シルヴァンと外出した夜。なかなか寝付けなかったメルセデスは、ようやく夢の国へ至ったというのに、そこで悪夢に魘されていた。いや、これを悪夢と言うのは正しく無いかもしれない。彼女が夢として辿るのは、過去の記憶そのものだった――。

 ◆

 視界に飛び込むのは、戦場と化した王都フェルディアの町並み。鮮血で赤く染まった世界。タルティーン平原において、ファーガス神聖王国の王ディミトリを打ち破ったアドラステア帝国軍は、この地での戦闘ですべてを終わらせようとしていた。
「大丈夫かい、メルセデス?」
 そう優しく問うのはシルヴァン。彼だって相当辛いはずだ、ここに来るまでにフェリクス、イングリット、ディミトリという幼馴染全員を失っているのだから。
「……そうね、本当のことを言えば……大丈夫、ではないかもしれないわ」
 メルセデスは素直に答えた。
「でも、ここで……戦いは終わるのよね。この長かった戦いが……」
 彼女の特徴的な菫色の瞳が揺れる。メルセデスも、散っていったかつての友を思い描いているのかもしれない。シルヴァンには分かる。ふたりとも「青獅子の学級」に在籍していた時期があって、「黒鷲の学級」に所属が変わってからも、彼らとの付き合いが全部無くなったというわけでは無かったのだから。
「……そうだな」
「だから、私は最後まで戦うわ。それが……私たちの成すべきことなら」
 そう言ってメルセデスは僅かに微笑む。強い女性だ、とシルヴァンは思った。
「なあ、メルセデス。俺……この戦いが終わったら、君に伝えたいことがあるんだ。聞いてもらってもいいかい?」
 もうすぐ最後の戦いがはじまる。その前に、シルヴァンはメルセデスにこの約束を結ばねばならないと思っていた。それを聞いてメルセデスは「えっ」と小さな声を発し、そして「勿論よ」と答える。彼が何を伝えたいかは、分からない。けれど、何か大きな覚悟が必要なことなのだろう。そうでなければ、今ここで言っても構わないのだろうから。

 王のいないフェルディアは、燃え上がる炎の中で揺れている。セイロス教団の大司教レア――白きものが唸る声がした。これがレアの真の姿なのだ。爆ぜる炎は敵味方関係なく全身を焦がしていき、あちらこちらで剣のぶつかり合う音、交戦で死へと至ろうとしている者の悲鳴が聞こえる。
 メルセデスは目の前に広がる惨状で心を痛めた。ここがフェルディアであると信じたくない。そんなふうに考えてしまうほどに、ここに存在するのは地獄だった。少し奥でシルヴァンが槍を手に戦う姿が見える。彼だけでなく、エーデルガルトやヒューベルト、それからベレスといた仲間たちも、それぞれの武器を手に戦っている。メルセデスもぎゅっと手に力を入れた。「黒鷲遊撃軍」の一員として、ここで勝利を掴み取らねばならないと。

「……メーチェ!?」
 メルセデスが苦悩の表情で何人目かの兵を魔法で倒した、その後だった。前方からよく知った人物の声がした。橙色の髪をした、小柄な女性。アネット=ファンティーヌ=ドミニク。メルセデスのことを親しげに愛称で呼ぶ彼女は、かつての仲間であり、そして一番の親友だった。メルセデスが学級を移ってからも、機会は減ったとはいえ一緒に茶会を楽しんだり、買い物に行ったりしていた。
「アン……」
 開戦後は音信不通に近い状態で、こうしてメルセデスとアネットが顔を合わせるのは、相当久しぶりのことになる。それが、戦場でなんて。しかも、敵同士という形で。メルセデスは無慈悲な現実を前に心がずきんと痛むのを感じた。
「メーチェ……」
 アネットは再びメルセデスのことを呼んだ。戦いたくない、と彼女は言いたいのだろう。しばらく会えていなかったとはいえ、長い付き合いになるメルセデスには、それが分かってしまった。
「あらあら、アン。駄目よ。ここは戦場なんだから……」
 メルセデスは普段通りの声で言った。しかし、本当は胸が激しく痛んでいる。アネットと同じだ、メルセデスだって、彼女と戦いたいわけがない。
「……ごめんね。あたしのこと、許さなくてもいいからね」
 そう震えた声で言ったアネットが、いつの間にか俯いていた顔を上げた。綺麗な瞳に涙が滲んでいるのが分かり、メルセデスも同様の表情に変わる。この戦いは、どちらかが倒れるまで終わらない。帝国軍か、それともそれに抗う勢力か。手を取り合える未来は無いのだ、どこを探したとしても。
「ふふ、それは私の台詞。アン……痛かったら、ごめんなさいね」
 戦場で対峙した彼女たちは、ここで「ごめん」と同じ言葉を口にした。
「――!」
 互いに魔法を唱え、そしてどちらもがその魔法を避けようと俊敏に動く。アネットが泣いているのが見えた。泣き腫らした顔をしているところから、メルセデスはなんとなくではあるが察した。彼女は、フェルディアでの最後の戦いを前に、泣いていたのだろう、本当に、長いこと。
 アリアンロッドではフェリクスが倒れ、イングリットもそこで命を散らし、ディミトリとドゥドゥーもタルティーンで死んでしまった。帝国軍が迫る中で、アッシュや父親と最後の覚悟を固めたのだろう。死んでいった仲間たちに誓ったのだろう――メルセデスはそれを簡単に想像することが出来た。「青獅子の学級」から所属を変えたのは、メルセデスとシルヴァンのふたりだけ。
「……アン」
 メルセデスはもう一度だけ、彼女を呼ぶ。その声は燃え盛る炎の音や、響く剣戟の音、それから人々の哀哭によってかき消されてしまう。アネットがよろめいた。心身ともに限界が来ているのだろう。メルセデスは――魔法を放った。アネットはそれを避けることが出来ず、悲鳴をあげながらその場に倒れ込んだ。急所にあたってしまったようで、彼女は大地に突っ伏し、起き上がることが出来ない。
「メー、チェ……っ……」
 辛うじて息があるようだった。そんなアネットにメルセデスは思わず駆け寄っていた。別の敵兵に狙われたら、だとか、アネットが最期の力を振り絞るようなことがあったら、などと考える余裕を持てずに。
「アン……!」
 メルセデスは血に塗れ、傷だらけのアネットを抱き起こす。この傷を――致命傷を与えたのも、自分であるのに。矛盾した行為かもしれない、メルセデスは死の間際にある彼女に回復魔法を唱えた。しかし淡く白く輝く光は、アネットの傷を癒やすことも出来ないで消えてしまう。もう、アネットは助からない――それが分かってしまったメルセデスは、ぽたりと涙を落とす。雫が落ちた先には、青白い顔のアネット。彼女も泣いている。おそらく、メルセデスの姿も見えていないだろう、その瞳から熱い涙が流れ落ちている。
「メーチェ……どうし、て……、あたしたち……こんな、ことに……」
 アネットの声は掠れ、弱々しい。息も荒く、早い。
「……あたし、もう一度で……いいから、メーチェと、一緒に……お茶会、したかった、な……」
「アン……アン、ごめんなさい……私……私……」
 自分たちがまだ同じ学級にいたころを、アネットは思い起こしているのかもしれない。時にはイングリットを誘って、美味しいお茶とお茶請けの菓子を楽しみながら、それからお喋りに興じた日々。メルセデスが「青獅子の学級」を離れてからも、頻度は落ちたとはいえ、そういったものを開いていた。
「……泣いて、るの? メーチェ……」
 アネットが問う。目は見えていないようだが、かつての親友が発した涙まじりの声は、辛うじて聞こえていたのだろう。メルセデスは答えない。いや、何も答えられないのだ。彼女を殺めてしまった自分のことを、優しい声で呼ぶアネットに。
「うう……痛いよ……助けて……父、さん……」
 橙色の髪の少女は、そう言い残してゆっくりと瞼を閉じた。そして――その目が開かれることは二度と無かった。メルセデスはアネットの亡骸を抱きしめる。心がぐしゃぐしゃにされたように痛む。
 エーデルガルトが即位し、この戦争が勃発したばかりの時、覚悟を決めたはずだった。いずれ、ディミトリやアネットと戦わねばならなくなると――同じように「青獅子の学級」を離れたシルヴァンと一緒に。けれど、現実は想像を絶するものだった。まさか、この手でアネットを殺めることになるなど。
「……」
 数分が経過しても、メルセデスは泣いていた。この凄惨な現実から逃げたい。だが、逃げられない。逃げてはいけない。アネットやここに至るまでに死んでいったかつての友たちの死というものから。皆、未来を信じて戦ったのだから。
「……メルセデス」
 いつの間にか側にシルヴァンが来ていた。物言わぬアネットを抱いたままの彼女に、そっと歩み寄る。彼の手が肩に乗せられた。
「シルヴァン……わ、私……」
「……ああ」
 何も言わなくていい。そうシルヴァンはメルセデスに言う。その直後、白きものがこの世のものとは思えぬような叫びをあげ、エーデルガルトとベレスの攻撃が直撃する。アネットの父も、級友だったアッシュも、白きもの――レアを慕い崇めた者たちは皆倒れ、アドラステア帝国の勝利という結果で戦いは終わりを迎えたのだった。

 ◆

 そんな生々しい夢に、メルセデスは魘される。


誰か僕に救いを
( 2020/07/29 )
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