運命の子

 空には無数の星と、闇を穿つかのような丸い月が浮かんでいる。この地で生きる人々の大多数は眠りに落ちており、草木も静かに夜風に身を任せた。
 正義の国であり、水の国とも呼ばれるフォンテーヌの中心都市――フォンテーヌ廷。高い城壁に囲まれ、街路樹の一本一本にも、丁寧に手が加えられた、大変に美しい街である。そんな街の中心と言えるのが、パレ・メルモニアだ。最上層にあるそこはフォンテーヌの行政府であり、水神「フォカロルス」――フリーナの居室や、最高審判官であるヌヴィレットの執務室などが存在する。
 そのフリーナとヌヴィレットの間にある、深い関係を知る者はひとりもいない。彼らは少し前に想いを通わせたが、この関係を得たその瞬間から、自分たちだけの「秘密」とすると決めたからだ。
 フリーナは、七神と呼ばれる神の一柱であるし、ヌヴィレットもまた、テイワット全体から見ても特別な存在。すべてを秘密としようと先に言ったのはヌヴィレットで、フリーナの方も文句を言わなかった。寧ろ彼の提案に「僕たちだけの約束だね」と微笑みを浮かべてすらいた。
「……はあ」
 窓の向こう側は、夜闇に沈んだ世界。そんな時間帯であるというのに、目が冴えた様子のフリーナは大きく息を吐き出す。えらく落ち着かない様子だった。少女の心臓は酷く早く鼓動し、静寂に包まれた街並みとはあまりにもかけ離れている。理由はひとつ。これから「彼」が――ヌヴィレットがこの部屋に来るからだ。
 前述の通り、彼らは特別な関係にある。一言で言ってしまえば、「恋人同士」である。人々が寝静まった時間帯に、男女がひっそりと会う、というのがどういった意味を持つのか、これが分からないほどフリーナは子供ではなかった。彼の方だって、そういうつもりで足を運んでくるに違いない、とも思う。だからこそ、フリーナの心は落ち着かない。
「……」
 フリーナはベッドの横に置かれたテーブルを一瞥した。そこには、フォンテーヌ地域で咲く蒼色の花が生けられた花瓶が置かれている。二日ほど前に、ヌヴィレットが分けてくれたものだ。なんでも、直属の部下であるメリュジーヌのひとりが持ってきたものの一部だという。メリュジーヌというのは、この国で人間と共存する種族であり、小さな体に純粋で無垢な心を埋め込んでいる。この街の中でも普通に見かけられ、ヌヴィレットは何かと彼女たちを気にかけてきた。
 綺麗な花だと、フリーナは素直に思う。だが、同時に少しだけ心が軋むような、そんな気もした。どうしてだか、それは分からない。花はいつか萎れ、枯れてしまう。だからだろうか。だが、そんな一瞬の生に人は美を感じてきたのかもしれない。自分は人とは大きく異なる。そのせいで、妙な感覚に陥るのかもしれない――でも、もしそうだとしたら、ヌヴィレットやメリュジーヌたちだってその筈だ。
 と、考えたところで、フリーナは思考の海から引き上げられる。扉が何回かノックされたのだ。丁寧に響くその音は、いつもと同じ四回。間違いなくヌヴィレットのものだ。どうぞ、と応える声が上擦る。
 大きな扉がギイという音をたてながら開かれる。長い髪を小さく揺らし、姿を見せたヌヴィレットはじっとフリーナの方を向いており、何処となくその表情は普段よりも強張っているように見えなくもなかった。
 おもむろに扉を閉めた彼は、寝台にぎこちなく座る彼女に一先ずの挨拶をし、フリーナも概ね同じ言葉を返す。ふたりの間に広がる空気は、ひとりで居る時とは何かが違うようにも感じられた。どくどくと左胸が騒ぎ出す。
「その……待たせてしまったか」
 ヌヴィレットの問いかけに、えっ、とフリーナは間の抜けた声を発してしまった。彼が来ることを待っていた。それは、事実である。カチコチと音を立てて進む秒針の音を聞きながら、自分は確かに、彼の来訪を待っていたのだ。
 どうか、胸の騒ぐ声が彼に聞こえないようにと強く願いながら、フリーナは返す。そんなに気にしないでくれ、と。だが、その台詞ひとつひとつも揺れてしまっていて、ヌヴィレットには何もかもがお見通しで、心の声だって全部筒抜けではないか、とも思ってしまう自分がいた。
「では、隣に座っても?」
「……も、もちろん」
 彼は確認を怠らない。それは知っていたことだけれど、こんな時でもそうなんだな、とフリーナは頭の片隅で思う。
 では、とヌヴィレットがフリーナのすぐ隣に腰を下ろした。二人分の重みを受け、寝台がギシと音をたてる。その間も時計は正確に時を刻み続けていて、それはまるで、空間を小刻みに切り分けているかのよう。
「フリーナ」
 停止することをまるで知らないその音を背景に、ヌヴィレットが彼女のことを呼んだ。
「な、なんだい?」
 いまここで、彼が何を言いたいのか。ある程度は分かっているつもりだが、本当に言いたいことが「それ」であるのかどうかは分からない。だからこそ、フリーナは小首を傾げ、疑問符をひとつ浮かべる。彼の澄んだ瞳が、じっとフリーナへと向けられた。整った顔立ちの彼に見つめられて、フリーナは両頬がかっと熱くなるのを感じる。
「……!」
 それを見て取ったのか、ヌヴィレットの左手が左頬へと伸びる。思っていたよりも、大きな手だった。それでいて、彼の体温が直接的に伝わってくる。これはつまり、逆も同じだということ。フリーナは、無意識に彼の手に自らの手を重ねた。
「……小さいな」
「そりゃ、キミと比べれば小さいだろう!」
 くすりとヌヴィレットが頬を緩めるのが見えて、フリーナは唇を尖らせる。確かにそれはそうだな、ともう一度微笑ってみせるヌヴィレットを前に、フリーナは更に己の心臓が騒ぎ出すのを認めざるを得なかった。
 ――僕は、ヌヴィレットのことが好きだ。
 この想いに気付いて、どれだけの朝と夜が巡り巡ったか。世界は変わらないようで、日々、変化している。その中で、彼へ対する感情もまた少しずつ変化していった。水神である自分にこのような感情が許されるのかは、未だに分からないまま。けれど、フリーナには、全てを押し殺して、彼への想いを封じ込めることが出来ずにいた。
 ――君は私の特別だ。この世界で何よりも、な。
 そんな時、ヌヴィレットから、同じ想いであることを打ち明けられた。普段は冷静で、どのような物事にも動じないような彼が、言葉のひとつひとつを確かめるように絞り出す様を見て、フリーナは彼の気持ちを知ることとなった。その時の喜びを、彼女はずっと覚えている。きっと、永遠に忘れることはないだろう。そう、フリーナは確信していた。この裏で、ヌヴィレットも彼女と同様の幸福な気持ちを抱いた。
「触れても構わない、だろうか」
 ヌヴィレットが口を開いた。
「あ……ああ、でも……その――や、優しくしてくれよ……」
 なんとか返せた声。あまりに頼りなく響いたそれに、ヌヴィレットが「勿論だ」と頷く。カチ、と分針が進んだ。暫く触れ合っていた手と手は一旦離れて、今度は右側の頬にヌヴィレットの手がゆっくりと伸びてくる。
 んん、と息を漏らしたフリーナの唇が塞がれたのは、その直後だった。優しく、触れるだけの口付け。けれども、フリーナにとってはじめてのそれは、心に大きな火をつけるかのよう。これ以上早まることなんてないだろう、と思えていた鼓動は更に早まり、今にも破裂してしまうのではないか、と不安になる程に激しさを増す。
「――!」
 気付くと、フリーナの小さな背中は寝台と触れ合っている。ヌヴィレットに押し倒された、と理解したところで、二度目の口付けが施された。
 彼の顔が非常に近いところにあって、緊張する。それでいて、少しだけ怖かった。まるで自分が自分でなくなっていくかのような、そんな気がしたせいだ。恐怖がフリーナの身体を震わせていることを、目敏いヌヴィレットは簡単に見抜き、もう一度名前を呼ぶ。
「そう怯えるな。私は……何があろうと、君のことを傷付けない」
 そんなことは分かっているさ、と返そうとして、なにひとつ返せない。彼の目が、声が、あまりにも優しかったから。彼との行為を怖がっている自分が不甲斐無かった。彼は、確かに僕のことを愛してくれている。だからこそ、僕のことを望んでくれている。なのに、僕は――堪えきれずにぽろりと落ちた涙を、ヌヴィレットの指先が拭った。大丈夫だ、と重ねる声に、フリーナはほんのりと温かい雫を更に溢れ出させた。
「……では、続けても?」
「ああ、いいぞ……つ、続けて……?」
 フリーナが声を絞り出した。ああ、と頷き返すヌヴィレットの声色と視線は、あまりにも優しい。
 そんな彼の手が、ゆっくりと動き、フリーナが身に纏う寝衣をはだけさせる。この部屋で、幾つか残されたままの煌々とした灯りは、情け容赦無く彼女の肌を照らし出した。柔らかく白いそれは、穢れを知らない。ふたつの胸の頂は既にぴんと立ち上がっており、羞恥のあまりフリーナの頬が紅色に染め上げられた。ふ、と彼が僅かに笑むのが分かる。直後だ、ヌヴィレットの指先がそこを爪弾いたのは。ああっ、と声が落ちる。それは、普段とまるで異なった甘い音色となって一室に響く。滲んだ視界の中、ヌヴィレットが口角を上げていた。フリーナはそんな彼の手から降り注ぐものに、身を任せることしか出来ない。
「あ、ああっ、んん……!」
 次第にフリーナの声が大きくなる。唸る波のように押し寄せるもの。それは、間違いなく快楽であった。ヌヴィレットは何度か執拗にそれを繰り返したかと思うと、手を離して次は舌先で同じ箇所を舐った。転がすように動く、生暖かな彼の舌。無論、この行為に伴うすべてが初めての感覚で、フリーナは喘ぎ続けることしか出来ない。
「――いいのか?」
 ヌヴィレットが問う。彼の声にすら感じてしまいそうで、フリーナはただ、身を捩る。水中から引き上げられた魚のように、小さな少女の身体が跳ねている。それが彼女からの返答であると察したヌヴィレットが再び笑った。素直なフリーナの反応に、彼なりの嬉しさを感じたのだろう。
「あぁ、ああ……、あん……」
 愛撫は続く。ヌヴィレットの舌がつうっと下方へと落ち、柔肌を這い回る。かと思えば胸元を弄られ、快楽の火は更に存在感を増していく。ぽろりと溢れ出る大粒の涙は、苦しみや痛みから顕現したものではない。その逆なのだ、ヌヴィレットはフリーナのそれを理解した上で、彼女の身体に熱を刻む。甲高く響く嬌声は、彼の理性を薙ぎ倒してしまいそうなものだったが、なんとか、といったところで堪える。自分まで崩れてしまったら、この夜が最初で最後の夜になってしまいそうで。
「あ、ぬぃ、れっ……あああっ、ん、あっ」
 名を呼ぼうとして、喘ぎ声が先に出る。そんなフリーナの唇を、ヌヴィレットはまたしても塞いだ。押し当てられた唇。入り込む舌。その間、彼の手は胸のあたりにあり、何度も繰り返しその箇所に刺激を与えていく。びくびくとフリーナの躰が大きく震えた。
「ああああッ!」
 叫びにも近い声が鼓膜を揺らし、ヌヴィレットは彼女の瞳から溢れ落ちた雫をも舐め上げた。加えて、それからすぐのことだ、彼の指が彼女の秘部に到達したのは。肌着越しにそっと充てがわれた彼のそれは、フリーナの指先よりもずっと太くて、そして大きい。じゅく、と何かが溢れるのを彼女は自覚する。それが、清いものではないことを、流石のフリーナも知っていた。彼と肌を重ね、身体を繋ぐ夜。自分の肉体が、彼という存在を向け入れようとしているものだと。恥ずかしさのあまり、フリーナの首が何度か横に振られた。
「嫌なのか?」
 ヌヴィレットの低い声が聞こえる。
「……もし、君がこれ以上望まないのであれば、私は――」
「……ヌ、ヌヴィ、レット」
 何かを言いかけた彼に対し、フリーナの目線が向けられた。紅色に染まった頬。涙の残る目尻。明確な恥じらいの中に、彼女なりの願いが宿っていることをヌヴィレットは見抜く。良いのだな、と問う声はきっと最後の確認なのだろう。こくりと頷くフリーナの目に、迷いは存在しない。
 情欲に染まる視線が複雑に絡み合って、またしても唇同士が優しく触れ合い――直後だ、フリーナの身に纏っていた全てが剥ぎ取られた。揺れる洋燈がふたりの輪郭線をなぞる。綺麗だ、と言葉が聞こえて、フリーナは数秒間目を閉じた。それから開いた視界の中に在るヌヴィレットへ続ける――どうか、僕を最後まで、愛して欲しい、と。
「……ああ」
 彼らは、人間ではない。「普通」とは大きくかけ離れた存在だ。今までもそうだったし、これからもそうだ。だが、人が言う「運命の人」とは彼女のことを指すのだろう、とヌヴィレットは考えていた。淡い色合いの髪に、左右で異なった色彩の瞳。フリーナは水の神であり、魔神としての名前はフォカロルス。このフォンテーヌを統べ、纏め上げる者。そんな彼女のことが愛おしい。何よりも特別になってしまった。そして彼女の方も、同じ気持ちを抱いてくれている。
 最初は一本の指で、彼女の身体を暴く。ああん、とヌヴィレットの理性をも砕いてしまいそうな声が耳を劈いた。水音が続く。狭いその部分を、何度か解すように動かした後、今度は指が一本追加される。フリーナは全身で喘ぐばかり。水の音は、そして彼女の喉から溢れ出る甘い声は、引っ切り無しに薄暗い世界で響き渡った。
「……フリーナ」
 改めて、愛する名前を口にした。うん、と彼女が頷くのが見える。もう何も、問う必要は無かった。ヌヴィレットははち切れんばかりの欲望を、彼女の濡れそぼった蕾へとあてがう。ん、とフリーナが瞑る。これはきっと無意識だろう、そんな彼女のことをもう一度呼べば、恐る恐るフリーナが開眼した。来てくれ、と唇が動いたのを見て、ヌヴィレットは覚悟を決めた。この想いが永遠に変わらないものであると誓いながら、欲の塊を埋めていく。く、とフリーナが眉を顰めている。苦しいのかもしれない。大丈夫なのか、と気遣う声に彼女が涙で応える。
「……ッ」
 一番奥まで、熱を捩じ込む。やっと、彼らはひとつになったのだ。心も、身体も。はあはあ、とフリーナが浅い呼吸を繰り返している。動くぞ、と前置いて、ヌヴィレットがゆっくりと腰を振った。寝台は大きく軋んで、フリーナの喉が仰け反る。
「あ、あああッ……あ、ああん!」
 恥ずかしいという気持ちは失せていた。この上ない快楽には抗えない。それでいて酷く幸せだった。この広い世界で、何よりも愛しいと思える存在に巡り会えたことが。
「あっ、ああ……あ、んんん!」
 よりフリーナの声が高くなる。弱いところを見つけ出したのだろう、ヌヴィレットは繰り返しそこを攻める。彼女が小さな手で、彼の背中にしがみつく。その背は、フリーナのものとは比べ物にならぬほどに広くて大きい。
 荒波のように寄せては返す快感がふたりを呑み込もうとしている。だが、それでいい。今は、このままでありたい。いつもは広い視野をもって、世界を、国を見なければならないその四つの目は、いま、最愛の存在へ向けられているのだから。
「あ、あっ、ぬぃ……れっとぉ……僕、僕――!」
「ああ……ッ」
 必死で何かを告げようとする彼女に、彼は頷いてみせた。動きが早くなる。激しくなる。何もかもが弾けて、全部が破裂する。フリーナはぐっとヌヴィレットにしがみつき、今夜一番大きな声をあげてその瞬間を迎えた。ヌヴィレットも彼女と同時に、だ。どくどくと白濁が弾け飛ぶ。ふたり、抱き合ったまま。
 ぐったりとしたフリーナのことを、ヌヴィレットは可能な限り優しく寝台に寝かせた。まだ火照ったままの頬に触れ、露わとなったままの胸元を一瞥して。
「……フリーナ」
 改めて名を口にした。そのフリーナは肩で息を続けていて、それはそう簡単に整いそうではなかった。だが、彼女の瞳は、ずっとヌヴィレットのことだけを見ている。彼女の眼差しは酷く優しく、それでいて温かい。愛おしさの滲んだそれに、ヌヴィレットはそっと手を伸ばす。彼の手に自らの手を絡めて、フリーナが目を瞑るのが見えた。
 僕たちは、ずっと一緒だ。今までもこれからも。この身が朽ち果てたその先でも、ずっと、ずっと一緒だ。運命が僕らを引き裂く日が来ても――僕はそれに抗おう。
 静かに続けられた台詞に、ヌヴィレットは「ああ」と大きく頷く。まだ乱れたままの銀髪に手を伸ばし、毛束に唇を寄せる。
「――誓おう、私の水神よ」
 ヌヴィレットの言葉に寄り添うかのように、あの蒼い花が優しく微笑んだ。この笑みが失われた世界でも、ふたりの誓いは破られない。フリーナは満足気に頷いた。

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