ギヨームの紡ぐ詩、戴冠の女神 「あら、カムイ。とても綺麗な髪飾りを付けているのね?」 そう言ってアクアはカムイに微笑みを浮かべた。 暗夜王国と白夜王国、そしてここ透魔王国。三国を揺るがした大戦が終わって一年弱。この国の女王となったカムイは、共に戦った仲間であり、親友でもあるアクアと手を取り合いながら、多忙な日々を送っている。暗夜と白夜と違って、何もかもが「これから」の国である透魔。やらなければならないことは山積みで、カムイはいつも思う。アクアがいてよかった、と。独りでは本当に心が壊れてしまうかもしれない。あの竜がそうであったように。 「ああ、これですか」 カムイもまた微笑み、髪飾りに触れる。いつもと違う白い薔薇を模したそれに。 「最近手に入れたの?」 「……いいえ、違うんです」 「あら? そうなの? 初めて見たから、そうかと思ったわ」 大輪の花から手を離し、カムイは頬を薄っすらと赤に染める。 ここは、女王陛下であるカムイの執務室。アクアはそろそろ休憩の時間よ、と言ってここへ来たのだった。外は明るい。よく晴れている。 「これは、ですね。ずっと前に頂いたものなんです」 テーブルに広げられていた書類をてきぱき片付け、古びた分厚い本には栞を挟んで、カムイはアクアのことを見た。歌姫と呼ばれることもある彼女は、カムイからすれば一番の理解者である。戦時中も歌の力に助けられたし、彼女は博識であるから何かと助言を与えてくれた。 「そう。エリーゼやカミラから貰ったの?」 アクアの口から出たのは、暗夜王国の王女たちの名だ。エリーゼはカムイの妹で、カミラは姉で。今はこうして離れて生活を送っているけれど、カムイからすればかけがえの無い家族。暗夜に嫁いだシェンメイの娘であるアクアもまたそのひとりだとカムイは思っている。だが、アクアはずっと一定の距離を置いていた。その理由はなんとなくは分かっている。問い質すことはしないけれど。 「いいえ、エリーゼさんたちではないのです」 「……意外ね。じゃあ、誰なのかしら」 「……えっと、その……」 言い淀むカムイに、アクアは小首を傾げた。言いたくないのかもしれない。そう思って、それを口にするとカムイは首を何度も横に振った。そういう訳ではないのです、と。 「……これは、レオンさん、からです……」 たっぷりと時間を使って、カムイは答えた。アクアの金の瞳が丸くなる。想定外の答え、だったのだろう。アクアは「そうだったの」と言い、「こっちの方が意外だったわ」と続け、それからまじまじとカムイを見る。 「なら、どうして使っていなかったの? レオンからの贈り物なのに」 「えっと、話せば長くなってしまうのですが……」 「私は構わないわ。あなたさえ良ければ聞かせて頂戴?」 ふんわりと笑うアクア。カムイは体が火照るのを感じながらも、言葉を紡ぎ出していく。彼女の知らない、過去の物語を。 ◆ その日も暗夜第二王女カムイはバルコニーにいた。カムイはここから見上げる満天の星空が大好きで、よくこうやってベッドから抜け出しているのだ。ギュンターに見つかれば酷く叱られるだろう。実際何度も叱られている。それでも、カムイは懲りない。何もない世界ではないのだ、と星たちが教えてくれているような気がするから。 「――カムイ姉さん。やっぱりここにいたの」 物思いに耽っていたカムイを現実へ引き戻したのは、聞き慣れた少年の声。金色の髪がさらりと夜風で揺れる。カムイのことを少々呆れ顔で見つめるその瞳は、カムイと同じ赤色。 「レオンさん!」 カムイは彼の名を呼んで、駆け寄った。自分よりまだ少し背の低い彼に抱きつけば、彼は困ったような顔をしつつもその背を撫でてくれる。レオンの手は思っていたよりも温かく、外気で冷えてしまったカムイに優しい熱を灯した。 北の城塞から出られないカムイのために、彼は――彼らはこうしてここに足を運んでくれる。マークスに、カミラに、エリーゼ。そして今ここにいるレオンは。 「ちょっと用があって姉さんの部屋に行ったら誰もいないし、もしかして……と思ってここに来たんだ。ねえ、カムイ姉さん。ギュンターに見つかる前に戻ろうよ」 体を引き離し、代わりに手を差し伸ばすレオンに、カムイは何度か首を横に振った。レオンはそれが拒絶だと思ってショックを受けたが、その場から離れなかった。カムイをひとりにしたくはなかった。何故だろうか。よくわからないけれど、駄目だと思った。このまま闇の中にカムイという存在が溶け消えてしまうような気がして。 「ねえ、カムイ姉さん……」 カムイはまだ空を仰いでいる。もう一度部屋に戻ろう、と続けようとしたレオンにカムイがやっと振り返った。きらきらと輝いているのは星だけではなく、彼女の銀髪も同じ。ただ、赤い、血のように赤い瞳は揺らいでいる。悲しげな光がある。彼女は微笑んでいるのに、泣き出しそう。まるで、雨の降り出す数分前の空のよう。 「私、いつかは外の世界に行けるでしょうか」 北の城塞から出られないカムイは、幾度となくこの問をレオンに投げかけてきた。その度にレオンは頷いてみせた。きっといつかは出られるよ。父上の考えはわからないけれど、姉さんだって暗夜の王族なんだからさ。そんな風に続けて。 だが、今日は何も言えなかった。カムイがあまりに悲しそうで、辛そうで。レオンは知っている。外の世界は楽園などではないと。戦場では、人間の血と死の臭いが漂う。大地は焼け焦げ、血を吸って黒くなっていく。暗夜の王族として生まれてしまった自分たちには、国のために振るわねばならない剣があった。闇竜の血をひいた自分たちには、光竜の末裔たちと戦を繰り広げなければならないという運命にあった。 「……ごめんなさい、困らせてしまいましたね。私はやっぱり、駄目なお姉さんです」 口を噤んでしまったレオンに、カムイは続けた。悲しそうな笑みを浮かべたまま。 「レオンさんは私に用があったのですよね。ここでは済みませんか」 「あ……うん。僕の部屋に来てくれる? すぐに終わるから」 話を元の位置に戻すカムイは、普段と変わらない様子だった。レオンはわかっている。それも無理して作った表情なのだと。 北の城塞にはきょうだいたちの私室がしっかりと用意されている。小さい城とは言え、カムイがたったひとりで暮らすには広すぎる城だから。レオンは慣れた様子で廊下を進む。手にはランプと、もう片方の手はカムイの手を握っている。小さくて冷たい手だ、とレオンは感じた。冷たいのはずっとバルコニーにいたからだ。小さいのは、やはり少女のものだから、だろう。背だって、そう遠くない未来追い抜くだろう。レオンはぎゅっとカムイの手を握り、カムイも握り返す。レオンはそれが嬉しかった。 階段を登りきってレオンの私室に到着し、まずはレオンが扉を開けて中に入り、カムイはそれに続く。この部屋は、壁一面が本棚になっている。そこには難しい戦術書や歴史書、魔術書などがたくさんあった。カムイには到底読めないようなものばかり。だがいつだったかレオンは言っていた。いつかカムイ姉さんもこのくらい読めるようにならないとね、などと。 テーブルにも本が一冊置かれていた。きっと、これも難しい本だろう。カムイは座るように促され、そのまま腰を下ろす。いつもと同じ位置ではなかった。それに妙な感覚を抱いていると、レオンが引き出しから何かを取り出した。カムイが首を傾げた。よく見えなかったから、彼が手にしているものが一体何なのかさっぱりわからない。 「これ、カムイ姉さんに似合うと思って、さ」 つかつかとレオンが近付いてくる。椅子をくるりと動かして、鏡にカムイを映す。長い髪は波の様で、それでいてきらきらとしている。真っ赤な瞳が不思議そうにしているのをレオンは見、ひとり早まる鼓動をなんとか落ち着かせようと深呼吸をした。何が起きるのかわかっていないカムイが「レオンさん?」と呼ぶ。 「……つけても、いいかな」 「えっ?」 「白薔薇の髪飾りだよ」 君のために作らせたんだよ、とレオンは言う。カムイの顔が紅潮する。彼から何かをもらうことは、今までも何度かあった。けれど、こういったプレゼントは初めてだ。真っ白な薔薇。それが髪に触れるか触れないか、といったところでカムイがこれまでよりずっと大きな声で「レオンさん」と発した。彼の手が止まる。 「……あの、ひとついいですか、レオンさん。白い薔薇には私はあなたにふさわしい、っていう花言葉があって」 「――」 「その……私が、あなたにふさわしい女になれたら、つけたいです。このとても綺麗な髪飾りを。だから、もう少し待ってくださいませんか」 カムイの顔は先程以上に真っ赤だ。ほとんど告白みたい、だとか自分でも思っている。レオンは目を見開いて、それから「うん」と頷いて応える。その時を楽しみにしているよ。きっと誰よりも美しいと思うよ。髪飾りをそっとテーブルに置き、そう続けたレオンにカムイは微笑むのだった。 ◆ 「それで、今はその大切な髪飾りをつけているのね?」 そういえば明後日レオンが透魔に来るものね。アクアが納得、といった様子で言った。 「今思えば……ちょっと、だいぶ、恥ずかしいのですが。それでも」 「いいと思うわ。あなた、黒い薔薇よりも白い薔薇のほうが似合いそうだし」 「そうですか? 黒も確かに綺麗ですよね。でも、やっぱりカミラ姉さんとかのほうが似合うでしょうし」 「ふふっ、そうね。明後日が楽しみだわ」 アクアが言う。どこか妖しげな光を灯した瞳が、カムイをとらえる。 「私の願いはね、カムイ。あなたに幸せになってもらうことなの。でも、きっとそう遠くない未来、叶うでしょうし、良かったわ。……あら、もう随分と時間が経ってしまったわね。悪いけどここで失礼するわ。あなたも仕事がたくさんあるのでしょう? 明後日までに落ち着かせておかないとね」 じゃあまたあとでね、と言ってアクアが出ていってしまった。カムイに返事をさせる時間も与えずに。ひとりになって改めて白薔薇に触れた。かあっと頬が熱くなる。 ――まだ、カムイとレオンの物語は始まったばかりだ。 title:ユリ柩 |