シルヴァンとメルセデスは、話を終えてから食堂へ改めて足を運び、普段より遅い朝食をとった。今日は会議やらなにやらが詰め込められているんだ、と言うシルヴァンは先に食堂を出て、メルセデスも彼が立ち去って数分後にはそこをあとにした。
 本当は、心に傷を負っているメルセデスと一緒の時間を過ごしたい。それがシルヴァンの本音であったが、そう我儘を言ってはいられない。メルセデスに申し訳ない気持ちを残しながら、彼は会議室へと急ぐ。今日の会議は長引くだろう。始まる前から気が滅入りそうだ。

 一方、メルセデスは、そのまま屋敷の中庭へ向かった。ここゴーティエ領は、フォドラでも特に寒冷な地である。冬になれば、旧王都フェルディアなどよりもずっと雪深くなる。その為、育つ作物や咲く花々は限られ、中庭で育てられている草花は寒さに強いものが多い。彼女はそういった花を見に中庭へと足を踏み入れる。
「……」
 幾つもの花が、胸を張って咲いている。健気だな、とメルセデスは思う。花はいつか散るもので、けれど、近い将来降りかかるその時に怯えたりすることなく可憐に咲く。彼らは一見儚く見えて、とてもたくましい。メルセデスは屈んで、それから青い花へと手を伸ばした。それは比較的花弁の大きな花で、どこか懐かしく思える。どこで見たかしら、とメルセデスは首を傾げた。記憶の糸をそっと手繰り寄せて、そして答えへ辿り着く。ガルグ=マク大修道院だ――メルセデスがシルヴァンたちと共に多くを学んだ地。
 戦争が起きるまで、メルセデスはその地で様々なことを学び、経験した。フォドラのほぼ中央部に位置する、巨大な修道院。セイロス教の総本山であるそこには士官学校があり、彼女たちは生徒としてそこに在籍していた。そこで、メルセデスが特に気に入っていたのが温室だった。フォドラの各地で見られる花を多く育てている温室には、時間がある時、頻繁に足を踏み入れていたのをよく覚えている。
 アネットやアッシュ、それからドゥドゥーといった面々と、水やりをしたこともあった。もういないかつての友を思い出したメルセデスの心が、ちくりと痛む。勿論、彼らとの思い出は忘れていけないことだけれど、今は心が敏感になっている。メルセデスは首を横に振ると、もう一度花の方へ目を向ける。
 ここで咲いているのは青い花だけではない。赤い花もあれば、白い花や黄色のものだってある。だが、まず目を引かれたのは、やはり青いものだった。自分の根底に、その色へ惹きつけられる何かがあるのかもしれない。メルセデスは立ち上がる。そして空を仰いだ。それも青色。どこまでも美しく、果て無く広がっている。きっと自分は、この色に戒められながら生きていくのだろう。そんなことをメルセデスは思うのだった。

 その夜、シルヴァンは比較的早い時間にメルセデスがいる部屋の扉をノックした。今夜こそは、彼女と一緒にいたい。きっとメルセデスの傷は癒えていないだろうから、せめて側にいてあげたい。それで彼女の心が少しでも落ち着くといい。強く願いを秘めて扉を開ければ、メルセデスはいつもの椅子に腰掛け、大きな瞳でシルヴァンのことを見つめている。
「お疲れ様〜、シルヴァン」
 メルセデスが微笑む。机には一冊の本が置かれていて、シルヴァンは彼女がそれを読んでいたのだな、と思う。裏表紙しか見えないので、いったい何の本であるのかは分からないが。
「ああ、ありがとう」
 そう言って、シルヴァンが座るのはちょうどメルセデスの正面にある椅子。ここには穏やかな時間が流れており、シルヴァンとメルセデス、ふたりのことを邪魔するものは何一つ無い。淡いクリーム色のカーテンと、床に敷かれているのはもう少し濃い色をした絨毯。それからふたりで眠るベッドには白い枕に、いつだったかメルセデスの選んだ花柄のカバーがかけられた掛け布団がある。まだ、眠るには少し早いだろうか、と思いながらシルヴァンは彼女を見た。彼女もまた彼を見ている。
「えーと、メルセデス。何の本を読んでいたんだい?」
 なにか会話がしたくて、シルヴァンが問う。
「これ? これはね、お花の本なのよ〜、偶然、書斎で見つけたの」
 メルセデスは言いながら本を手に取り、そしてシルヴァンへ表紙を見せた。表紙には美しい花の絵が幾つも描かれている。とても繊細なタッチで、何処と無くメルセデス好みだとシルヴァンは思った。
「そうか。君は花が好きだったよな」
「ええ。今日は、中庭にも行ったの。いろいろなお花が咲いていて、綺麗だったわよ〜」
 それこそ、花のように笑顔を見せるメルセデス。だがシルヴァンには分かってしまう。彼女がまだ、無理をしていると。彼女とは長く付き合っているから、分かるのだ。彼女というひとりの人間を一番大切に想うが故に、彼女の胸にある痛みが、鐘の音のように響いてくる。波のように何度も押し寄せてくる。
「なあ、メルセデス。あまり無理はしないでくれ」
「えっ?」
「……君はいつだったか、言ってくれたよな。俺に、悲しい笑顔はやめて、って」
 シルヴァンは真っ直ぐにメルセデスのことを見た。思い起こすのは、幸福だったガルグ=マクでの日々。そこから続くのは凍りついた冷たい戦いの日々。
「俺も、君が無理をして笑っているのを見るのは……辛いんだ。俺はどんな君でも受け止めるよ。だから……」
 そう言って、シルヴァンは立ち上がった。そのままメルセデスの隣に立つ。彼は彼女に立つよう促さなかったが、メルセデスはそっと立ち上がる。以前よりも、やや伸びた亜麻色の髪が揺れた。そんな彼女の頬に、シルヴァンは指を這わせる。ぽたりと落ちた雫を拭ってやるように。
「……俺も、君に言わせてくれ。泣いてもいいんだ、メルセデス」
「シル、ヴァン……」
 泣いてもいい、とあの日、メルセデスが言ってくれた。シルヴァンにとってそれは、本当に救いだった。泣いてはいけない。ずっと、自分に枷を嵌めてきたのだ。泣きそうになる度に、その枷が体に食い込んで、痛みを感じながらもシルヴァンは必死になって堪えてきた。それを外してくれたのが、この女性――メルセデスだったのだ。慈愛に満ちた彼女の言葉に、シルヴァンはやっと涙を落とすことが出来た。
「君の悲しみは、よく分かるよ。君が、俺の悲しみを理解ってくれているように」
 彼女はそんな彼の腕の中、大粒の涙を流す。何度か頷く彼女の背中をシルヴァンは撫でる。今の彼女は容赦なく降る雨に打たれた小鳥のよう。冷たさに震え、恐怖に怯えている。
「俺は、君を離さない」
「……シルヴァン」
 この世界に幸せがひとつしかないとしたら、きっとそれは、ここにいる彼女と生きる道。おそらくはひたすらに幸福が降る道ではない。けれど、メルセデスと一緒ならば、最期まで歩いていけるという確信がシルヴァンにはあった。シルヴァンは一度、メルセデスの身体を離す。そして、見つめ合って、こう言った。
「だから、君も、俺を離さないでくれるかい?」



ぼくにとってたったひとつの幸せ
( 2020/07/30 )
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