剥がれ落ちるゆめ

※愛はありますが救いは一切ないお話です。何でも許せる方向け。




 激しい冷雨が打ち付けている。止む気配はまるで感じられない。それに加えて、凍えるような風が吹いている。
 雨音と風の音を聞きながら、寝台の上のフリーナは、ゆっくりと瞼を開く。
「――」
 夢を見ていた。長い長い夢を。それは、とても幸せな夢だった。愛する人がいて、同じ分の愛情を与えてくれる夢。優しく伸びてくる腕、そのあたたかな腕に抱かれて、フリーナは彼の体温を感じていた。「僕はキミが大好きだよ」とフリーナが告げれば、その人は「ああ、私も君を愛している」と返してくれる。流れ落ちた涙は、現実世界の彼女の頬を伝い、寝台に敷かれた白い布に吸い込まれていく。ああ、どうか、このまま夢の世界に浸り続けられたら。そんなことを願う程、幸せな夢だった。
 けれど、夢はやはり夢なのだ。こんな天気のせいで外は暗く、灯りも落としている為に室内も薄暗い。雨はやはり止まず、風も同様。フリーナは壁掛け時計を見て、時刻を確認する。朝と呼べる時間帯であることを知り、身体を起こそうとしたが、急に全身が怠く感じられ、フリーナは深く息を吐いた。今日はもう少し眠っていてもいいか。何の約束もないし、予定も入れていない。
 もう一度、フリーナは目を閉じる。愛する人の夢が見たい。名前すら分からない、愛しい人の夢を。

 ◇

 同時刻――パレ・メルモニア。
 ヌヴィレットの姿は今朝もまた執務室にあった。正義の国――フォンテーヌ。美しい水と映える緑に恵まれた国のトップに立つのが、最高審判官である彼である。
 膨大な量の書類と睨み合う、彼の気分は優れない。ここのところ、ずっとだ。
 明確な理由はある。嘗て「魔神フォカロルス」として水神の座についていた少女、フリーナに関わることだ。フリーナはあの裁判の後、五百年もの間務めていた神の座を下り、普通の人間としての生活を始めた。パレ・メルモニアを出て、小さな新居を構えて。ヌヴィレットはそんな彼女に出来る限りの支援をした。フリーナはヌヴィレットを含め、多くの民を欺いたが、それはすべてフォンテーヌで生きる者たちの為だった。不吉な予言と、それが引き起こす破滅の未来を阻止する為に。故に、騙されていた側ではあるが、ヌヴィレットは彼女に対し、所謂負の感情を抱いてはいなかった。新しい日々を送る彼女を、少し離れたところから見守り続けたい。彼はそう願って、実際、その通りにしていた――心に抱え込んでいた想いを爆発させてしまった、あの日まで。

 ◇

 遡ること、約二ヶ月前。その日のフォンテーヌ廷は、よく晴れていた。
 フリーナは食材を買いに、多くの人々で賑わう街へと繰り出していた。そんな街を一周りし、必要なものを買い終え、自宅へ戻るその途中――ヌヴィレットと偶然出くわしたのだ。彼も、そして彼女も、大層驚いた。こうして顔を合わせるのは久々のことで、何を言ったら良いのか、それが分からなくなるほど。久し振りだね、ヌヴィレット。フリーナは少々声を上擦らせつつも、彼との再会を喜んだ。前に会ったのはいつだったっけ。そう、頭の片隅で考えながら。
「ああ、久しいな。君も変わり無いか?」
 ヌヴィレットも、その目に映るフリーナと同じく穏やかに笑み、そんな言葉を口にした。
「う、うん。僕は至って普通だよ。元気にしている。……キミは、今も忙しいのかい?」
「そうだな。だが、今日は、比較的自由な時間があってな」
 散歩に出た、という訳だ。そのように彼は言う。
「そっか。僕は買い物の帰りなんだ。野菜やパスタを切らしてしまってね……」
「……君は相変わらず、パスタばかり食べているのか」
「うっ……だって、美味しいじゃないか。……それに、茹でてソースをかけるだけで、簡単に作れるし」
 言葉を詰まらせながら言うフリーナへ、ヌヴィレットは苦笑した。前にも、似たような会話をした記憶があったからだ。ヌヴィレットは改めて、彼女の名を呼ぶ。大荷物のようだから、私が運ぼう。貸しなさい。彼は手を伸ばし、フリーナの抱えていた荷物を取り上げた。少女は「えっ」と小さく声を漏らしたが、彼の厚意を無碍にするのも悪いと考えて、「それじゃあ、お願いしようかな」と言った。彼とふたりで街を歩くなんて、今の自分からすれば、夢のようでもあった。
 道中、フリーナは様々な話をした。何日か前に読了した本がとても面白かったとか、昨日作ったパスタソースが思いの外美味しかったとか、他愛のない話ではあったが、聞き手であるヌヴィレットも、それを聞いて頬を緩めた。そうか、君は穏やかな日々を送っているのだな――ヌヴィレットはそのように返した。君が元気そうでなによりだ、と付け足す言葉に嘘偽りはない。ただ、少しだけ寂しかった。共に過ごした日々が、日が経つにつれ、過去になっていく。当たり前のことだが、それが無性に寂しかった。
「送ってくれて、ありがとう。荷物持ちまでさせちゃって……なんか、ごめんね」
 家の前まで来ると、フリーナは申し訳無さそうな顔をした。国のトップにこんなことをさせるなんて、と物語る表情だった。
「いや、気にするな。これはただ、私が、君の力になりたかっただけなのだから」
「そう? ……あ、あのさ、ヌヴィレット。キミにまだ時間があるなら、お茶でもどうだい?」
 彼女は恐る恐るといった様子で提案する。
「実はね、最近美味しい茶葉を手に入れたんだ」
 きっとキミも好きだと思うんだけど、とフリーナは付け足した。そうか、ならば、とヌヴィレットは頷く。パレ・メルモニアに戻れば、やることは幾らでもある。だが、こうして彼女と過ごせる時間を、大切にしたかった。あの頃のように、いつでも一緒にいられる関係ではないからこそ。答えた彼に、フリーナは目を輝かせる。嬉しいのだろう、彼女の気持ちが直接見えて、ヌヴィレットも同じような気持ちで胸を満たした。
「じゃあ、入って。……あんまり片付いてないから、ちょっと恥ずかしいけど」
 少女は扉に鍵を差し込み、解錠する。明かりを灯し、奥へと進む。ヌヴィレットは「失礼する」と頭を下げてから、彼女に続いた。フリーナに通された部屋は、言うほど散らかってはいなかった。ソファに座るよう促され、言われた通り、ヌヴィレットはそこに腰を下ろす。
「……」
 テーブルには色鮮やかな花が生けられた花瓶があり、部屋に彩りを添えている。フリーナはお茶を用意してくるからちょっと待ってて、とキッチンへと姿を消している。
 ヌヴィレットは不躾だとは思いつつ、室内を見渡した。ここには、彼女の生きている形跡が多くある。自分が居なくても平気なのか、と知らしめるものでもあり、やや複雑な気持ちになった。彼女は誰かに守られるだけの弱者ではない。自分だけの力で飛ぶことの出来る小鳥だ。彼女に見えるものはたくさんあるし、その翼は空を切り、何処へだって行けてしまう。ヌヴィレットの心に暗雲が広がっていく。それに呼応するように、澄み渡っていた空が、少しだけ暗くなる。
「――お待たせ……って、どうしたの? ヌヴィレット?」
 ティーセットを運んできたフリーナが首を傾げる。彼の表情が陰っていることに、彼女はすぐ気が付いたようだった。
「いや、何でもない。……良い香りだな」
「え? あ、うん。旅人から教えてもらったお店で売っていたんだ」
「……旅人、か」
「確か、先週だったかな。偶然、街で会ったんだ」
「そうか。……元気そうだったか?」
「うん。パイモンも、変わりなかったよ」
 旅人にパイモン。ある目的の為に、テイワット七国を巡る若者。モンドや璃月など、様々な国で、様々な活躍をしたと聞いている。勿論、このフォンテーヌでも。そしてこれからも、この世界で多くを見聞きし、たくさんの出会いと別れを繰り返して――いつかは終点に至るのだろう。長い旅の答えを導き出した時、若者は何を思うのだろうか。
「お茶請けにお菓子も用意したよ。これがキミの口に合うかは……分からないけど」
「……ありがとう、頂くとしよう」
 テーブルにティーセットが置かれ、その後には焼き菓子の入ったバスケットも置かれる。熱い紅茶が湯気を立ち昇らせ、同時に芳しい香りが周囲に広がっていく。まずは、フリーナもヌヴィレットも、紅茶の注がれたカップに唇を寄せる。深い味わいのそれは、いつの間にか冷えていた身体を、奥の方からじわじわと温めていってくれる。美味しいな、とヌヴィレットが言うと、そうだろう、とフリーナが自慢気に頷く。それから、バスケットの中の焼き菓子にも手を伸ばした。ふわ、と甘い香りがする。これも、街に買い出しへ出た際に買ってきたものなのだろう。口に運び、何度か咀嚼をすれば、思っていたよりも控えめで上品な甘みが広がっていった。

「……フリーナ」
 紅茶がふたつのティーカップから消える頃。ヌヴィレットが改めて、彼女の名前を呼んだ。なんだい、と首を傾げる彼女に、彼はなかなか次の言葉を発さない。何か、思い詰めている様子なのは、すぐに分かった。久々の、ふたりきりのお茶会。もしかして、意識せずに気に触ることを言ってしまったのだろうか。フリーナは戸惑いながら、少しだけ表情を歪めた。
「……私にはずっと、君に伝えたいことがあったのだ」
「えっ……?」
 過去形である、というところが少々引っかかった。フリーナは目を丸くする。彼が何を告げようとしているのか、全く分からない。ただ、その眼差しがつい少し前のそれとは、大きく異なっているように思えて、フリーナの心の中で警笛が鳴り響く。
「私は、君と共に生きたい」
 ゆっくりと手が伸びてくる。戸惑いを隠せないフリーナの手は、大きなそれで絡められて、ぎゅっと強く握られた。彼は、普通の人間とは違う。見た目こそ人の姿をとってはいるものの、その正体は水の龍王である。彼の肉体には、常人離れした力が埋め込まれており、一般人であるいまのフリーナでは、何があっても彼には敵わないだろう。そこに神の目があろうが、なかろうが。
「……ヌヴィレット?」
「……」
「ね、ねえ、ど、どうしたんだい、ヌヴィレット? そんな、目を、して――」
「フリーナ……」
 ヌヴィレットの目が眇められる。更に、警笛の音量が上がっていく。
「君は、私が居なくても平気そうに見える。だが……私は、君が存在しない世界で生きるなど、耐えられない」
「え……」
「人間である君は、いつか私を置いて、遠いところへと旅立ってしまうのだろう? その先の、君が居ない世界で、私は、どうしたらいいのだろうか? 私は、それを考えた途端、非常に――」
 怖く、なったのだ。ヌヴィレットの強張った声に、フリーナは何も答えられなかった。彼が感じている恐怖と、いま、フリーナが感じている恐怖は、同じものではない。似て非なるものだ。
「フリーナ」
 光の欠如した瞳が少女のことを捉えて離さない。私だけのものになってはくれないか。ヌヴィレットが淡々と続ける。何か答えを発するより先に、フリーナの背中はソファと触れ合っていた。それはつまり――彼に押し倒された、ということを意味している。動揺するフリーナは、待って、やめて、と短い台詞を幾つか連続で口にする。このままでは駄目だ。今までに築き上げたすべてが、がらがらと崩れ落ちてしまう。しかし、彼は彼女の願いを聞き入れてくれなかった。
「――愛している」
 耳元で囁かれ、フリーナは全身に痺れが駆け巡っていくのを感じた。彼のそれに応える余裕は、何処にもない。うう、と呻くような声しか出せない。ふたりの周囲には、崩れたものの残骸が乱雑に散らばっており、その破片は幾らでも素肌を裂くことだろう。
「きっ、キミは……、僕を……どうする、つもりだ……」
 なんとか絞り出したそれに、ヌヴィレットが嗤う。フリーナは、彼のそんな顔を見て、全てを察知した。逃げなければならない。このままではいけない。それなのに、手足に力が入らない。生けられた花が、花弁をはらりと落とすのが見えた。
 何も答えずに、ヌヴィレットはフリーナの唇へ、自分のものを重ねた。舌が入り込んできたかと思うと、生暖かいそれ同士が絡み合う。唾液が溢れて、ソファにしみを作るのが見えた。執拗に続けられた口付けは、フリーナの恐怖を煽るのと同時に、甘い感覚を齎すものでもあった。対極に位置するような、全く違うふたつのそれが、少女の心を少しずつ蝕んでいく。
「ふっ、あっ……、やめ……やめて、よ……。ね、ねえ、やめて……、ヌヴィ、レット……」
 拒まないといけない。これでは、あまりにも大きな過ちを犯すことになってしまう。フリーナはそう思って、拒絶の言葉を口にするものの、彼は止まってくれなかった。華奢なフリーナの身体を難なく持ち上げると、彼女を寝台まで運んでいく。ギシ、と大きく軋む音を聞きながら、少女の身体はそこへと横たえられた。窓の向こうから、雨の音が聞こえてくる。
「やっ、やだ……いや、だ……」
 この先にあるものに震えあがり、怯える少女の涙は、彼の指先でそっと拭われる。
「……フリーナ」
 呼びかける声は、氷のように冷たいものではなかった。寧ろ、それとは逆で――酷く優しく、真綿のように、フリーナのことをそっと包み込む、そんな声だった。
 それでもなお、涙は止まらない。今度はヌヴィレットがその雫を舐め取り、口角を上げる。涙を通じて伝わってくるフリーナの感情。そこに、恐れと呼ばれるものはあったが、それとは異なるものも同時に存在していることを彼は知る。
 ヌヴィレットはその舌で、少女の首筋を舐め上げた。ひぃ、と震えた声が上がる。そのまま同じところへ強く吸い付いて、紅い印を付けていく。彼女は自分のものだ。誰にも、どんな人物にも渡さない。彼女の世界には、自分だけが居れば良いのだ。そこが如何に冷たく、暗く、寂しい世界になってしまったとしても。
 胸元を覆う衣服をはだけさせる。赤面する彼女を見下ろす。非常にいい眺めだ、と思いながら、ヌヴィレットは左胸に触れた。薄い肌の下で、心臓がバクバクと鼓動しているのが分かった。それは、かなりの速度で続いている。そのようにして彼女の生を感じ取ってから、彼は淡紅の先端へと指先を伸ばす。
「ひあっ!?」
 甲高い声が薄闇を走る。きっと、強い快感が全身へと広がったのだろう。ほう、とヌヴィレットがフリーナを見下ろしている。羞恥で真っ赤に染まったフリーナの顔。唆るものがあった。ヌヴィレットは弾くようにその芽に触れていく。ああっ、と甘ったるい声が暗がりで響いた。どっと波のように押し寄せてくるのは快感で、彼女の声は、時の経過と共に大きくなっていく。たっぷり左側のそれを愛でた後、今度は反対側にも遠慮無く触れられた。固く立ち上がっていく様を見下ろすヌヴィレット。彼の瞳は、捕食者のそれだった。
「あっ、あ、あぁ……もう、や、やめ、てよぉ!」
「……それは君の本心か?」
 問う声は低く響く。答えられずにただ喘ぐしかないフリーナに、ヌヴィレットは問いかけを重ねる。君の身体は、そう言っていないようだが、本当にここでやめてもいいのか、と。またしても溢れ出てくる涙。当然のようにヌヴィレットが舐め取る。
「うぅ……あ、あ……」
 フリーナは認めるしか無かった。自分は彼に触れられて、こんな風にされて――気持ちが良くなっているということ。それはヌヴィレットという人物を、心の底から深く愛しているからだということ。それに加えて――この先に待っているのであろうそれを、拒めそうにないということ。けれど、まさか、こんな形で、なんて。氷にも負けないほど冷たい絶望感が広がっていくのもまた、事実だった。
「ヌヴィ……レッ……」
 最早、それを口にするのもままならない。舌が回らない。頭がぼおっとする。靄ばかりが広がった世界で、降り落ちる快感に全部が押し潰されていくかのようだ。
 彼の視線が下へとおりていく。足を広げさせられて、肌着の上から秘められたところに触れられた。ひっ、と悲鳴と言えるような声が上がって、彼がまた笑むのが見えた。彼の太い指は、くるくると円を描くようにそこを走る。じわ、と溢れ出るものが薄い布を汚す。ほう、と彼が何かを言うのが聞こえた。けれども、最後まで聞き取れない。響いた水音が、酷く淫らであることは分かるのに。
 身に纏っていたものは、その肌着を含めてほぼ全てが脱がされ、寝台の上で彼女は細い手足を投げ出す形となる。もう「やめて」という短い台詞すら、出てこない。フリーナの左右で異なった色を持つ大きな瞳は、虚ろにヌヴィレットを見上げている。
 ずっと、彼のことが好きだった。自分が水神を演じていた頃から。嘘を重ねて、彼を騙さなければならない運命に嘆いた日もあった。呪いから開放され、人間としての日々を得てからも、フリーナはヌヴィレットのことを好いていた。彼はもう、手の届かないところにいる。一般人に過ぎない自分の想いが実る日は来ないだろうと、そう諦めながら、ゆるゆると日々を過ごしていた。
 けれど、彼も自分を愛しているのだという。そこだけ切り取れば、なんて幸せな結末だっただろうか。心の底から好きな人に、自分と同じ想いを返してもらえるなんて。
 だが、その愛は、いつしか大きく歪んでしまった。人ではない彼は、人であるフリーナを愛したが、同時に狂気も芽生えてしまったのだ。自分だけのものにしたい。永遠に共にありたい。離したくない。彼女が自らの足で何処かへ行ってしまうのなら、その足に枷を嵌め、繋ぎ止めてしまえばいいと思った。
「ぬぃれ、っと……、ぼく……」
 海色の瞳。空色の瞳。両方から、大粒の涙が溢れてくる。
 彼女は、何を言おうとしているのだろう。ヌヴィレットは数秒、その続きを黙して待ったが、フリーナの口からそれ以上の言葉が発せられることは無かった。
 もう戻れはしない。幾ら願ったところで、少し前の自分たちには、もう戻れない。ならばもう、それを諦めて――この胸を焦がし続けるものをぶつけるしかない。とろとろと蜜が溢れているところへ、彼の指が触れた。布越しに触れられた時とは比較にならない感覚がフリーナへと襲いかかる。彼の長く太い指がゆっくりと埋められる。ああっ、と彼女が声を上げている。光の欠け落ちたヌヴィレットの目が、そんな彼女のことだけを見据えていた。
「うあ、あ……あ……ッ」
 何度も、何度も、指が出し入れされる。解きほぐされた蜜壺からは、更に粘ついた音が聞こえてくる。指が一本追加され、彼女の奥を激しく突く。駆け巡る雷のようなものが、フリーナの理性などを木端微塵に壊していく。温かく幸せな未来への道は途絶えた。このまま、最後まで、彼は僕を喰らい尽くすつもりなのだろうから。フリーナは崩れる思考の中で、そんなことを思う。でも、その相手が彼だというのは、ひとつの救いだろうか。自分は確かに彼を――ヌヴィレットを愛しているのだから。
 いつの間に、彼も身に着けていたものを脱ぎ捨てており、彼の素肌がぼやけた視界に映り込む。普段は衣服で隠された彼の輪郭線が際立って見えている。少し前までは、存在していた恥じらいも何もかも崩壊していて、フリーナの思考回路は麻痺したままだ。ああ、これから、彼に自分は抱かれる。最後まで。でもその先で、僕をどう思うのだろう、彼は。
「フリーナ……」
 名を呼ばれて、視線だけを動かした。蜜口に熱杭が触れている。抗することはない。涙が溢れたが、それが悲しみから生じたものなのかどうかも、もう、分からない。充分な熱量を持ったそれが入り口を行き来する。行くぞ、と聞こえた声に、フリーナは応じられない。
「ああぁ……ふ、あああっ……!」
 彼が入ってくる。彼女の身体はそれを拒まない。はあ、と熱い息が両方の口から吐き出され、そのまま唇が重なった。舌が絡み合う中で、腰が何度も打ち付けられる。頭の天辺から両方のつま先まで、走り抜けていく快感は、何もかもを打ち砕くかのようだった。美しい過去も、楽しかった日々も、交わした幾つもの会話。それらすべての、大切な思い出を。
「あ、あぁ……ん、ふぁ……」
 寝台が揺れる。フリーナはただ、そこで喘いでいる。響き渡るのはいつもと異なる、甘く官能的な声。容易く弱い所を見つけ出して、そこを執拗に攻め立てれば、その声は更に大きくなる。ぽたぽたと雨垂れのように落ちてくる涙は、彼女の目から落ちてきたものばかりではない。彼も泣いていた。こんな形で彼女を奪っている、自分自身に失望して、灰色の絶望を味わいながら。
 本当はもっと優しく、抱いてやりたかった。愛しているからこそ、彼女を傷付けたくはなかった。それなのに――結局はこんな形で手酷く抱いている。なんと愚かな行為だろうか。一番彼女を傷付けているのは自分ではないか。無意識にフリーナがヌヴィレットの方へ手を伸ばしてくる。それを掴んでやれば、うう、と彼女の漏らした声が切なく響く。
「ん、んんっ……あ、ふぁあ……」
「……ッ」
 意味を持つ言葉は、どちらの喉からも溢れてこない。さらなる高みを目指し、ヌヴィレットは律動を続ける。彼女を貪り食う自分に嫌悪感を持ちながらも、止められない。
「ひっ、あ、ああ……やっ……」
 フリーナの嬌声が大きくなる。限界が近いのかもしれない。それはヌヴィレットの方も同じだ。更に激しく奥を穿つ。繰り返し波のように押し寄せてくるものは、破滅の時を告げようとしていた。もう駄目、と叫ぶフリーナを、ヌヴィレットは攻め立てた。寝台の軋む音と共に、胸の奥でも同様の音が響いてくる。ああ、と答えたその直後、フリーナは絶頂を迎え――悲鳴が薄闇に響き渡った。ヌヴィレットも、欲望の全てを彼女の奥で解き放つ。吐き出されたものが広がっていく感覚は、この上なく彼を冷たいもので満たした。
 肩で息をしながら、ずるりと盛りを引き抜く。最愛の人を穢した証とも言える白濁が、どろりと溢れてくる。フリーナの意識は飛んでいて、先程までの目線は向けられていない。ああ、なんて、酷いことを。裁かれるべき行為だ、ヌヴィレットの頬には雫が残っている。フリーナ、と名前を呼ぶ。裸体の彼女が、寝台の上で青白く輝いている。
「……ッ」
 また込み上げてくるものを、ヌヴィレットは堪えられなかった。
 雨音が聞こえる。本当の意味での絶望は、これからなのだと、そう告げるかのように。

 ◇

「……」
 約二ヶ月前の出来事を思い起こして、ヌヴィレットは愚か過ぎる過去の自分に吐き気を催した。
 あれから、何度が彼女を抱いた。その行為を繰り返すことで、フリーナは自分の心を守る為に、「ヌヴィレット」との思い出を、じわじわと忘れていった。彼女の記憶からは、五百年を共にした彼の存在が欠落している。それでもヌヴィレットの方は彼女を愛していた。
 だが、もう会うことは赦されないだろう、と、遠目から見るだけにしていた。彼女の声も、ぬくもりも、何もかもが恋しく愛おしいが、これはすべて自分の罪だ。自分は、裁きを受けたのだ、彼女から忘れられることで。
 ヌヴィレットはペンを置く。このような気持ちでは、捗るものも捗らない。椅子から立ち上がって、外を見た。今日もまた、雨が降っている。フォンテーヌ廷を打ち付けるそれは非常に冷たい。街を進む者たちは色とりどりの傘を開かせ、歩んでいることだろう。傘の花は、まるで花畑のように。
 フリーナはどうしているだろうか。もう、朝の十時を回っている。流石に起きただろうか。ちゃんと食事を摂れているだろうか。眠れているのだろうか。夢は――見ただろうか。幾つもの疑問は泡のように弾け、彼女のもとに届くことはない。
 戻らぬ日々に、ヌヴィレットは無言で涙を落とした。

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