幻灯窕譚

 半仙の甘雨は、岩神モラクスとの契約で「璃月七星」の秘書を長いこと務めている。永遠にも思える程に長い時を、彼女は過ごしてきた。嘗て帝君と仙人たちの力で築き上げられたという歴史ある港町で。古の時代より璃月を守り、民衆を導く帝君のことを、甘雨は絶対的な信頼を寄せていた。この美しい街で生きる民の殆どがそうであるように。
 その帝君が、岩神モラクスが――何者かの手で暗殺された。 
 空中楼閣、群玉閣。「天権」――この国の頂に立つ凝光によりそれを告げられた甘雨は、当然のことながら、大きな衝撃を受けた。もともと大きな目を更に大きく見開いて、嘘、と思わず言葉を漏らして。
 その日から、甘雨は外の景色を物理的に遮断して働くようになった。ここは帝君がずっと守り続けてきた契約の国「璃月」である。外を見れば、嫌でも帝君のことを思い出してしまう。あらゆるところから帝君の気配や面影を感じ取ってしまう。そんな気持ちに駆られるようになった甘雨は、元から生真面目で勤勉だったが、今まで以上に膨大な仕事に向き合うようになった。
 璃月七星のひとりで「玉衡」と呼ばれる刻晴も、甘雨に負けず劣らずの勤勉な女性だが、流石に「根を詰めすぎないようにね」と声をかけてきた。同時に「たまには外の空気を吸ってきたらどうかしら」とも助言をくれた。甘雨はそういった自分の為にだけ使う時間というものをよく知らない。
 
「あ、甘雨じゃないか! 久し振りだな!」
 外に出た甘雨の耳に、聞き覚えのある声が届く。ふわりと宙に浮くその姿にも、愛嬌のある仕草にも、見覚えがある。名はパイモン。旅人と共にテイワットの各地を巡っているのだという。旅人――蛍も当然そこに姿があって、甘雨を見つけると小さく頭を下げた。
 蛍は栄誉騎士の称号を、西風騎士団で代理団長を務めているジン・グンヒルドから与えられた少女でもある。西風騎士団は、風神バルバトスが拓いたという自由の国「モンド」を守る剣であり、盾でもある。モンドには王が存在しない。それは自由を信条とするバルバトスの意向であるという。
「甘雨はここで何をしているんだ?」
「ええと、……少し気分転換をしていたんです」
「へえ、珍しいな! オイラたちはいろいろと情報収集をしているところなんだ!」
 な、と同意を求めるパイモンへ蛍が頷く。確か蛍とその仲間たちは神事である「送仙儀式」の準備をしている、とも聞いている。未だ帝君の死を受け入れられないままの甘雨は、そうなのですか、と短く答えることしか出来ない。蛍たちが降魔大聖など三眼五顕仙人たちに助力を願い、事件解決と儀式を終わらせる為に璃月中を汗水垂らして巡っているというのに。
 パイモンと蛍、そして甘雨が他愛のない話をしていると、後方から男性の声がした。その声は低いが、なにか強い意志を孕んでいるように甘雨には聞こえた。
「……ああ、此処にいたのか。戻ったぞ」
「おう! おかえり、鍾離! 往生堂での仕事は済んだのか?」
 鍾離と呼ばれた青年が「ああ」と頷く。石珀のような瞳は綺麗に澄んでいて、甘雨はまじまじとそれを見つめてしまった。
「――」
 鍾離という人物を甘雨はよく知らない。往生堂に招かれた客卿なのだとパイモンがふわふわと飛びながら説明をしたが――甘雨は彼に「何か」を感じた。
「じゃあ、次の準備に移れるな! 甘雨、名残惜しいけど、また今度な!」
「え、ええ……」
 パイモンは手を振り、蛍が頭を下げる。
「――甘雨、というのか」
「え、ええ。はい。私は……」
 璃月七星の秘書をしています。そう続けようとした甘雨の台詞を、鍾離はこう遮った――お前はとても懐かしい瞳をしているな、と。
「……えっ?」
 それがどういう意味なのか。甘雨は人間と麒麟の混血児。長い生の何処かで彼となにかを絡めたのか。だが、彼は人間だろう、自分とは違う。ならばその言葉は何を指し示しているのか。
「ああ、いや、何でも無い。……では、失礼する」
 鍾離が去っていく。次第に小さくなる彼の背から、甘雨は目を逸らせない。
「……」
 また何処かで会えるだろうか――彼に。
 帝君、と甘雨は胸の中で呟く。彼と巡り合う時が来るかどうかを知るのは、帝君だけだ。けれど甘雨も鍾離という人物を見て、不思議な気持ちを抱いた。懐かしいような、恋しいような、だけど少しだけ、淡い色の悲しみを纏わせた、不思議な気持ちを。
 何も変わらず時が流れて落ちていく。仕事に戻らねば。刻晴や凝光が待っている。甘雨は歩き出し、一度だけ振り返った。そこにあるのは璃月の雑踏だけだった。


title:ユリ柩

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