出口の無い迷宮を、彷徨っている。
 行き着く先も無く、何かが得られるというわけでも無く。
 
 たとえば、この道の先に誰かが居て、優しく手を差し伸べてくれたのなら。
 たとえば、この道の何処かに誰かが居て、一緒に歩いてくれたのなら。
 
 ――そんな仮定の話は無意味だと知りながら、私は彷徨っている。
 
◆ ◆ ◆

 
 「青獅子の学級」の女生徒アネットが、ひとりで食堂に姿を見せた。彼女の表情はあまり優れない。先に椅子に座っていたシルヴァンは小首を傾げる。ここにはイングリットもアッシュの姿もあり、フェリクス、ドゥドゥー、そして級長のディミトリも既に定位置に座している。不思議そうな目をしたのはシルヴァンだけではなかった。辺りを見回すイングリットに、何処か不安げなアッシュ。
「アネット。メルセデスはどうしたんだ?」
 代表して問いかけたのはディミトリだった。彼はファーガス神聖王国の王子であり、いずれは国王になる身。金色の美しい髪が小さく揺れた。
「あ、メーチェは……なんだか具合が悪いみたいで。ご飯は要らない、って言ってて」
「それは珍しいですね。大丈夫なのですか?」
 アネットの返事にイングリットが表情をわずかに歪めた。
 そういえば「青獅子の学級」の生徒たちは、昨日ガルグ=マク近郊の森で、盗賊討伐の課題をこなしてきたばかり。昨日は悪天候で、冷たい雨の中、それぞれの得物を振るって戦ったのだ。それで、メルセデスは体が冷えてしまったのだろう――少女たちのやり取りを聞いて、シルヴァンやディミトリはその答えにたどり着く。
「ものすごく熱が高いとか、起き上がれないとか、それほどでは無いみたいだったけど……でも、先生の講義には出られなさそうだ、って」
 今日は、担任でもあるベレスの講義が学級の全員に予定されている。ベレスはガルグ=マクへ来る前、傭兵として生活を送っていたというが、教え方は丁寧で分かりやすく、それでいて話も上手いから生徒たちからの評判も人気も上々だった。「青獅子の学級」以外の生徒からの信頼も厚い。
「じゃあ、それを先生に伝えたほうがいいですね」
 アッシュが不安げな目をしたまま言う。その隣でドゥドゥーも頷いている。フェリクスはあまり感情を顔に出すタイプではないけれど、何処と無く心配そうな目をしているようにアネットには見えた。
「……それは俺が伝えておこう。ちょうど食事も終わったし、先生に用事もあるからな」
 そう言ったのはディミトリだった。彼は王子という身分だが、学友たちにはそう振る舞えと命じない。仲間として、友として、そういった関係を築きたいと願っているようだ。
「ありがとうございます、殿下」
「ああ」
 ペコリと頭を下げたアネットに笑み、彼はドゥドゥーを引き連れて食堂を出ていった。先生に用事、というのは何なのか分からないが、彼はこの学級の級長であるからいろいろと話さねばならないことがあるのだろう。
 
「――それにしても、心配だな」
 シルヴァンがぽつりと言う。それはディミトリとドゥドゥーが去って数分後の言葉。そうね、とイングリットも言う。昨日の戦いはなかなかに厳しかった。雨が降っていたというのも大きく影響していただろうが、もしかするとメルセデスは無理をしてしまったのかもしれない。彼女は魔道に長けるけれど、それもどちらかというと戦う為の魔道ではなく傷を癒やす方のそれであるし、剣や槍の扱いがとても上手いというわけではなかった。メルセデスは敬虔なセイロス教の信徒であり、王国でもずっと教会住まいをしてきた。騎士を志してきたイングリットらとは境遇が大きく違う。加えてメルセデスは、何かを傷付けるということに、怯え恐れているようにシルヴァンには見えていた。
「ねえ、シルヴァン」
「何だ?」
「……もし、時間があったら……後でメーチェのこと、見に行ってくれないかな?」
 少しの間をおいてアネットが発した言葉に、シルヴァンは若干戸惑った。もし、そういう言葉を投げかけられるのであれば、その相手は同性であるイングリットだろうと彼は思っていた。アッシュやフェリクス、そしてイングリットの目がアネットに集中する。
「……最近、メーチェがよくシルヴァンの話をするんだ」
 どうして、とシルヴァンが問う前に、アネットが綴る。
「そういう時のメーチェ、なんだかとても楽しそうで、嬉しそうなんだ……。だから」
 俯くアネットは、確かにメルセデスの一番の友であり、一番の理解者なのだ。シルヴァンはそれを察知する。シルヴァンは、ここのところメルセデスとよく話すようになった。相手がまだ知らない昔話をしたり、課題について教え合ったり。そういえば一緒に街に出たこともあった。彼と彼女の距離は、少しずつではあるが埋まっているように思える。
「……分かった。アネット、講義の後にでも行ってみるよ」
 シルヴァンは答えた。その心の目がとらえているのは、きっと彼女の姿。
「ありがとう、シルヴァン」
 彼の返事に、アネットはようやく微笑むのだった。
 
◆ ◆ ◆

 
 約束通り、シルヴァンはメルセデスの部屋に向かった。ベレスの講義が予定より十五分ほど早く終わったので、考えていたより早めに彼女のもとへ行けそうだ。マヌエラがきっと薬を用意してくれただろうから、そういった類のものを持って急いで行くわけではないが――早めに行けるというのは幸運だった。
「――」
 扉の前で、シルヴァンは深呼吸をする。彼女はもしかしたら眠っているかもしれない。眠っていたらどうしようか、と今になって考える。起こしてしまうのも悪いが、何もせずに帰るのも何かが違うように思えた。それでもシルヴァンは扉をそっとノックした。するとか細い声が返ってくる。いつもの彼女ではないと、すぐに分かってしまう程度には弱々しい。
「……俺だ。入っても構わないかい? メルセデス?」
 断られるとは思っていないが、シルヴァンは一応訊ねた。返事があって、シルヴァンはその扉を開く。
 
 キイ、と軋む音の先でメルセデスはベッドに横たわっていた。その体をゆっくりと起こし、シルヴァンに視線を動かす。彼女は熱っぽい目をしていた。それほど高熱ではない、とアネットは言っていたが、確かにこれでは食事をする気にはなれないだろう。講義に出るなんて以ての外だ。
「……来てくれたのね〜、シルヴァン」
 メルセデスは弱々しくではあるが、微笑を浮かべてみせる。ありがとう、と続ける声が掠れていた。
「薬はもう、マヌエラ先生が用意してくれているんだよな?」
「ええ。さっき、飲んだばかりよ〜」
「そうか。何を持ってきたらいいか、俺、よく分からなくてさ」
 シルヴァンが恐る恐る、といった様子で言う。メルセデスは、熱のせいで潤んだ目を彼に向けたまま不思議そうな顔をする。
「これ、ここに飾ってもいいかい?」
 彼が差し出したのは、ライラック。美しい紫色のそれは優しく笑っているかのよう。
「ええ、勿論よ〜。ふふっ、ありがとう」
 花束を視界に捉えたメルセデスが、ぱっと明るい顔に変わる。喜びが滲み出ていることに、シルヴァンは安堵した。
「喜んでもらえて良かったよ」
 ――ライラックの花束。彼がそれを選んだのには、意味がある。けれど、シルヴァンはメルセデスにそれを打ち明けることはなかった。いつか胸に芽生えたこの想いを、自らの口から伝える為に。
「メルセデス。眠ってもいいぞ」
「……ええ」
「大丈夫、俺は此処にいるから」
 メルセデスは目を大きくさせた。そしてすぐに「そうね」と言って、その目を閉じる。少しずつ――少しずつ、彼女は優しい眠りに落ちていく。
 
 出口がないと思われた迷宮。
 行き着く先すら分からなかった迷路。
 けれど、彼は手を差し伸べてくれた。一緒に歩いてくれると、そう言ってくれた。
 
「……元気になったら、また一緒に、街にでも行こう」

 シルヴァンは、メルセデスに言った。
 返事はまだ無い。けれど、きっと、その日は来る。
 ふわりと花の香りが漂ってきて、シルヴァンはこの花の花言葉を思い出すのだった。
 

薄いまどろみの花床


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2020/02/27
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