戦いが終わって、一年が過ぎようとしていた。あの日、王都フェルディアは陥落し、激戦のあとファーガス神聖王国とセイロス聖教会はフォドラの歴史から消えていった。そして、アドラステアの皇帝エーデルガルトは、統一されたフォドラの頂点に立ち、新しい時代を切り拓こうとしている。
 新時代の訪れを望んでいたはずなのに、とメルセデスは窓辺に立って外を見つめる。彼女はもともと王国側の人間だった。生まれは帝国で、複雑な過去を秘めていたものの、士官学校入学当初は「青獅子の学級」の生徒だった。そこには何人もの友人たちがいたが、そのすべてが戦争で命を落とした。メルセデスが恋心を抱き、その想いを実らせ、共に生きることを誓ったシルヴァンを除いて――皆、手の届かない程遠くへと逝ってしまったのだ。
 現実は非情である。ファーガスという国は滅んで、ディミトリもアネットも、皆、もうこの世にはいないのだ。このことを考える度に、メルセデスの心はずきずきと痛む。
 けれど、とも思う。自分より、シルヴァンのほうがずっとずっと辛いのではないかと。彼はディミトリの幼馴染で、フェリクスとイングリットともその関係だった。騎士になって、王であるディミトリを守り、そして彼の統べるファーガスの為にたったひとつの命を捧げる。きっとシルヴァンの幼い頃からの夢はそういったものだったに違いない。その誓いも捨てて、シルヴァンは帝国軍の一員として戦場を駆け抜けた。メルセデスは目を伏せる。
「……メルセデス」
 扉が何回かノックされ、自分を呼ぶ声に彼女はびくっと体を揺らす。その声の主は勿論シルヴァンで、扉がゆっくりと開かれるとともに、彼の姿が視界へと飛び込んでくる。今の彼は、ゴーティエ辺境伯。多忙な日々を送りながらも、メルセデスのことを一番に想ってくれている。
「遅くなってごめんな。今日は君と街へ出る予定なのに」
「いいえ、大丈夫よ〜」
 シルヴァンが忙しいことは分かっている。彼の言うように、今日はふたりで一緒に街に行くつもりでいる。それは何日も前に決めたことであって、メルセデスは指折り数えてこの日を待ち侘びていた。もしかすると、シルヴァンもそうかもしれない。
「じゃあ、行こうか」
 彼がそっと手を伸ばす。メルセデスは菫の色をした瞳を彼に向けて、それから野に咲く花のように微笑みを浮かべる。彼の手を取ると、それをシルヴァンは握り返すのだった。

 街は多くの人で賑わっていた。空は青く澄み渡り、通り抜ける風も優しい。どの店を見たいだとか、何を食べたいだとか、そういったことは何一つ決めてはいなかった。シルヴァンはメルセデスといることを望み、メルセデスもそれは同じだったので、宛もなく歩いているだけでも、心はあたたかいもので満ちるのだ。
 ふたりで出かけることを最初に提案したのは、シルヴァンだった。もうすぐ戦いが終わり一年になる。メルセデスが今も悲しみの記憶に囚われていることを、シルヴァンは分かっていた。そして、それから容易く解き放たれることが無いことも。シルヴァンにだって、心には傷が多く残されている。だから分かるのだ、独りでいればその悲しみが押し寄せてきて、心身ともに苦しくなってしまうことが。
 特にメルセデスが気に病んでいるのが、アネットの死だった。ふたりは、士官学校に入る以前からの親友だったと聞く。メルセデスとアネットは、旧ファーガスの王都フェルディアにある魔道学院で学んでいた。親しげに互いを「メーチェ」「アン」を愛称で呼び合う姿を、シルヴァンは何度も見た。
 だが、メルセデスは、ベレスのもとで学ぶことを強く希望し「青獅子の学級」から「黒鷲の学級」の生徒に変わった。シルヴァンも、その辺りは概ね同じである。しかしその決断が人生を大きく変えた。メルセデスとシルヴァンは王国軍には加わらず――帝国の者として戦う道を進むしか無かった。
 ――うう……痛いよ……助けて……父、さん……。
 あの時。自らの血に塗れたアネットはそう言い残して命を落とした。彼女に手をかけたのは、メルセデスだった。涙を流し、唇を噛むアネットを前にメルセデスは普段通り優しい口調で言ったのだ、ここは戦場なのだと。痛かったらごめんなさい、と続けたメルセデスの心もきっと相当に痛んでいただろう。ふたりは所属学級が変わっても、親しい関係にあった。シルヴァンは士官学校で微笑み合うふたりのことを見てきたから、分かる。
「シルヴァン?」
 無意識に足を止めたシルヴァンを、メルセデスが覗き込む。
「あ、ああ、いや。少し考え事をしていたよ」
 ごめんな、と付け足すシルヴァンにメルセデスは笑う。昔と同じ、優しい笑顔だ。ふたりは歩みを再開する。空は変わらずどこまでも広がっていて、人々の営みを見つめていた。
「このお店、見ていってもいいかしら〜?」
「ああ、勿論構わないよ」
 メルセデスが足を止めたのは、雑貨やアクセサリーなどを売る店だった。全体的に花をあしらったものが多い。奥の棚を見れば、香水瓶が幾つも並んでいるのが分かる。メルセデスは士官学校にいた頃から、こんな香水を愛用していたので、ここが彼女好みの店であることをシルヴァンもすぐに察する。メルセデスが店の奥へと入った。彼女が見つめるのはやはり香水瓶。凝ったものもあれば、シンプルなものもある。シルヴァンも彼女に続く。
「……これにしようかしら」
 あれもこれもと目移りしながら、メルセデスが手にしたのは、それほど派手な瓶ではなかった。シルヴァンはそれを見て小首を傾げる。何処かで見たことがあるような気がした。だが、それが何処だったのかが思い出せない。もやもやと考え込むシルヴァンをよそに、メルセデスは店員に料金を支払った。シルヴァンは、今日の記念に何かを彼女に買ってあげるつもりでいたのだが。

 店を出ると、降り注ぐ陽光の眩しさに目が眩みそうになる。その後、シルヴァンとメルセデスは別の店を幾つか回った。最後に入ったのは花屋だった。生花から造花、ドライフラワーなどいろいろなものが並ぶ、比較的大きな店。今度こそシルヴァンはメルセデスにプレゼントを贈りたいと思い、無垢な彼女と一緒に奥へ入る。そこでメルセデスが目を留めたのは、いろいろな種類のドライフラワーを使ったリースだった。壁に飾れば、部屋もきっと華やぐ。シルヴァンはそれを彼女に買い与えた。え、とメルセデスは声を漏らすが、すぐに笑顔になって「ありがとう」と言った。彼女のそれこそ花のような笑顔が見られ、シルヴァンは嬉しく思った。
「そろそろ戻ろうか、メルセデス」
「ええ、そうね〜、あまり遅くなってはいけないもの」
 戦いが終わっても、まだ、その過去に囚われている。シルヴァンも、メルセデスも、全部を受け止めきれずにいる。こうやって平穏な時間を愛する人と過ごせること。それは幸福だ、だが幸福の裏側に絶望があったことを忘れてはいけない。シルヴァンはそっとメルセデスの手を取り、自分のものと絡めた。
 多くが失われた世界。焼き焦がされた大地。涙と血で濡れた人々。凄惨な記憶を風化させてはいけない。メルセデスは空を仰ぐ。倣うようにシルヴァンも。彼らの視界はどこまでも懐かしい色で塗り潰されていた。

燃やし尽くした後の世界
( 2020/07/28 )
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