凍てついた笑顔

 彼はよく笑う。穏やかな笑みを浮かべているはずなのに、私の心の奥にその姿が突き刺さるのだ。どうしてあんなふうに笑うのか、私にはわからない。暗い瞳でこちらを睨みつけた、あの日の彼のほうがずっと自然なように思えてならない。
 ここは、ドラゴンスパイン。溶けることのない雪と氷に覆われた不毛な地。私は仲間たちとそこに足を踏み入れた。真っ白な雪は深々と降り頻り、止む気配は感じられない。こんな場所でもヒルチャールなどは変わらずに生息しているし、宝盗団の姿も頻繁に見られる。吹き付ける風はあまりに冷たくて、指先の感覚はあっという間に無くなってしまう。
「どうしたんだい、相棒? そんなところで突っ立って」
 いろいろと考えを巡らえていた私を現実へ引き戻すのも、やはり彼だ。タルタリヤ。ファデュイ執行官第十一位。「公子」と呼ばれる、北国スネージナヤの執行官。どういうわけか彼は私に同行している。偵察騎士であるアンバーや、騎兵隊隊長を務めるガイア、それから図書館司書のリサといった面々も私も、彼の言動は理解しきれずにいる。
「……」
 タルタリヤは至極簡単な言葉で言えば、私たちの「敵」だった。璃月での一件を忘れられる者など、ひとりもいない。パイモンだって「アイツは怪しすぎるだろ」などと言っていたし、おそらく他の仲間も怪しんでいることだろう。そんな彼に「あなたのことを考えていた」などと事実を伝えることも出来ず、私は無意識に俯いていた。
「顔を上げて」
 タルタリヤがくすりと笑うのが聞こえた。思わず私は顔を上げてしまう。どんな表情をしているのかがとても気になって。
「こっちにおいで。冷えるよ」
 彼が手招く。そこにいたのは優しい顔をした青年だった。無慈悲に璃月を蹂躙しようとした時の彼とは大きくかけ離れている。公子タルタリヤは、ファトゥスと呼ばれる者の中で最も危険な人物だと囁かれていた。それはきっとただの噂ではないし、きっと事実。現に、タルタリヤの笑みに違和感を抱く私がいる。優しさと残忍さを兼ね備え、それこそ仮面をつけて振る舞う。私たちと一緒にいるのだって、もっと別の思惑があるのかもしれない。けど。
「ほらほら。ここはスネージナヤほどじゃないけどさ、寒いだろ。風邪でもひいたらどうするんだい?」
「……平気」
 私はタルタリヤの言葉に短く答える。彼と同じ時間を過ごすうちに、私はある感情を抱くようになっていた。この地にも負けず劣らず凍てついた瞳と、戦いを求める彼の本質。戦いで得られる興奮を求め、私に矢先を向けたあの日のタルタリヤ。そういった部分も全部含めて、私は彼にこの感情を向けてしまっている。でも、いつか私たちの道は分かれる。未来のことなんてわからないのが普通だが、これはきっと、間違いなく事実となって降り注ぐ。だから私は、これ以上タルタリヤに強い想いを抱いてはいけないのだ。
「――蛍」
 タルタリヤが私を呼んだ。私をそう呼ぶのは珍しい。だいたい「相棒」だとか、「君」と彼は私に呼びかけるから。
「ほら、こんなに冷たい手をしているじゃないか」
 彼はやや強引に私の手をひいていた。意外にも、タルタリヤの手はあたたかい。自分のものよりずっと大きな手。少しごつごつとしているのは、彼が多くの戦いを乗り越えてきた証のひとつなのだろう。そのままタルタリヤは私の手を引いたまま、大樹の下まで移動する。空は分厚い鈍色の雲に覆われ、そこから真っ白な雪片が降ってくる。暖を取る為の炎はゆらゆらと揺れ、その役割をそっと果たしてくれた。
「……ありがとう」
 絞り出した言葉に、タルタリヤが笑った。今まで見てきた中で、最も柔らかい笑みに見えた。その間もずっと冷たい風が吹き荒んでいて、それはまるで竜が嘶いているかのよう。タルタリヤはもう充分だと思ったのだろう、そっと手を離した。離れていくぬくもりに心が何かを訴える。ああ、私は、とっくに彼という存在に惹かれてしまっているのだろう――そう思うとこんな寒空の下だというのに、頬の辺りがかあっと熱くなってしまう。
「ねえ、スネージナヤって」
「うん?」
「どういうところ?」
 今はふたりきり。アンバーたちは、辺りを見てくると言って少し前にこの場を離れている。いつも私にくっついて回るパイモンの姿さえ無い。
「藪から棒だね。でも……そうだな、いい奴もいれば悪い奴もいる。まあ、モンドも璃月もそんなものだろうけどね」
 聡い彼はきっと分かっている。私が、タルタリヤとふたりきりであることを改めて感じて、その空気をなんとか変えたくて話題を振ったことを。
「君の故郷だって、そうだろう?」
「故郷……」
 私はまた俯いた。ぱさりと落ちる金色の髪。お兄ちゃんと離れ離れになって、幾つの夜が去っていっただろうか。幾つの日が死んでいっただろうか。私は此処ではない何処かから来た、いわば異邦人。数多の世界を超えてきた私と双子の兄――空。見知らぬ神によってお兄ちゃんは奪われ、目覚めた時にはもう、テイワットにいた。それから前の記憶が混濁している。
 でも、きっとそうだ、モンドや璃月、それからスネージナヤや稲妻。テイワットにある七国の何処にだっていい人がいて、悪い人がいる。その区別をするのもまた人間であるから、善悪の問答は難しい。
「ああ、悪いことを聞いたかな」
「……そんなこと」
 無い、と返せなかった。ぼやけた記憶の先を辿るのは難しくて、私はふたたび顔を上げた。普段と然程変わらないタルタリヤの姿が視界に飛び込む。
「ねえ、タルタリヤ」
 私はゆっくりと時間をかけて、言葉を綴る。パイモンたちがいない今だからこそ、音にすることが叶う言葉を。
「いつかあなたの、本当の笑顔を見せて」
 黄金屋で剣を交えた時の姿が、本来の彼であるのならば――私はそれを受け止めてみせる。それもまた作られた姿であったのなら、いつか、彼の自然の笑顔が見られる自分になることを望んでみせる。私はそう言った。理由も分からず、共に戦う「仲間」となったタルタリヤ。継ぎ接ぎのように歪な絆ではきっと「いつか」は訪れない。
「……ああ。代わりに、その時が来たら、君も故郷について俺に教えてくれるかな?」
 風雪の中で、時は緩やかに朽ちていくのだった。

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