証明

 それは、あまりにも唐突な発言だった。
 冒険者協会からの依頼を幾つか済ませ、璃月港のキャサリンにその報告を終え、先に宿に戻っているパイモンと合流すべく、宿への道を急いでいる時のこと。
 偶然、前方から知った顔が見えて、私の胸はドクンと揺れた。ああ、久しぶりだね、相棒。私の存在に気付いたその人物は、いつものように私をそのように呼び、気さくに笑って――そして、とんでもないことを言葉にした。俺は君に、ずっと伝えたかったことがあるんだ、と、そこまでは良かった。問題は、その次の台詞である。
 俺は、君のことを、好きになってしまったんだ――そんな風に真顔で言われて、私は自身を取り巻く世界の時間が、ぴたりと停止してしまったかのような、妙な感覚に襲われた。理解が、追いついてくれない。
 もしかしたら、私はただ、この人にからかわれているだけなのかも。そのように思って、私は彼――タルタリヤの顔をじっと見た。よく整った顔には、蒼色の瞳がふたつ。その目は、真っ直ぐ私のことを見据えていて、冗談や軽口を言っている者の眼差しには、到底思えなかった。
 けれど、タルタリヤはファデュイの執行官だ。テイワット七国のひとつ、スネージナヤを統治している氷神――「氷の女皇」に、絶対の忠誠を誓っている。その誓いには、正直、不穏なものを感じる。
 だが、それだけではないのだ。ここ、「契約の国」璃月を揺るがした、あの大事件にも関与している。造幣局「黄金屋」で激闘を繰り広げた相手でもあるし、彼が「禁忌滅却の札」を用いて、上古の魔神を復活させたことで、璃月は水没の危機に瀕したのだから。どんなに朗らかに笑う姿を見ても、簡単に警戒を解いて良い人物ではない。心の奥で、警笛が鳴り響いている。
「……もしかして、聞こえなかったのかな?」
 道端の石のように黙り込んでしまった私に対して、タルタリヤは再び口を開く。私は、何度か首を横に振って、それは違うのだと、即座に否定する。
 ざあっと通り抜けていく、海からの風。潮の匂いを孕んだそれの中で、何をどう返せばいいのかが、私には全く分からない。頭がぐらぐらとした。胸の奥にも、複雑な感情が灯される。
 正直な気持ちとして、タルタリヤという人物のことが「好き」か「嫌い」かで言うのであれば、きっと――前者になるのだろう。加えて、彼が家族というものを大事に思っている姿を見たことがある。特に、弟妹に対しては、非常に良い兄であることも、私は知っている。ファデュイというスネージナヤの暗部を、まだ無垢で幼い弟に見せたくないから、と、優しい嘘を吐くその姿を、私は見たことがあった。そんなタルタリヤに、私が特別な感情を抱いたのも――事実だった。
「その、少し……び、びっくりしているだけ……」
 私は、なんとか声を絞り出した。そうなのか、とタルタリヤが頷くのが見えた。少なくとも嫌ではないんだね、と彼が言う。今度は、私も首を縦に振った。
「……じゃあ、考えておいてくれると嬉しいよ。次に会う時までに、さ」
 タルタリヤは言う。穏やかに微笑むその姿からは、あの日、私に見せた、狂気的とすら言える笑みを連想することが出来ない。彼は、非常に好戦的なところがある。本来持つ「神の目」だけではなく、「邪眼」というものを併用し、更には「魔王武装」と呼ばれる力すら使って、私の前に立ち塞がった。赤い血を流し合う「戦い」を渇望する者の瞳をした彼のことを、私はよく覚えている。きっと、彼は、氷の女皇が望むものの為ならば、その力を幾らでも振るうのだろう――その相手が、彼曰く「好きになってしまった」存在の私であっても。
「それじゃ、俺はちょっと用があるから、ここで失礼するよ」
 彼はひらりと手を振った。橙色の髪は、港街を通り抜ける風に弄ばれて揺れる。一瞬、私は「待って」と彼を呼び止めてしまいそうになった。ギリギリのところで、その言葉を飲み込む。何かしらの用事があると言う彼を、私の我儘で引き止めることは出来ない。もう少し――タルタリヤと一緒に話をしたかった、なんて。言えるはずも無かった。

 ◇

「おおっ、帰ってきたんだな、旅人! 帰りが遅いから、オイラ、ちょっと心配しちゃったぜ!」
 宿に戻ると、パイモンのそんな台詞が、私のことを出迎えた。ふわりといつも通り浮遊しながら、私の側に文字通り飛んでくる。もしかして何かあったのか、と問いかけてくるパイモンに、私は何度か首を横に振る。このように、何も無かったよ、と答えるのは嘘になってしまう。いつも私と一緒にいて、幾度と無く私を支えてくれたパイモンに、こんな嘘を並べることに、本当のことを言えばかなりの抵抗がある。でも、タルタリヤとの件を言葉にするのは、どうしても憚られた。
 契約と商業の街――璃月港を見守る太陽が、西へと傾く。少しずつではあるが、夜が迫っているのだ。いつもならそろそろ夕食、といった時間帯だ。私がそう考えたところで、パイモンが口を開く。オイラ、お腹が空いちゃったぜ、と。そんなパイモンに私も一度頷いて、ひとまず、宿を離れることにした。

 璃月は美食の街としても知られ、至る所から美味しそうな匂いが漂ってくる。私は、先を急ぐパイモンを追いかける形で、璃月の雑踏を進んでいく。客引きの大きな声がする。どの店に入ろう、私とパイモンは考え込んだ。行きつけとなると、やはり万民堂になるだろうか。香菱がまた、新メニューを考案した、という話を数日前に聞いた。私がパイモンにそういった提案をすると、パイモンは言う。なら、万民堂で決まりだな、と。きっと、今日も美味しい料理を振る舞ってくれるだろう――。

 ◇

 食事を終え、私たちは宿に戻るべく、多くの人々が行き交う道を進む。香菱の新メニューは、とても美味しかった。パイモンも大満足といった様子だった。私も勿論、同じだ。よかったらまた食べに来てね、と屈託なく笑う彼女に対し、私たちは大きく頷いて、万民堂を離れたのである。
「……んんっ?」
 突然、パイモンが動きを止めた。えっ、と思いながら、パイモンの視線の先に、私も目を向ける。またしても――前方に見知った顔を見つけた。すらりとした背格好をした青年。夜風に靡く橙の髪。今の私が、一番「会うこと」を避けたかった人物である。
「公子!」
 先に声を上げたのはパイモンだった。ファデュイの執行官――第十一位に数えられる「公子」タルタリヤ。彼が私に、いわゆる「告白」をしたことを、パイモンが知る由も無い。ドクドクと心臓が鼓動を早めた。まるで、何かを叫んでいるかのように。
「やあ、ふたりとも。こうしてバッタリ会うなんて……偶然だね」
 タルタリヤは笑った。その笑みに、多くを隠していることを、私は知っている。それこそ、仮面のようなものを被っているのだ、彼は。
「おまえ、こんなところで、一体何をやってるんだよ」
「うん? まあ……ちょっと夜の散歩、かな」
「散歩? ……本当かよ?」
「相変わらず、おチビちゃんは俺を信用してないね」
 ふたりのやりとりを見聞きしつつ、私は考える。たった今、彼は「偶然」という言葉を用いたが、本当はそうではないのではないか、と。思考を巡らせる私に、タルタリヤが一瞥する。彼の冷たい湖のような色の瞳には、全部を見抜かれているような、そんな気がした。
「……あっ、そうだ。俺、少しだけ旅人と話がしたいんだけど」
 タルタリヤは言う。えっ、という声が思わず私の口から漏れた。パイモンも不思議そうにしている。オイラが居ちゃ駄目なのかよ、と言うパイモンに、タルタリヤは「すまないね」と頭を垂れた。
「まあ、いいけどさ。……旅人。オイラ、先に宿に戻ってるぜ。……早く帰ってこいよ!」
 パイモンがひらりと背を向け、この場を離れていく。白く小さなその姿が、夜の中に溶けていくのを見届けて、私はタルタリヤの方に視線を向けた。
「……話って、さっきの続き?」
 次に会う時までに答えを考えておいて欲しい、とは言われた。だが、その「次」というのが、たった数時間後に来るとは思ってなどいなかった。だから私は、最も正しい答えに、まだ到達していないのだ。
「いや、それもあるけど……君と、ふたりきりになりたかったんだ」
「えっ?」
 彼の台詞に、目が丸くなる。
「おチビちゃんには悪いけどさ」
 タルタリヤが、一歩前に出た。当然のように埋まる距離。
「好きになった人と、一緒に居たいって思うのは……普通のことだろう?」
 だから、と彼は更に距離を詰めた。その大きな手が私の手を取る。重ねられたその手のひらは、思っていたよりも高い熱を持っていて、その熱度に侵食されていくかのように、私の身体が急激に熱くなっていく。
「……場所を変えようか」
 この辺りは人通りも多い。タルタリヤの発言に、私は無言のまま頷いた。話をするにしても、この場で、というのは確かに良くないかもしれない。
 タルタリヤの広い背中を追う形で、私は歩み始める。彼の後ろ姿を見ながら思うのは、当然のように彼のこと。彼は私が好きだという。私も――好きだ、彼のことが。さっきまで、「到達していない」と思っていた領域に、私の足は入りかかっている。この感情が愛と呼べるものであるのならば、彼の気持ちに応えて、その想いを伝えるべきなのだろう――。
 私はぐっと手に力を込める。そうこうしているうちに、街外れまで来ていた。先程まで居た区画とは、全く異なる空気が満ちている。人影が一切無い、というわけではないが、私たちのやり取りに聞き耳を立てるような者は居ない。ざっと音を立てる夜風が、私たちの髪と衣服を揺らして去っていく。
「タルタリヤは」
「うん?」
「……本当に、その……私のことが、好き……なの?」
 改めて訊ねてしまった。タルタリヤが瞳を大きくした。暗いのに、その表情の変化は不思議なくらいはっきり見え、私の胸の奥に痺れをもたらす。
「……からかっただけ、とでも思ったのかい?」
 タルタリヤは言う。俺は真っ赤な嘘を並び立てて、君のことを惑わすような、そんな酷い男ではないよ、と。どこまでも真剣な眼差しだった。私は俯き、ごめんなさい、とまず謝罪した。そんな風に思ってなどいない。私と彼との間に、一切の柵が無いとは言えない。彼はファトゥスのひとりであり、私の進む道を阻んだことがある。これからだって、分からない。でも、私を助けてくれたこともあった。それは――事実だ。
「……タルタリヤ。あの、私……」
 もう一度、名前を呼んだ。どくどくと心臓が揺れている。
「私も、……好き、だよ……」
 熱砂の砂漠のように乾ききった世界に、待ち侘びた恵みの雨が落ち、それが広がっていくような感覚が私を包む。
「でも、これが、正しいことなのか……分からない」
 誰かを好きになること。それに正誤があるかどうかも、私には正直、よく分からない。それが私の本当の気持ちだった。タルタリヤが私の名前を呼んだ。蛍、と。今まで、あまり彼から直接名前で呼ばれることは無かったから、ぞくりとした。俯いたままだった顔を上げる。ふたつの蒼色が私を見ている。
「俺にも、それは分からない」
「……」
「だけど、俺は……君を最後の最後まで愛する自信がある」
 君の旅はまだまだ続くだろう、俺の故郷にも行くことになるんだろう、タルタリヤはゆっくりとした口調で続ける。その旅が終わりの時を迎え、探し求めていた答えを得たその先も、俺は――君を愛し続けていくよ、と。
「タル、タリヤ……」
 ぽたり、と涙が落ちた。彼の指先がそっとそれを拭ってくれる。そしてタルタリヤが私の身体を抱きしめ、背中を何度か優しく撫でた。更に溢れ出る涙。これは、悲しみから生じたものではない。この上ない幸福が、私に降り積もった証明。君のことを愛しているよ、蛍。彼の声がとても近くで聞こえる。私ははらはらと涙を落としながら、彼の腕の中で彼から与えられるものに全てを委ねるのだった。

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