メルセデスが時間になっても姿を見せない。シルヴァンは時間を見て、それから首を傾げた。いつもなら、もうとっくに目を覚ましているはずなのに。
 昨日は特に忙しく、シルヴァンとメルセデスは一緒の部屋で眠らなかった。かなり遅い時間まで執務に追われていたシルヴァンは、彼女の部屋に行くことが出来なかったのだ。大抵は寝室も一緒だが、そういう日も時折ある。メルセデスもそれに納得していたし、昨晩シルヴァンも寂しく思いつつ、ひとりベッドに横たわったのだ。普段ならすぐ側に感じられる彼女のぬくもりが無い夜は、なんだか寂しかった。
 シルヴァンは一度食堂を出て、彼女の部屋に行くことにした。朝食が冷めてしまうが、それよりもメルセデスのことが気になる。廊下を進み、階段を上がった。それからまた少し歩けば、メルセデスがいるはずの部屋の前まで辿り着く。
「……メルセデス?」
 そっと扉をノックした。こんこん、という音はやけに高く響く。ややあってメルセデスの返事があった。だが、その声も何処と無く弱々しく聞こえて、シルヴァンは不安になった。もしかしたら具合でも悪いのではないか、と。
「シルヴァン」
 氷水のように冷たいものが胸へ上がっていくのを感じる――そんな彼の名を呼びつつメルセデスの手によって扉が開く。視界にメルセデスの姿が入って、シルヴァンはほっとした。けれど、彼女の顔色はあまり優れない。目が赤いのも見て取れて、シルヴァンは動揺した。
「……大丈夫かい?」
 なんとか問いかけると、メルセデスは苦笑して「ええ」と答えた。やはりいつもより弱々しい声だ。シルヴァンの顔に不安の色を見て取ったメルセデスは、一度彼を部屋に招き入れた。ここで立ち話をしていると、使用人に見つかってしまうかもしれなかったから。別に、他者に聞かれて困るような話をするつもりでは無かったが、出来ればふたりきりでしたかった。

 まず、メルセデスはシルヴァンを椅子に座るように促した。彼が座るのを見てから、彼女もその隣に座る。
「……何があったか、聞いてもいいか?」
「ええ……」
 メルセデスはまだ「何か」があったとまでは言っていなかった。だがシルヴァンは分かってしまっている。自分たちは随分と長い付き合いで、加えて今は夫婦という特別な関係だから、だろうか。
「私、夢を見たの」
 メルセデスは静かに言う。
「……私たちが、フェルディアで戦った日のことよ」
「――」
 彼女の台詞は、たったそれだけなのに、あまりにも大きなものがここにはあった。旧ファーガス神聖王国。その王都フェルディアは、アドラステア帝国と、セイロス聖教会及び聖教会に従う勢力との最終決戦の地である。当然、シルヴァンもはっきりと覚えている。
 あの場所に至るまでの道でも、シルヴァンやメルセデスは多くを失った。記憶は恐ろしいほどに鮮明で、メルセデスの瞳が涙で濡れていることに気付いたシルヴァンは、そっと彼女の肩を寄せた。
「……私たち、たくさんのものを失ったでしょう?」
 まだ平和だった頃。教師ベレスに学ぶことを望んで、ふたりは「黒鷲の学級」に移った。その時は、想像することも無かった。この時の選択が自分の運命を――そして自分にとってかけがえのない存在の運命をも、めちゃくちゃに捻じ曲げてしまうということを。
「そう、だな……」
 シルヴァンも小さな声で答える。
「私、アンのことを、とても大事なお友達だって思っていたわ。私とアンは歳も離れているのに、別け隔てなく接してくれて……。ガルグ=マクに来る前から、とっても仲良くしてくれたの」
 メルセデスは遠くを見つめていた。そんな彼女のそばで、シルヴァンもアネットのことを思い出している。頑張り屋で、むしろ頑張りすぎる部分が目立つ彼女のことを。そしてアネットは仲間思いの、明るい少女だった。確か、歳はメルセデスより六個下。ドミニク男爵の姪で、フルネームはアネット=ファンティーヌ=ドミニク。
「士官学校に入ってからも、私とアンは仲良しだったわ。最初のうちは、みんながずっと雲の上の人に見えていたから、アンの存在がとても嬉しかったし、支えでもあったわ……」
「……そうだな、アネットと君は、いつも一緒だった。君と彼女が中庭や食堂で話をしているのを、俺もよく見たよ」
「でも、あんなことになって……私は、アンを……アンのことを、こっ、殺してしまった……!」
 あれは戦争だった。メルセデスが帝国軍――黒鷲遊撃軍の一員で、アネットが王国軍のメンバーだった。ただ、それだけのこと。それだけのことが悲劇を呼び、耐え難い苦痛と底無しの絶望を味わわせた。がたがたと震えるメルセデスを、シルヴァンは黙って抱きしめる。
「私の……一番の、お友達だったのに……! ああ、アン……!」
 彼女の言う通りだ。アネットはもうこの世にはいない。メルセデスが戦地となったフェルディアで彼女に攻撃をするのを、シルヴァンは確かに見た。彼女たちの間に、エーデルガルトとディミトリの間にあるような、憎悪や復讐心があったわけではない。前述の通り、メルセデスとアネットの属するものが違っていただけ。親友の亡骸を抱くメルセデスに、シルヴァンは寄り添った。あの場所で泣きじゃくる彼女を抱いたぬくもりは、今でもよく記憶している。

「……ごめんなさい、シルヴァン」
 しばらくして、やっと落ち着きを取り戻したメルセデスがシルヴァンを上目遣いで見た。あなただって辛かったのに、と続けるメルセデスへ、シルヴァンは首を何度か横に振った。
 勿論、辛かった。アリアンロッドではフェリクスとイングリットと交戦している。ふたりは幼馴染で、幼い頃、共にファーガスの為に生きると誓った同士であった。フェリクスとは死ぬ時は一緒だと、そんな約束をも交わしていたのに。
 その次に失ったのは、ディミトリだった。雨が大地を打つタルティーン。そこで彼と激戦を繰り広げた。

 ――皇帝の狗に成り下がり、あまつさえ、自国への侵略に加担するか……。……地獄の底で悔いろ。ファーガスの地を汚したことをな!

 激しい怒りに震えて、心に暗いものを燻ぶらせるディミトリの姿を、シルヴァンは到底忘れることなど出来ない。彼が言ったように、きっと、自分は地獄へ落ちるのだろう。メルセデスと一緒に生きる幸福な生が終りを迎えた、その後に。
「……なあ、メルセデス」
 シルヴァンは愛する人をじっと見た。
「君は、まだ、祈りを欠かさないよな」
 メルセデスはもともと敬虔なセイロス教の信徒だった。だが、そのセイロス聖教会を敵にまわして、エーデルガルトと共に大司教レア――白きものを討ったひとりだ。
「……そうね、きっと女神様は、私の祈りを聞き届けてはくれないでしょうね」
「……なら、どうして祈るんだ?」
「正しくないことかもしれないけれど……私は、祈ることで縋っていたいのよ〜。アドラステア帝国が……エーデルガルトがフォドラを統一して、ファーガスや教会は歴史の向こうへ消えたわ。だけど、私の心には、信仰心が残っているの……自分でも、おかしな話かも、って思うけれど」
 メルセデスはゆっくりとした口調で言うと、そのまま遠くを見つめるのだった。



正しくなくても祈って
( 2020/07/29 )
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