たった一度の過ちと永遠
※赤ルートでメルセデス&シルヴァンをスカウトした前提のお話です。
――アン。
私は彼女のことをそう呼んでいた。
王都にある魔道学院。そこに在籍していた頃からの「親友」。
少し歳の離れた私にも優しくしてくれた、明るくて、優しい少女。
誕生日も同じ月だから、親しくなってからは毎年一緒にお祝いもした。
けれど、今はもう会えない。
私にだけ降り注ぐ時間はあまりにも冷たくて、あまりにも残酷だ。
私がこの現実を手繰り寄せたというのに。
* * *
叩きつける雨の音で私は目を覚ます。まだ、朝は遠いらしい。部屋は薄暗い。灯っているのは小さなランプひとつだけ。上半身をゆっくりと起こして目を擦る。その音に気付いたのだろう、この部屋にいるもうひとりの人物がこちらに目を向けた。
「……メルセデス?」
起きたのか、と問いかけるのは私と永遠の愛を誓った男性。少しだけ目を丸くさせている彼の名を呼べば、彼は僅かに笑みを浮かべた。もしかして起こしてしまったのか、と申し訳無さそうに言うので「そうではないわよ」と首を横に振る。
あれから何年経っただろう。長い戦争が終わって、ようやく平穏が訪れて。その平穏はあまりにも多くの犠牲の上に成り立っている。私たちはもともと属していたファーガス神聖王国ではなく、様々な理由から別の勢力に属して戦った。そして、その先に今がある。しかしそこに至るまでの道はあまりに険しく、哀しみと痛みばかりの日々だった。
「雨、止まないわね〜」
「ああ、そうだな」
あまり雨は好きではない。いろいろなことを思い出してしまうから。私は大きく息を吐きだした。自分でも少々驚くほどに重い息を。彼は読みかけの本に栞を挟む。どうやら、随分と難しそうな本を読んでいるようだ。仕事の為に、仕方なく読んでいるのかもしれない。本をテーブルに置いて、彼は私のすぐ隣に座った。ベッドがギシと軋む。
「よく眠れないのか? メルセデス、さっきも少し魘されていたぞ」
彼の言葉は優しい。私は目を大きくし、そして頷いた。彼に嘘を並べ立てることはしたくなかった。激戦のフォドラを駆け抜けて、厳しい戦いの中で愛を育み、一緒になることが出来たのが彼なのだ。嘘で自分を塗り固めてすべてを偽るなんて出来ない。
「……ちょっと、昔の夢を見たのよ〜」
私の返事は短かった。しかし、彼はすべてを察したようだった。私たちはもともとガルグ=マク大修道院にある士官学校の生徒だった。私も彼も、ファーガス神聖王国出身者の集う「青獅子の学級」に所属していて、いろいろな事情から傭兵上がりの教師だったベレスが担当する「黒鷲の学級」に移った。それも、ほとんど時を同じくして。「黒鷲の学級」の級長を務めていたのが、エーデルガルト。先生に導かれ、そして彼女の理想と正義を信じて戦ったのだ、私たちは。
「そう、か……」
だがその選択によって、引き裂かれた友情があった。彼が俯く。私がそうであったように、彼もまたそうなのだ。私と同じ痛みを彼は知っている。心を抉られ、身を切り裂かられるような、激しい痛みを。時間が癒やしてはくれない深い傷を、私たちは背負っている。
「……ごめんなさいね、シルヴァン。あなただって本当はとっても辛いのに、あの頃を思い出させてしまったわね」
私はそう小さな声で発し、彼――シルヴァンをそっと抱きしめた。彼も、幼馴染と呼べる大切な友人を亡くしているのだ。もし、私やシルヴァンが「青獅子の学級」の生徒であり続けていたのならば、と考えることは多々ある。けれど、それは全部が「もしも」の話。ディミトリがファーガス神聖王国の王としてこのフォドラを統治していたかもしれない、仮定の話だ。雨音がひっきりなしに続いている。
「それは君も……メルセデスも一緒だろ?」
シルヴァンが声を絞り出した。
「そう、ね……アンと一緒にいられる未来があったら、って思うと、どうしても……ね」
あれから、彼女の名を口にすることが怖かった。アン。そう呼ぶだけで涙が溢れ出てしまうだろうから。実際、今も目頭が熱くなって、堪えきれずにそれが頬を伝っている。アン――アネット。いつも前向きで、弱音を吐かず、まるで太陽のように眩しい笑顔をしていた少女。私にとって一番の、とても、とても大切な友人だった。
しかし、そのアンも、もういない。あの運命の日を――永遠の別れの日を私は思い出した。ごめんね、と涙声で言うアンに「これは戦争なのだから」と口にした私。それは彼女では無くて、自分に言い聞かせようとしていたのかもしれない。今となってはそう思える。痛いよ、と崩れ落ちた彼女に思わず駆け寄った私。消えかかるアンの命の灯。その時、アンにはもう何も見えていないはずなのに、私は目があったように思えた。そしてほんの少しだけ微笑を浮かべたように見えた。ああ、私が、紛れもなくこの私が、彼女を――アンを殺したというのに。
「……ごめんなさい」
私は泣いている。まるで外で降り続いている雨のように、涙が止まらない。アンに会いたい。でも、会えるわけがない。親友を殺した私は、アンのいる天国になどいけないのだから。これは事実。許されてはいけない。許してはならない。それなのに、アンへの思いが溢れる。シルヴァンは、その間ずっと私の背を撫でていた。その手のあまりにも優しいぬくもりもまた、事実だった。