ふたり手をつないで
幸せなところまで歩きたい

 とても美しい夜だった。空には無数の星が瞬き、限りなく欠けた月がひっそりと大地を見下ろす。風は確かに冷たいものの、寒さを感じるほどではない。
 
 メルセデスとシルヴァンはガルグ=マクの街に出ていた。普段は大修道院内の食堂で夕食を摂る。だが、今日は街にある小洒落た店で食事をすることにしていたのだ。
 きっかけは、数日前に遡る。その日は午前中に軍議を終え、午後には自由な時間が与えられ、シルヴァンは特に用があった訳でもなく大聖堂へ足を運んだ。そこには敬虔なセイロス教徒であるメルセデスの姿があって、シルヴァンは軽い気持ちで彼女に言ったのだ――今度、夕食でも一緒にどうだい、と。断られるか、「そのうち」と返されるかの二択だと彼自身は思ったのだが、想定外なことにメルセデスは快諾した。いつがいいのかしら、と返され、シルヴァンの方が面食らったくらいだった。
 そうして、シルヴァンは彼女と一緒に食事に出た、というわけだ。向かうのは一節ほど前に仲間内で話題になっていた店。メルセデスとふたりきりで食事なんて、よくよく考えてみればはじめてだ。大抵は食堂で食べるのだからアネットやディミトリ、フェリクスといった面々と一緒、というケースが多い。仲間たちと和気藹々食事をするのも確かに楽しい。けれど彼女とふたり、というのは甘い何かが胸の奥に満ちていくかのよう。
「――おっ、この店だな」
 ふたりが肩を並べて歩いているうちに目的の店へ辿り着く。一陣の風が吹いて、メルセデスの髪や衣服がさあっと揺れる。士官学校の生徒だった頃はとても長かった彼女の髪も、今ではショートカットになっていて――けれどどちらも似合っているとシルヴァンは思う。耳元のイヤリングも、身に纏うひらひらとした衣服も、とても彼女に馴染んでいる。
「あらあら、とってもお洒落なお店なのね〜」
「メルセデスも初めてかい?」
「ええ、シルヴァンもそうなのかしら〜?」
「ああ。じゃ、じゃあ、入ろうか」
 そんなやり取りの後、シルヴァンが扉の手をかける。それを開けば鈴のような音が客の来訪を店員へと告げる。お二人様ですね、と確認され、ふたりは同時にこくりと頷く。そして奥に通され、椅子に座る。テーブルの中央部には可憐な紫色の花が生けられており、雰囲気をより良いものにしている。テーブルクロスや灯りなども凝った意匠で、メルセデスの好みだったのだろう、彼女の目はきらきらと輝いていた。そういった彼女の姿を見られるということを、シルヴァンも嬉しく思う。ウェイトレスがメニューと水を運んでくる。何を注文しようかしら、とメルセデスが呟いて、シルヴァンは言う。君の好きなものを頼んで構わないよ、と。
 
 その店の料理は評判通り、絶品だった。味付けもしつこく無く、けれど逆に薄味というわけでもなく。肉や魚も柔らかく、野菜もまた新鮮で美味だった。メルセデスは最後に運ばれてきたベリーのケーキがとても気に入ったようで、にこやかに微笑んでそれを口に運んでいた。シルヴァンも嬉しく思う。彼女の笑顔が間近に見られたということに。
 明日は明日で講義の予定が入っているのだから、あまり長居するのは良くない。この店のワインも美味しいという話だったが、それはまた次回ということにしてシルヴァンとメルセデスは店を出る。
「ご馳走になってしまって、本当に良かったの〜? シルヴァン」
 メルセデスが再確認、といった様子で訊ねるのでシルヴァンは「ああ」と頷く。
「そう。とっても美味しかったわ〜、ありがとう、シルヴァン。あなたさえ良ければまた来たいわ〜」
「喜んでご一緒するよ、メルセデス」
 夜風が気持ちいい。メルセデスとシルヴァンはゆっくりとした足取りで街を進んでいく。人の姿は昔と比べれば明らかに減っている。ガルグ=マク大修道院も相当の傷を負っているのだ、アドラステア帝国との激しい戦闘によって。しかしそれでも、街は一定の賑やかさを取り戻している。人間とはつくづく逞しい生き物だ。けれど、真の意味での平穏はまだ遠い。帝国軍が襲撃してこないとは言い切れない。
 だから、とシルヴァンは思う。彼女と笑い合って、優しい時間をいつまでも送れるようにする為にも、最後まで戦い抜かなければならないと。そんな彼の傍らでメルセデスも同じことを誓う。
「――」
 どちらともなく、手が結ばれた。大修道院に戻るまでの間だけ、こうして相手のぬくもりを、存在を、確かめるように繋ぎ止めたい。ふとメルセデスがシルヴァンの方に顔を向ける。彼女の眼差しに気付いたシルヴァンも、優しくメルセデスを見つめる。
 数分後には視線は解かれ、もう少しで大修道院だ。見慣れた建造物が次第に大きくなっていく。だが、もう少しだけふたりきりでいたい。そう願ったのはメルセデスだけではなくて、シルヴァンも同様で。大修道院に入ればこの手を離さなければいけない。自分たちは同じ理想と未来を掴む為に、ディミトリとベレスを中心に構成された軍に所属されている。愛すべきファーガス、そしてフォドラの為に過酷な戦いの道を進んでいるのだ。その戦いの終わりは未だ遠く、大地には日々ヒトの真っ赤な血が染み込んでいく。
 シルヴァンは決めていたのだ、いまはこういった状況下にあるから、募る想いは隠しておこうと。たったひとりの女性だけを愛せる本当の自分に仮面をつけて。だが、それも限界なのかもしれない。今こうして隣にいるメルセデスのことが――正直、愛しくてたまらない。いつの間にかシルヴァンもメルセデスも足を止めていて、ふたたびの風がふたりに触れては通り過ぎていく。
「な、なあ、メルセデス」
「なあに?」
「……ええと、その……今日は、ありがとな」
 喉元まで出かかった言葉を押し込んで、代わりに発せられたのはそんな台詞。
「いいえ〜、私の方こそ、ありがとう」
 そう答えるメルセデスの顔は普段より紅潮して見える。薄暗いから見間違いや気の所為かもしれない、とシルヴァンは思いながら、次の言葉を探す。
「……メルセデスは、さ」
「?」
「この戦いが終わったら、どうするつもりでいるのかい?」
 自分が本当に聞きたいことは、それなのか。自分でもあやふやで、シルヴァンの声が若干震える。
「そうねぇ……また教会で、暮らすようになるのかしら〜」
 彼女は、長く王国の教会で暮らしてきたという過去を持つ。シルヴァンはそんな彼女を見つめ、またしても言葉にしたいものを奥へとしまい込んだ。しかしメルセデスの次の言葉に彼の心臓は激しく鼓動することになる。
「……でも、あなたと離れ離れになったりするのは……とても、寂しいわね……」
 それは、きっとメルセデスの本音なのだろう。遠くを見つめながらぽつりと言うその姿を見ただけで、シルヴァンは分かってしまう。告げるのなら、今、だろうか。自分も同じだよと言って、出来ることなら一緒に生きていきたいと。らしくもなく顔がかっと火照る。
「メルセデス――」
 そのまま、シルヴァンは彼女を抱きしめた。腕の中で、彼女が名を呼んでくる。力をそれほど込めないように、出来る限り優しく包めばメルセデスはふたたび「シルヴァン」と呟く。それは拒否だとか拒絶といったものとは遠くかけ離れた、甘い声。一番幸福な処まで、ふたりで進んでいきたい。彼と彼女の願いが重なって、ひとつになる。
 そんなふたりを見下ろす空で、流れ星がすうっと落ちて行くのだった。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -