傷も編み上げ微笑んで
「――久し振りね、カムイ。レオン」
数カ月ぶりに透魔王国へ足を運んだカミラは、挨拶の言葉を発しながら微笑む。季節は冬で、まだまだ春は遠いが彼女はまるであたたかな春風を纏っているかのよう。
「お久しぶりです、カミラ姉さん」
「うん、カミラ姉さんも元気そうで良かったよ」
妹と弟の台詞に、カミラはもう一度微笑った。光と闇の狭間に揺れた第三の王国――透魔王国。長きにわたる戦争が終わり、この地の女王となったのはやはり白と黒に翻弄されたカムイである。
彼女は戦後、暗夜の第二王子レオンと目出度く結ばれ、今の関係を得た。兄マークスを、ひいては暗夜王国をずっと支えてきたレオンが祖国を離れることにカムイは悩んだようだったが、最終的にはレオンの想いを尊重した。それに、カムイがレオンというひとりの人間を愛したのも嘘偽りのない真実だった。かつては血の繋がらぬ姉と弟として――今は女王とその王配として、平穏な日々とそれが永久に続くことを願って、多忙な日々をここ透魔王国で送っている。
「マークス兄さんとエリーゼさんもお元気ですか?」
カムイが問いかける。暗夜の若き王マークスは今も変わらず敬愛する兄で、その国の末姫であるエリーゼもまた可愛い妹のままなのだ。カミラは「ええ」と目を細める。カムイが暗夜王国ではなく、だが白夜王国でもなく、どちらか片方ではなく両方を救う道を選択し――紆余曲折を経て彼女のもとにきょうだいたちが集い、真の敵を打ち破って、それから時は流れた。カムイは多忙を極めているが、心から愛するレオンと、親友とも言えるアクアの存在もあって、幸せな日々を過ごしているというわけだ。勿論、カミラたちと離れて暮らすのは少々寂しいが。
「良かったです。暗夜の冬は酷く冷えますから、心配していたのです。ね、レオンさん?」
「ああ、兄さんたちが元気だって聞いて安心したよ」
口々に言うふたりを見つめるカミラは穏やかな表情。彼女は臣下であるベルカと数名の暗夜兵とともに、この透魔王国へやってきた。滞在するのは三日間。暗夜王マークスからの手紙を届ける、という目的もあるが、可愛い妹と弟に会いたい――というのが本音である。その手紙もカムイとレオンを案じるものであり、そう深刻な内容ではない。エリーゼの手紙も同封されている。
「ふふ、あなたたちも変わらないみたいで良かったわ」
並んで揃いの赤い瞳を向けるカムイとレオンに、カミラはほっとした様子を見せた。離れて暮らしているのだから、無理のない話。そう簡単に会いに行ける立場でもない。
そんなカミラを、カムイとレオンは温室へと連れて行った。温室にはたくさんの花が育てられている。カムイは花が好きで、彼女が中でも一番好きなのは「北の城塞」の中庭で育てていた白い花なのだが、残念なことに透魔王国では育たないという。それを聞いたカムイがしゅんとしているのを見て、レオンは別の花を用意させた。少しだけ花の大きさが違うが、色合いと葉がよく似た花だった。カムイは彼の気配りに飛びついて喜び、すぐに温室に植えたのだ。今はそれがちょうど見頃だから、自分を慈しんでくれる優しい姉に見せたいと思ったのだった。
「まあ、本当にいろいろな花が咲いているのね」
温室へ足を踏み入れたカミラが開口一番に言う。
「この辺りのお花は、暗夜だとやっぱり光が足りなくて咲かないそうなんです。でも、綺麗でしょう?」
暗夜で咲ける花というのは限られてくる。闇に支配され、寒冷なあの国にはあまり色というものが溢れていない。けれど、それでもカムイは――カムイたちは暗夜王国という国を愛している。自分たちを育んだのは、あの黒い空に見下された地なのだ。血の繋がりがあるとか無いとか、そういったことは関係無く。
「ええ、とっても綺麗ね」
カミラが大きく頷いてみせた、その時だ。温室の戸がキイと音を立てた。
「……あら?」
姿を見せたのはアクアだった。美しい歌を紡ぐ歌姫であり、カムイにとっては特別な友。白夜に生まれて暗夜で育ったカムイと、暗夜に生まれて白夜で育ったアクア。大きく違っているようで、よく似ている。たとえるならばもう一枚の翼のような、そんな存在。そんなアクアはひとりではなかった。後ろにまだ幼い少年の姿がちらちらと見せる。
「ああ、フォレオ。フォレオも一緒に来たのですね」
フォレオ、と呼ばれた少年がおずおずと前に出た。彼はカムイとレオンの間に生まれた子。透魔王国の第一王子だ。顔立ちはレオンと瓜二つで、けれども髪色はカムイにそっくりだ。
「花を見に行きたい、って言っていたから連れてきたのよ。ふふ、カミラ。久し振りね」
「まあ、そうだったの。アクアも元気そうで良かったわ。フォレオも、ね」
久々に会うカミラに、フォレオは少々緊張しているようだ。けれど、それでもしっかりと挨拶を返す。教育が行き届いているのだろう。
「フォレオ。フォレオはどの花を見に来たんだ?」
静かに問うのはレオンだ。フォレオはとことこと歩いて、白い花のそばで止まる。それこそがカムイがカミラに見せたいと願った花だった。きらきらと輝く星のようだ、とそれを見たカミラは思う。それをそのまま口にすると、カムイとレオン、そしてアクアも穏やかに微笑んだ。これは、透魔王国を見守ってくれている星。そう思うと心がじんわりと温かくなっていく。フォレオも嬉しそうだ、緊張感も緩んだようで温室の奥まで駆けていく。ここにはもっとたくさんの植物が植えられているのだ。
「いつか、マークス兄さんやエリーゼさんにもお見せしたいです。勿論、白夜のリョウマ兄さんたちにも」
カムイは言う。大きく頷くのはレオン。僅かに瞳を潤ませるのがカミラ。そうね、と答えるのがアクア。自分たちは、熾烈な戦いの道を突き進んだ。暗夜だけではない。白夜だけではない。すべてを救う為に剣を握った。それはある意味すべてを敵に回すことだったのかもしれない。
事実、カムイは一時的にレオンなどと対立した。手を取り合う未来など夢物語に過ぎないと思い込んでいたレオンたちを説得したのは、真っ直ぐなカムイの言葉と瞳。その荊棘の道を進んでいった結果が、今だ。光に属し、けれど闇にも属し、この世界のありとあらゆるものを彼女は愛した。ハイドラが討たれ、破滅の道は崩れた。大きな傷を負ったけれど、それも少しずつ癒えつつある。
「カムイ。あなたが願った世界は本当に美しいわね」
そう呟くように言うカミラに、皆が微笑を浮かべるのだった。