のように、ふたりは名を呼びあった。ここまで本当にたくさんのことがあった。ガルグ=マク大修道院ではじめて会った日のことや、初めて一緒に食事をした日のこと。帝国との全面戦争が起きてしまった後も、同じ王国軍で戦い抜く過酷な日々の中、時間を作って一緒に様々な話をした。
 やすやすとここへ至った訳ではない。これからだって、おそらくいろいろなことがあるだろう。フォドラは平穏を取り戻しつつあるが、ゴーティエ辺境伯となったシルヴァンが今立っているのはゴールではなく、スタートで。課せられたもののひとつである、スレンとの問題解決の道はきっと険しい。けれど、メルセデスは彼をずっと支えていくと決めている。苦難は共に乗り越えようと、ずっと前に誓っていたのだ。
「……来て、シルヴァン」
 メルセデスがシルヴァンの左頬に手を伸ばした。その小さくて白い手が触れた、直後。彼のものがメルセデスの奥へとゆっくりと押し入られる。メルセデスの瞳からぽろりと雫が落ちた。ああ、という声が彼の口から漏れ出たのと同時だ。
「んんん……っ、あ……あっ」
 刺すような痛みが先に走った。けれど、彼女はもう何も拒みはしない。シルヴァンはそっと指で涙を拭ってみせる。長い睫毛は熱いそれで濡れていて、きっとメルセデスの視界は滲んでいるのだろう。シルヴァンはゆっくりと動く。彼女に乱暴はしたくなかった。ずっと、こうしたかった。そんなことを思っていたのは事実であるが、彼女を苦しめたくなくて、随分と遠回りをしてしまった。ベッドがぎしぎしと軋んでいる。その音がする度に、メルセデスの口からは官能的な声が溢れた。
「あっ、あああ……ん、あ、シル……ヴァンっ……!」
「くっ、あ……メル、セデス……いい、のかい?」
「ん、あ……っ」
 彼女に問いかけに答えられる余裕は無いようだ、シルヴァンはそれに気付き、今度は彼の手がメルセデスの右頬にあてがわれる。熱い。けれど、ここにあるのは喜び。多くの困難を越えて、鋭い棘だらけの悪路を歩み、ようやく彼らはひとつとなった。シルヴァンから与えられる一言で言い表せない快楽が、メルセデスを酔わせる。
「好き、だ……メルセデス……!」
「わっ、私……も、んんっ……あっ……」
 これまでの生で得られなかったものを、今、互いに与え合う。夜はまだ長い。太陽が昇って、大地を燦々と照らす、そんな朝はずっと先にある。寄せては返す波のように何度も感じられる快感。聞いたことのない相手の艶っぽい声。
「んんっ」
 シルヴァンとメルセデスの唇がまた重ねられた。貪るように舌が絡み合い、やっと離れたと思うと光る銀の糸がふたりを結びつけている。その間も彼らはひとつに交わったままで、幾つかの洋灯が淡く照らす室内には、そういった行為で発せられる音と声が広がる。
「――ああっ、あっ!」
 次第に限界が見えたきたのか、メルセデスがより一層大きな声を出す。シルヴァンもそれに近いのだろう、その律動はやや強くなって、ふたりは相手をじっと見たまま、揃ってそこへと至る。両者の高い声が響いたかと思うと、シルヴァンのものはメルセデスの深くへと熱いものを吐き出していた。



 それでも朝は来る。シルヴァンは一睡もすることなく、夜のおこないで疲れ果て、いつの間にか眠りに落ちていたメルセデスを見守る。布団に包まっているとはいえメルセデスの肌は衣服に隠されていない。首筋から胸元には、彼の唇が刻んだ赤い印が幾つも残る。
「メルセデス……」
 心には温かい幸福が満ちている。ここまで来るまで本当に、本当に長かった。早い段階で想いは重なっていたのに。メルセデスが寝返りを打つ。窓の向こうはゆっくりと白みつつあって、朝の早い鳥は歌い始めている。早く彼女と言葉をかわしたいけれど、出来る限り休ませてあげたいとシルヴァンは思った。
 亜麻色の髪にそっと触れる。昔の自分に教えてあげたい、これほどまでの幸せが世界に存在することを。たったひとりの女性を愛せる日が来るなんて微塵も思えていなかった頃の自分に。紋章に群がる女たちのせいで、女性というものに憎悪にも近い不快な感情を抱いていた自分に。シルヴァンは眠るメルセデスをもう一度見つめる。彼女のそば。それこそが、今の自分の居場所であり、永遠の愛が眠るところであるのだと――。

Êtres humain besoin de l’eau pour vivre. Mais moi j’ai besoin de toi.

template:朝の病
2020/08/06
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