Gift

 澄み渡る空の下、若い男女が手を繋ぎ、微笑み合いながら歩いている。きっと恋人同士なのだろう。季節は冬で、気温もぐっと下がるようになった。吐き出す息も、白く染まっている。「寒くはないかい」と優しく問う男性に、女性は「ええ、私は大丈夫よ」と答えている。そのやり取りも、大変仲睦まじく、結構なことだが、見ているこっちが少々恥ずかしくくらいだ――自宅を出て、フォンテーヌ廷を歩んでいたフリーナは、思わず溜め息を吐いた。そんな彼女の反応に、彼らは当然だが気付いていない。「でも君の手は少し冷たいね、カフェにでも入って熱い紅茶でも飲もうよ」「あら、それはとても素敵な提案ね」「君の好みそうなお店がこの先にあるよ」などと、彼らの甘ったるい会話に、終わりは見えない。
「――」
 フリーナは空を仰いだ。例の男女は、いつの間にかフリーナの視界から消えていた。どこかの曲がり角で別方向へ歩んでいったのだろう。ふう、と改めて息を吐く。
 フリーナが街に繰り出した理由はひとつ。明日は「彼」の誕生日。その贈り物を買いに出てきたのだ。勿論、今までも毎年、何かしらの形でその日を祝ってきた。だが、今年は特別だ。彼と彼女の関係が一歩前へと進んで、はじめての誕生日だから。心優しい彼のことだから、何を贈っても喜びはするだろう。けれど、フリーナは心の底から彼に喜んでほしかった。互いに一番の存在になったからこそ、適当な贈り物で誤魔化すようなことはしたくなかった。まだ、何を贈るのか、答えは見つかっていないけれど。
「いらっしゃいませ、贈り物に如何ですか?」
 恰幅の良い女店主が、声を張り上げて、道行く者たちを呼び込んでいる。どうやらここは、茶葉やちょっとした菓子を売る店のようだ。店内には、既に何人かの客がおり、所狭しと並べられた商品を手に取りながら、買い物を楽しんでいる。少々値が張る茶葉も、幾つか置かれているようだ。プレゼントには丁度いいのかもしれない。試飲も出来るらしく、ふわ、と芳しい香りが漂ってくる。フリーナは少しだけ迷った。この店で良いものを探すのも、良いかもしれない。だが、他にもあるかもしれない。心は揺らいだが、一旦、別の店を見てからにしよう、とフリーナは考えた。
 一先ずその店を離れ、また彼女は歩み出す。ばさばさと羽音が聞こえて、頭上を見てみれば、白鳩が何羽かで飛んでいく様子が見えた。彼らは一体、何処を目指しているのだろう。羽を休めるところへ向かう途中なのだろうか。
 フリーナがぼんやりとそんなことを考えていると、今度は背後から呼び止める声がした。えっ、と思って振り返ると、そこに居たのは金髪の少女と、その相棒。名は蛍とパイモン。蛍は旅人で、ある目的の為にテイワット七国を巡っている。
「久し振りだな、フリーナ!」
 まず大きく手を振って挨拶をしたのが、パイモンである。小さな体でふわりと宙に浮き、つぶらな瞳でフリーナを見ている。そのすぐ隣で蛍も「久し振り」と微笑んでいた。こうしてこのふたりに会うのは確かに久々のことだった。彼女は冒険者としても名が知られているから、冒険者協会のキャサリンのところへ、顔を出したところなのかもしれない。
「フリーナは此処で何をしているの?」
 蛍が不思議そうに尋ねる。彼女からの問いに、フリーナは口籠った。本当のことを言うのは、少しだけ恥ずかしい。だからといって、嘘を並べ立てるのも良いこととは言えない。なかなか返って来る様子のない返答に、旅人は首を傾げている。
「えーっと、その……」
「……もしかして贈り物を探している、とか?」
 蛍のそれは、心を読むかのようだった。
「どっ、どうして――」
 キミがそれを知っているんだ、まさかキミって人の心を読むことが出来るのかい、と思ったが、それを最後まで言葉にすることは出来なかった。それくらい驚いたのだ、フリーナは。
「ついさっき、メリュジーヌたちが『明日はヌヴィレット様のお誕生日だから、みんなでお祝いしようね』とか『じゃあ、みんなで一緒に素敵な贈り物を探さなきゃ!』って話をしているのを耳にしたから……」
 彼女の台詞に、フリーナは赤い顔のまま項垂れる。なるほど、と、なんとか声を絞り出す。メリュジーヌたちが彼へ贈り物を探す図というのは、確かに簡単に想像することが出来る。彼女たちは彼に恩があるし、総じてそんな彼のことを慕っている。
「で、おまえもヌヴィレットに何かを贈りたいんだな?」
 パイモンが確認するかのように言うので、フリーナはそれを認めた。まだ少し紅潮したままの顔をふたりへ向ける。このふたりには、知人や友人がたくさんいるらしい。モンドや璃月、それから稲妻やスメール。多くの国を旅してきたのだから、当然だ。であれば、贈り物を探すことだって、彼女たちにかかればお安い御用なのかもしれない。
「あ、あのさ、旅人……」
「うん?」
「……ちょっとだけ、僕の相談に乗ってくれないか」
 どうかな、とフリーナは切り出す。
「いいよ、今日はもう冒険者協会からの依頼も済んでいるから。ね、パイモン?」
「ああ! 困ったことがあれば、何でもオイラたちに相談してくれて構わないんだぜ! オイラたち、そういうののプロだからな!」
「……あ、ありがとう。助かるよ」
 小さな礼の言葉。それもどうしてだか少しだけ震えている。
「ってもう、分かっているみたいだけど……僕、贈り物を探していて」
「明日がヌヴィレットの誕生日だから、だよね」
「……うん」
 何をどんな形で贈れば良いんだろう、とフリーナは声を絞り出す。
「でも、おまえたちって、すっごく長い付き合いだろ? 去年とか、その前はどうしたんだよ?」
「うっ……それは、そう……なんだ、けど」
 言いづらい部分を指摘され、フリーナは下を向いた。彼女は、「水神」を演じる舞台から下りた。人間として生きるようになって――そして、想いを通わせてからも、はじめて迎える彼の誕生日。今まで通りの祝い方では、何かが違うように思えるのだ。前半のそれは旅人たちも無論知っていることだが、後半は、まだ誰に対しても秘密にしている。そう、誰にも、だ。
「……つまりフリーナは、いつもと違った贈り物をしたい、ってこと?」
 旅人は鋭い。なるほどなあ、と隣のパイモンも言う。
「そ、そうだよ。キミの言う通りさ……。ヌヴィレットのことだから、何でも喜んでくれると思うんだけど……僕がそれじゃ、嫌なんだよね……」
 既に少々恥ずかしいらしく、フリーナがもじもじとした様子で続ければ、ふたりは顔を見わせた。
「手作りのもの、とかは?」
「い、今から作るのかい? 誕生日は明日だし、間に合うのかな?」
「あ、そっか。……でも、無難だけど、お菓子……たとえばケーキとかなら間に合うよ?」
「ケーキか……。僕だったら嬉しいけど、彼はどうなんだろう? それに食べちゃったら何も残らないし……」
「フリーナの手作りってところに意味がある、って私は思うよ」
「そうだぞ! あとは、そうだな……何かちょっとしたオマケを用意するとかはどうだ?」
「なるほど……」
 続く会話。時間は緩やかに流れていく。恥じらいは消えないが、彼女たちに「相談」を持ちかけて、いろいろと考えるのは意外にも楽しかった。自分ひとりだったら、考え付かないことだった、というのもあるかもしれない。
「じゃあ、ケーキを作ってみようかな。オマケ……に関しては、うん……後で考えるよ」
 フリーナは言った。上手く作れる自信は無いが、想いを込めればきっと彼の心に届く筈。そう思えたのだ、彼女たちとのやり取りのおかげで。
「ありがとう、ふたりとも」
 僕は買い物の続きをするよ、と言って、フリーナは彼女たちに背を向ける。うん、と頷く蛍の声。おう、頑張れよ、というパイモンの声。それを受け止めて、フリーナの姿は街の雑踏に消えていった。

 ◇ ◇ ◇

「……ヌヴィレット様」
 水の国フォンテーヌ。その中枢――パレ・メルモニア。ヌヴィレットの姿は、今日も変わらず執務室にあった。そろそろご休憩のお時間です、と部下のひとりが姿を見せて、彼はおもむろに顔を上げた。机の上に積み上げられた書類は、半分程度が処理済みだ。つまり、まだ目を通さねばならないものが、半分は残されているということになる。ペンを置き、インク瓶を閉める。
「今日は、ヌヴィレット様のお誕生日ですね」
「……うむ、そうであったな」
「あとで、私たちから贈り物があるのです。細やかなものですが、受け取って頂けますか?」
「ああ、勿論だ。……ありがとう」
 目を細める彼に、メリュジーヌたる彼女も笑顔を見せる。水の注がれたグラスを、彼女はそっと彼の机に置いた。今日ご用意させて頂いたのはモンドの水ですよ、と付け加えて。ヌヴィレットはそっとそれに手を伸ばした。注がれた水がゆらりと揺れる。口元へ運んで、香りを楽しむような仕草のあと、一口飲んだ。確かに「自由の国」モンドを思わせる味わいだった。充分に冷えたそれは、疲れた身体に染み渡っていくかのよう。
「――?」
 唐突にまた、扉がノックされる。何事だ、と思って応じると、今度はまた別のメリュジーヌが姿を見せた。ヌヴィレット様、今お時間はありますでしょうか、と。
「ああ、大丈夫だが。……何かあったのか?」
「……ええと、その……お客様がお見えになられていて」
「私に?」
「はい」
 今日はなにか約束があっただろうか、とヌヴィレットは考えた。だが、何も引っかからない。
「それは一体」
 何処の誰だろうか、と彼女へ訊こうとした瞬間、脳裏に過る。蒼い目をした少女の微笑みが。銀色の髪をした少女の姿が。
「では、こちらにお通ししても――」
「構わない」
 ヌヴィレットはグラスを置いた。先にこの場に居たメリュジーヌも、「ならば私も失礼しますね」と下がり、一時的に執務室が彼だけの空間となる。カチ、と時計の分針が進む。流れる時間がほんの少しだけ、冷えたように感じられた。ヌヴィレットは左胸に手をあてがう。どくどくと鼓動する心臓。これがこんな風に急く理由も、なんとなくではあるが、察することが出来た。その数分後、再び扉がノックされた。彼が「どうぞ」と応えると、重い扉がゆっくりと開かれる。ギイという乾いた音をたてながら。
「――」
 姿を見せたのは、想像していた銀髪の少女であった。何か包みを抱えて、ヌヴィレットの方を見ている。急に来てごめんね、今の僕には此処へ来る権利なんて無いのにさ、と弱々しい声を発しながら。
「あ、ああ、いや……それは構わないが。……久しいな、フリーナ殿」
「う、うん。ありがとう……久し振りだね、ヌヴィレット」
 しばらく沈黙が続く。それは重々しいものではなかったが、ただ優しいものというわけでもなかった。
「……元気にしていたか」
 それを破ったのはヌヴィレットだった。張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ気がする。
「う、うん。キミも……元気そうだね」
「ああ、変わりない」
「そっか。……えっと、その。今日はキミに、渡したいものがあって……」
 本題を切り出すフリーナへ、ヌヴィレットは黙ってその先の言葉を待った。
「……きょ、今日はキミの誕生日、だろう? い、いや、今の僕に……ただの人間に過ぎない僕なんかに、最高審判官であるヌヴィレットの誕生日を祝う資格なんて、無いかもしれない……。そう、分かっているつもりだよ。……でも、どうしても、キミに気持ちを届けたくて……。キミの部下のメリュジーヌたちに我儘を言って、此処まで入らせてもらったんだ。ご、ごめんね、こんな……身勝手に」
 一体、何処まで言えばいいのか。フリーナは分からず、少々震えた声でそう綴る。
「ヌヴィレット。う、受け取ってくれるかい? いや、もし嫌だって言うなら、このまま持って帰るよ……」
「――フリーナ」
 俯き、辿々しく続ける彼女の名前を、ヌヴィレットはそっと呼んだ。
「君は、思い違いをしている」
「え……」
 おずおずとフリーナが顔を上げた。
「君からの贈り物は、有り難く受け取ろう。……私がそれを嫌がるわけが無かろう」
 ヌヴィレットは手を伸ばした。その大きな手に、彼女は包みをそっと差し出す。それは想像していたよりも軽い。中身はなんだろうか、と彼は考えを巡らせる。
「今此処で開けても、構わないだろうか?」
「あ、う、うん……勿論、どうぞ」
 青いリボンを解く。彼女の瞳に似た色合いだな、と感じながら。
「――」
 出てきたのは小さな箱。それを丁寧に開けると、中には、赤いフルーツが乗ったシンプルな白いケーキ。これはもしかして、と問えばフリーナが頬を赤らめて頷く。うん、僕が作ったんだよ、キミの為に。続く彼女の答えに、胸がぐっと締め付けられる。
「キミの口に合うように、甘さも控えめにしてみたんだよ」
「……そうか、ありがとう。……あとでじっくりと頂くとしよう」
「あ、あとね、もうひとつ……渡すものがあるんだ」
「まだ、あるのか?」
 そんなに貰って良いのか、とヌヴィレットが言う。
「うん。だって……キミは、僕の……特別な人だから」
 フリーナが真っ赤な顔になる。つられるように、ヌヴィレットも頬が熱くなるのを感じた。彼女の言う通りだ、自分たちはそういった関係にある。長年積み重ねてきた想いを通わせたのだ、たとえ彼女が「普通の人間」であろうと――彼女へと向ける想いは、ほんの僅かも変わらなかった。ケーキの箱を一度机に置き、その腕をフリーナの方へと伸ばす。彼女の細い身体を引き寄せる。背中を何度か優しく撫で、彼女が此処に居るということを改めて感じ取った。
「フリーナ……」
 名を呼ぶ声は、普段と少し異なった熱度。
「君のその言葉が、何よりも嬉しく思える」
「……はは、それは僕も嬉しいけどさ、ケーキもあとでちゃんと味わってくれよ」
「……無論、そうするが」
「あと、それに――贈り物はもうひとつあるって、言ったじゃないか」
 そこでヌヴィレットが、ようやく彼女の身体を離す。はい、と手渡してくるそれは、花の描かれた栞。花弁は空にも海にも負けないほど、美しい青色をしている。もしかしてこれも、と問えば、彼女はこくりと頷いた。うん、僕が作ったんだよ、と。
「キミはよく本を読んでいるし、実用的なものを贈りたくて。キミにぴったりの花言葉を調べて……その花を本で探して、自分で描いて……作ったんだ」
「花言葉……」
 この花の種名をこの場で言い当てることが、ヌヴィレットには出来ない。故に、この花がどのような意味を持っているのかも。だが、今は、そのままで良いように思えた。彼女の気持ちは分かっている。そして、彼女もまた、自分の気持ちを理解してくれている。此処にあるのは、確かに「愛」と呼ばれるものだ。見間違える筈もない。
「……有り難く、受け取ろう。フリーナ。君の想いも、贈り物も――全部」
「……うん」
 はにかむ彼女の手を取る。長さも太さも全く異なった指と指が絡み合った。
「キミが喜んでくれて、僕も嬉しいよ」
 また来年の誕生日も、こうやって祝いたい。フリーナが言った。
「ああ。だが、その前に、私にも君の誕生日を祝わせてくれるな?」
「……それはすっかり忘れてたよ。結構先になるけれど……楽しみにしてるよ、ヌヴィレット」


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2023年ヌヴィレットさんのお誕生日おめでとう小説でした。

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