終焉のひとひら
 飽きもせずに外では雪が降り続いていた。メルセデスは読んでいた本をテーブルに置くと、意味も無く重い息を吐き出した。そろそろ眠ったほうが良い。時間を確認してそんなことを思うものの、睡魔は襲ってこない。明日は朝から親友と一緒に買い出しに行くことになっているから、早めに眠るべきなのに。
 眠れない日は、時折有る。メルセデスはもう一度息を吐く。ベッドに倒れ込んで、眠りの国への誘いを待つべきなのかもしれないけれど、何故かそういう気にはなれなかった。そういう時、決まって彼女は大聖堂へと足を運ぶ。メルセデスは青獅子の学級に属していたが、この学級でも特に敬虔なセイロス教の信徒でもあった。長いこと王国の教会で暮らしてきたのだから、当然と言えば当然である。
 今夜もまた大聖堂へ行こう、そう決めてメルセデスは腰を上げた。雪の深々と降り頻る夜だ、上着を羽織って外へ出る。白い雪片はゆっくりと、だが確実に世界の色を変えていく。雪明りのせいで、思っていたよりは暗くはない。ただただ、静寂が支配していた。
 
 大きな扉を開けると、いつもと同じようにギイという低音が響く。こんな時間で、しかもこの天気だから、誰もいないと思い込んでいたメルセデスは、先客の後ろ姿に目を丸くする。大聖堂には、燃えるように赤い髪をした青年がいた。すらりと伸びた背。メルセデスは思わず息を漏らす。そして、彼もまた振り返る。驚き顔をしているのはどちらも一緒だった。
「メルセデス……」
 先に声を発したのは「先客」の方だった。彼の声は然程大きくはない。だが、この静かな空間では確かにメルセデスの耳へと届く。シルヴァン、とメルセデスも彼の名を口にした。シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ。メルセデス同様に青獅子の学級に所属していた人物だ。ファーガス神聖王国でも、屈指の名家の出でも有る。
「……こんな時間に、珍しいわね〜」
 メルセデスが微笑みを見せた。
「ああ、ちょっと……眠れなくて、さ」
「あら、じゃあ、私と一緒ね?」
 答えるシルヴァンに、メルセデスはすっと歩み寄った。彼は僅かながら笑んでいるけれど、メルセデスは察してしまう、それが無理に作ったものであると。彼が眠れない理由を見つけたわけではないけれど――それが酷く冷たい何かであることは分かってしまった。この夜に広がる空気よりもずっと、ずっと、冷たい何かだ。
「……ねえ、シルヴァン。少し、此処にいてもいいかしら?」
 メルセデスは尋ねた。それにシルヴァンは「ああ」と答える。もうそこに笑みは無い。彼は今も苦しみの中にいるのだ、メルセデスは思い起こす。自分たちがまだガルグ=マク大修道院にある士官学校で、ただの生徒だった頃の「ひとつの課題」を。
 シルヴァンは前述の通り、ゴーティエ家という名家の出だ。ゴーティエ家は、紋章の有無を重視する家として知られている。それは、女神より与えられし力。次男であるシルヴァンには紋章が有ったが、彼の兄は紋章を持たなかった。ただそれだけのことで、ゴーティエ家の長男――マイクランは廃嫡された。そしてマイクランは賊に身を窶し、家に伝わる「英雄の遺産」を持ち出し、だがしかしその力に飲み込まれ――シルヴァンたちによって倒された。それが教団から出された「課題」だったのだ、あの節の。
 彼はきっと、その時のことを思い出してひとり此処にいたのだろう。メルセデスは何も言わずに傍らに立つ。紋章は何もかもを乱す。人生を。未来を。本当にたくさんの人間が、その力に振り回されてきた。メルセデスには、それが痛いほど分かる。賊になってしまったとしても、何があったとしても――マイクランはシルヴァンにとっての兄だった。酷く疎まれても。殺されかけたとしても。血を分けた兄弟であることに変わりはない。
「……」
 メルセデスは何も言わぬまま、シルヴァンの手を取った。それに驚いて、彼は彼女に目を向ける。メルセデスにも生き別れの弟がいる。エミール。彼の名を忘れた日は一度も無い。彼は紋章持ちで、けれど、同じ道を進むことは出来なかった。世界の理は本当に非情である。
「シルヴァン。私はあなたの味方。何があっても、どれだけの時が経っても……それは変わらないわ〜」
「メル、セデス……」
 絞り出すように続けられた言葉に、シルヴァンは瞳を潤ませた。こんな風に弱みを見せたくなかったけれど、彼女の綴るものはあまりにも優しくて、歯止めがかからなかった。
 兄を、倒さねばならなかった。その身に同じ血を流す兄を。無理に英雄の遺産を使って、そのまま魔獣に成り果てた彼。だが、どんな姿になろうとも、シルヴァンにとってマイクランは兄だったのだ。兄殺しの罪を背負わされた。それが正しいことだと押し付けられて。
「だからね、シルヴァン。私の前では、自分を偽らないで?」
 メルセデスは両手で彼の手を包み込む。とても温かい。彼女のそれは自分のものよりもずっとずっと小さいのに、その熱度は思っていた以上だった。
「……あ、ああ……メルセデス」
 ありがとう、という言葉が落ちていく。
「俺も……君の味方であり続けるよ、いつまでも、な」
 そう口にしたシルヴァンは、潤んだ瞳にメルセデスのことだけを映し出していた。

title:天文学

2020/02/06
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