Affection

 窓硝子越しに、暮れゆく空を見る。抜けるように広がっていた群青は、段々と茜色に表情を変え、塒へと帰る鳥は群れを成す。この璃月はテイワット大陸に存在する七国の中で、最大の繁栄を誇る商業国家であり、長い歴史を持つ国でもある。
 そんな璃月を築き上げ、護り抜き、導いたのが岩神「モラクス」――岩王帝君である。私は岩王帝君の召喚に応じ、魔神戦争に於いて彼と共に戦った。それは約三千年前の昔のこと。帝君との契約は、今も私をこの世界に繋ぎ留めている。
「甘雨」
 私の名を呼ぶのは、この璃月を統治する「七星」のひとり――「天権」の凝光様だ。淡い色の長髪を靡かせて、彼女は柔らかく微笑む。今日もお疲れ様、と私のことを労ってくれた彼女へ「凝光様こそ」と返して、私はもう一度外を見た。薄い雲が夕陽の色を纏っている。大変に美しい景色だ、勿論青い空も綺麗だけれど、この色も好きだ。璃月の山岳地帯で採れる石珀にも似ているように思う。そんな私の思考を読んだのか、凝光様はこう言った――少し外を歩いてきたらどうかしら、と。
「でも、私にはまだ仕事が残っていて……」
「……それは、大急ぎのものでは無いでしょう?」
「ですが」
 私は凝光様たち――「七星」の秘書。遥か昔からそうあり続けている。初代「七星」から現在の「七星」たちまで、ずっと。「璃月七星」は幾度なく世代交代は繰り返されてきた。「天権」と「天枢」、「玉衡」、「天」といった称号を得た七人の特別な大商人。璃月という国を動かす、その人間たちを支え、時に助言をし、助力する。それが私に与えられた仕事。絶対の存在――岩王帝君との契約。
「たまには休むことや息抜きをするのも、必要だと思うわ。刻晴だって、よく言っているじゃない。時間は有限だ、って」
 それはつまり効率良く時間を使うには休むのも大事ということよね、と凝光様は笑う。私はそこまで言われて何も返せなくなってしまった。ならば少しだけ、外の空気を吸ってこよう、私は彼女に頭を下げてから外に出るのだった。

 璃月の街は、どんな時間でもある程度の賑わいを見せる。夜だろうと、早朝だろうと、至るところに人影はある。テイワット一の貿易港であるここは、あらゆるものが集まる街。他国から来た多くの船が停泊し、様々な情報や物資などが此処に集められる。ふわ、と風に乗って甘い香りが漂ってきて、私は足早にそこから離れる。これはスイートフラワーを使った菓子の店だ、絶対に近付く訳にはいかない。スイートフラワーはテイワットの各地で見られる植物で、見た目こそ可憐だが高カロリーであることでも知られる。私は菜食主義で、甘いものと言えばまずこの植物を連想するが――あまり目を向けないようにしていた。
 そんな文字通りの甘い誘惑から逃げるように角を曲がれば、水夫たちの大きな声が聞こえてきた。モンドやフォンテーヌなどから来た荷物を纏めているのだろう。私はその声と声の間を縫うように進んだ。きゃあきゃあと高い声を上げて走り回る少年少女たち。それを優しい目で見守っているのは母親たちだろう。それから、異国からの旅人が情報を集める姿などが見える。
 太陽が沈もうとしている。海はきらきらと輝きを放っていた。もう少し時が落ちれば、その輝きは完全に失われて、夜という名の闇が璃月を包むことになる。太陽とは暫しの別れであり、星々との再会を果たす時でもある。
 私はじっと夕陽を見た。私にとって「一日」は、瞬きをするような一瞬の出来事である。そう、私は人間では無い。母と手を固く繋ぎ、自宅へと帰るあの子どもたちと同様の存在では無い。凝光様たちとも、今、私の前を横切った女性とも、私は違う。私は半仙。半分だけ仙獣「麒麟」の血を引いているのだ。麒麟は仙獣の中の仁獣であり、露を飲み、稲を食す。何よりも「戦い」を避ける麒麟の血を流すこの私が、岩王帝君に喚び出された理由は「戦い」の為。それを矛盾していると言われたら、反論出来ない。でも、それでも、私は帝君との契約に従う。璃月や七星、民衆。この美しい国に生きる者たちに、そして彼らの子孫たちに、幸福を齎すことが、最大の存在意義。
 陽が完全に落ちた。薄暗くなる街に、夜を越える為の明かりが随所で灯された。次第に風や空気が冷たくなっていく。黒くなりつつある大空には細やかな星が見え始めていた。
「……そこに居るのは甘雨、か?」
「えっ?」
 突如として背後から声がし、私は驚き振り返る。
「――し、鍾離さん……!」
 私を見ていたのは、鍾離という名の青年。彼は葬儀屋「往生堂」に招かれた客卿で、大変博学な人物でもある。その知識の深さから「鍾離先生」と呼び慕われる一面も持つ。そして、そんな彼があまりにも大きな秘密を抱えていることを、私は知っていた。琥珀色の瞳に私を映しながら、こちらへ歩いてくる。確か、今の鍾離さんは旅人とテイワット大陸を巡っているのでは無かったか。私の顔に疑問が浮かび上がったのを、彼は見抜いたようだった。
「稲妻での旅が一段落したから、俺たちは一度璃月に戻って来たんだ」
 旅人は、離れ離れになった肉親を探して大陸を旅していると聞いている。自由の国モンドに、契約の国であるここ璃月、そして稲妻は永遠の国。これからも、スメールやナタなどに足を運ぶことになるのだろう。まあ、そうなのですね、と私は頷いた。
「つい先程璃月に到着して、往生堂で胡桃に顔をあわせてきたんだ。彼女も変わりないようだな。……それに、お前も元気そうで良かった」
 微笑を浮かべる彼へ、私は頬を赤らめた。薄暗くなっていく世界で、私が浮かべた色彩を彼は見抜いたのだろうか。それとも、気付かないでいてくれるのか。鍾離さんはまた一歩私に歩み寄って、こう発言する――少し、良いだろうか、と。
「……え、ええ」
 勿論、私に断る理由は何処にも無い。ざあっと吹き抜ける潮風は私や彼の髪と戯れ、そのまますぐに遠くへ駆けていく。鍾離さんが歩き出したので、私も彼に続く。二人分の足音がやけに響く。それは、私の胸の高鳴りを隠してくれるだろうか。彼と居る時の「私」はどんな時の「私」より「私」らしく在れるような気がする。彼が彼であり、私にすべてをくれた存在だからに違いない。帝君、と思わず言いかけて、口を噤む。今は彼のことをそう呼ぶべきではない。だから見上げた視線を少しだけずらす。黒で塗り潰された空。夜明けの時が来るまで、闇を身に纏う、この尊き世界で最も広く、最も高いもの。
 鍾離さんが足を止めたのは、人の姿がほとんど無い街外れに来てからだった。私はじっと彼を見、彼もまた私を見る。なんて――なんて、優しい目をした方なのだろう。私は改めて思う。
「……ずっと、お会いしたかったです。……帝君」
 私はそんな台詞を漏らす。心の内に隠し秘めておくつもりだったのに、すっと零れ出てしまった。そう、鍾離さんの本当の姿は「岩王帝君」――岩神だ。本来の名前はモラクスという。神の座をおりることを望んで、「全ての契約を終わりにする契約」をある存在を交わしたのだという。それでも、私は彼をそのように呼ぶ。呼んで良いのかと以前問い、お前になら構わないと返され、私はそれに甘えているのだ。私に生きる理由と場所をくださった、岩王帝君に。
「……そうか」
 穏やかに彼は答え、数秒の間を置いて「俺もだ」と目を細める。今この瞬間は風なんて吹いていないのに、心が大きく揺れるのを感じた。ああ、私は、今も昔も変わらず「彼」を想い続けているのだなと。けれど、きっと、その想いの全てが許されるものではない。だって、彼は岩王帝君であり、私は彼の喚び出した生命のひとつに過ぎない。例えるのであれば、私は璃月を構成するパズルのピースのひとつ。その一枚の絵を描いたのが岩王帝君。
「……甘雨」
「はい」
「日を改めて、時間をとることは出来るか?」
 彼は言う、自分はしばらく旅人たちと璃月に滞在するのだと。旅人の次の目的地は、知恵の国「スメール」であるらしい。しかし、そう簡単に次の段階へは移れない。璃月で様々な情報を集め、冒険者協会からの依頼をこなしながらの日々を当面は送るのだと言う。スメールは「クラクサナリデビ」と呼ばれる若き草神の領域。当然、璃月とは異なる文化と歴史を持ち、きっとそこで旅人とその仲間は新しい仲間と出会うだろう。
「ええ、勿論構いません」
「……ありがとう」
「それに」
 私も、あなたと同じ時を過ごしたかったのです――続けた声は僅かに掠れていた。

 ◇

 光と闇が代わる代わる世界を包む。それを幾つか重ねることで訪れた、彼との約束の日。今日の分の仕事を早めに終わらせて、私は街に出た。鍾離さんと待ち合わせている場所は玉京台からそう遠くない。加えて、まだ少し時間に余裕はある。だが、私は急ぎ足。少しでも長く彼と居たい、そんな願望が顕著に表れているのかもしれない。
「――」
 頭上に広がる空は、やはり燃えるような色をしていた。変わらない璃月の横顔。私が深く愛し、これからも愛し続けていく国の姿。幻想的なテイワット大陸は、七つの元素が密接に絡み合うことで構成されている。風に吹かれる野には草が生い茂り、美しき水を湛える泉は冬になると氷となって表情を変える。その一欠片が璃月なのだ。
「……鍾離さん」
 私が先に着くだろうと思っていたが、鍾離さんは私よりも早く此処に来ていた。お待たせしました、と頭を下げる私に彼は微笑んでくれる。彼の低く、けれど確かな優しさを帯びる声が私の名を綴った。それだけでも、とても嬉しい。私はもう一歩鍾離さんに近付いた。束ねられた焦茶色の髪が靡いている。
「お前とは、またゆっくり話がしたかった」
 鍾離さんはそう言って、場所を変えようと言葉を足す。はい、と頷く私を彼が連れて来たのは、街の西側にある宿だった。彼や旅人はこの宿で心身を休めているのだろう。二階に上がると、窓の先に海が見えた。果ての無い海原にも夜の足音が迫っており、次第に黒へ色彩を変えていく。それでも、寄せては返す漣の音は不変だ。
 彼は私を部屋に入れると、椅子に座すよう促してくる。彼は一人部屋のようで、他者の気配も痕跡も無い。机に置かれた花瓶には、璃月を代表する植物のひとつ――霓裳花が生けられていた。数輪のそれはしゃんと胸を張っており、生けられたばかりのようだ。私が座ると、鍾離さんも前の椅子に腰を下ろす。
「無理はしていないか、甘雨」
「……はい」
 私の返答へ、彼は頷いた。なら良い、と付け足された言葉にも優しさが滲む。私が凝光様たちの秘書として、時間を費やすのは「彼」との契約だからだ。帝君、と無意識に声帯が震える。帝君は、私のはじまりにして、私のすべて。いつかこの世を発ち、遠くへゆく時が来るとして、最期に思いを馳せる存在も岩王帝君に違いない。周囲の目が無いからだろう、彼は「ああ」と大きく頷くと共に、私のことを「甘雨」と呼んでくれる。またしても、私の喉が同じ音を発した。
「――」
 気付けば、私は鍾離さんの方へと手を伸ばしていた。彼はほんの一瞬だけ目を丸くさせ、それから私の手に自らのものを絡ませてくれる。大きな手だった。私のものより、二回りより大きなそれは温もりを纏っていて、触れた部分に熱を灯した。海の道を照らす灯台のような、導きの光。私がずっと慕い続けてきた存在が、これほどまでに近くに居る――そう思うといろいろなものが込み上げてきて、視界が滲んでしまう。だが、鍾離さんは私の感情の変化に驚かなかった。目尻から頬へ伝う涙を、もう片方の手指が拭ってくれる。涙の理由を問わずに、彼の双眸はただただ私を見つめている。
「……帝君」
 私の彼に対する思いに、名前は付けられない。
「甘雨」
 彼が私へ抱く感情の名も、私は知ることが出来ない。
 そんな時、鍾離さんがふいに立ち上がった。えっ、と小さな声が落ちた。理由も分からず私も腰を上げた。彼はそんな私の背中に腕をまわす。鍾離さんに抱きしめられている、と気付くのには、少々時間を要した。彼の手は、何度か私の背を丁寧に撫でる。私はまた涙が溢れるのを制止出来なかった。私が愛し、敬い、希った何より大きな存在が「私」を認めてくれたかのような、そんな温もりに。私が積み上げてきた時間は、孤独に震えていた時間も含めて、きっと今この時へ至る為に必要だったのだろう――ああ、帝君、私は。すべてを伝えたいのに、なにも台詞にならない。私は彼の腕の中で彼のことだけを想う。少しだけ身体が離されたかと思えば、互いの吐息が触れる程に顔と顔の距離が詰まった。
「……甘雨」
 人間にも、仙人にもなりきれなかった曖昧な私を、彼は――彼だけは。
「……」
 そのまま、唇が重なる。ほんの数秒、触れ合っただけだ。だが、その数秒間は本当に倖せで、ひとつ、またひとつと雫が落ちる。泣いてばかりいてごめんなさい。でも、この涙には苦しみも痛みもありません。私は何とかそれを声として伝えた。全部、あなただからなのです。喜びだけで溢れたものなのです。彼は私の台詞へ「ああ」と答え、また唇を重ねた。
「……んっ」
 今度は先程より長く、そして深い口付けだった。思わず溢れた私の声は、自分のものではないような色を帯びていて、体の奥が疼く。無意識に瞑っていた目を開けて、彼のことを見る。鍾離さんの整った顔に浮かぶ表情は、今まであまり見たことのないもので、更に鼓動は早まっていく。カチ、と分針が進む音がした。
「ずっと、お前に会いたかった」
 彼が私の水色の髪を撫でる。その大きな手は優しく、けれど、熱く。
「……俺たちが離れていたのは、それほど長い時では無かった筈なのにな」
 ふ、と彼が小さな笑みを浮かべていた。六千をゆうに超える年数をこの世界で重ねてきたのだ、岩王帝君は。それも魔神たちとの長く壮絶な戦いも含まれている。私も同じ気持ちです、と何とか続ければ、彼はもう一度笑ってくれた。その優しい顔を見ただけで、また涙が溢れてしまいそう。鍾離さんと縺れるかのように寝台に倒れ込む。二人分の重みを突然受け止めた寝台はギシ、と軋んだ。象牙色の窓掛けの向こうには、ひたひたと歩み寄っていた黒が到達し、その色に塗り潰された空が広がっていることだろう。
「――甘雨」
「はい……」
 彼は私を呼び、私もそれに応える。鍾離さんの目は優しさを手放してはいない。だが、それとは全く違うものが宿っている。今までに見たことのない、そんなものが。でも不思議と怖くは無かった。きっと彼が彼であるから、なのだろう。
「もう少し、お前に触れても構わないだろうか……」
「……ええ。……あなたになら、私は――」
 この身のすべてを捧げても構いません。最後までは声にならない。鍾離さんの唇が首筋に触れた。あっ、と声が漏れる。そのまま何度かその周辺へ口付けられた。その度に私の喉からはそんな声が落ちて、擽ったいのと同時に、それとはまた違う感覚が全身を駆け巡る。彼の手により胸元がはだけられた。私を見るその瞳に、私の姿が映る。当然のことなのにそれが本当に幸福で、私は彼のことだけを見て、彼のことだけを想う。「璃月七星」の秘書としての私は遠ざかり、また違う私が此処にいる。寝台が再び軋む。
「……てい、くん……、んっ……」
 あらわになった鎖骨の辺りに口付けられた。それから彼の唇が段々下へ移る。左の胸に触れられた。私の心臓が鼓動し続けているのを確認しているようだ――私の長い人生の中で、おそらく最も高く鳴っているそれを。
「甘雨、こうしてお前が居て本当に良かった」
 彼の目が細められる。
「お前を喚んだ昔の俺に、感謝しているくらいだ」
「岩王帝君……」
 私は彼の姿をじっと見た。いや、最早彼しか見えていない。それに、彼は神の座をおりている。「鍾離」を名乗る、往生堂に招かれた客卿。その姿こそが今の彼なのだ――でも。
「……帝君」
 やはり、彼をそう呼んでしまう。岩王帝君は、私のすべてであるから。
「ん、んんっ」
 くぐもった声が出た。彼の大きな手が今度は右胸に触れたからだ。直に触れられて、ぞくりとする。それでも手付きは酷く優しく、温かく、その所作には彼の本質が滲み出ていた。
「……あっ」
 頂を彼の指が摘み、何度かそれが繰り返されて私は身を捩る。爪先まで走るそれは明確な快感で、こぼした声もいつもの自分のものでは無く、様々な感情が心の中でぐるぐると渦を巻いていた。
 彼は胸にも口付けを落としていく。その度に私は声を上げ、彼から与えられたものに溺れかける。でも、まだ溺れてしまってはならない、と何とか意識をキープする。気付けば更に衣服がはだけられていて、かあっと顔が紅潮した。彼の手は首筋や胸元だけでなく、もっと下まで落ちていく。
「あっ、あ……んっ……、あっ……」
 いいのか、そう彼の低い声が問うてくる。指が私のなかへ入ってくる。それを待ち望んでいた、なんて言うのははしたない。だが、そうであることは紛れもない事実で、両の耳に届くのは蜜の溢れる水音。
「あっ、あっ……そこ、は……!」
 彼が私の弱い部分を見つけて、「此処なのか」と繰り返しその場所へ甘い刺激を与えてくる。駄目、と短い声が出かけて、口は塞がれる。弄るように舌が動き、解放されたかと思うと私たちの唇同士を銀の糸が繋いだ。駄目では無いのだろう、寧ろその逆なのだろう、そう彼の目は言っている。私は全身が火照るのを感じた。身体を流れる血液が熱湯に変わり果ててしまったかのように。
「甘雨」
 帝君は私から理性を奪ってしまう。彼の指によって解かされたそこはさらなるものを求めていて、でもそんなことを強請ることも出来ず、ただただ疼いている。砂の海を延々と彷徨する者が、からからに乾ききった喉に冷たい水を流して潤すその瞬間を待ち望んでいるように。
「あああっ、てい、くっ……」
 私の視界は水彩画の如く滲んでいる。そんな私を見る琥珀色はやけに清らかで、こんな風に肌を重ね、身体を繋げようとしている事実との差が色濃い。その輪郭だけが、滲んだままの世界でくっきりと見えていた。彼は指を勢い良く引き抜いた。もう、私の喉からは嬌声と呼ぶのだろうか、そんなものしか出てこない。ああ、もう、私は。押しては返す波に、私は逆らえない。室内に高い声が響いた。
「――達したか?」
「ん、んっ……」
 一度限界まで到達した私の頬を、彼は撫でた。その手は本当に優しいもので、また頬が熱いもので濡れてしまう。もっと、あなたと、なんて言えない。だってあなたは。そこまで思考が巡った刹那、彼はまた私の名前を呼んでくれる。私はあてがわれた彼の手に自分の掌を重ねた。
「……」
 私と彼は見つめ合う。どちらにも言葉は無い。その目に私が頷いた。未だ蜜の溢れたところへ触れられる、熱を孕んだ彼の半身たるもの。冷静に考えたら、これは許されない行為だ。忘れてはならない。彼は「岩神」モラクス様。麒麟という「仙獣」と「人間」の狭間に揺れ動く私と彼の間には隔たりがあり、それを壊すことは絶対に許されない。でも、私は望んでいる、壁が崩れてひとつになる瞬間を。本当の意味で自分の全部を捧げる時を。私と帝君の間に交わされた契約に、齟齬があると分かっていながら。
「……わ、私に――」
 じっと彼を見た。そこは待ち侘びている、彼のことを。私の台詞が終わる前に、彼は大きく首を縦に振った。辛かったり苦しかったりしたら背に爪を立てても構わない、そんな風に告げて彼のものは私の奥へ沈められていく。
「――!」
 最初に感じたのは鋭い痛みだった。だが、これは、恐れる痛みではない。
「……あああっ――!」
 繋がった身体同士が、何かを叫んでいるかのよう。「あなたのことをこの世界の誰よりも愛しています」と、隠しきれない本当の想いが溢れ出そうになった。その唇が彼の唇で塞がれる。分かっている、とでも言いたげな視線。絡みつく舌。落ちる雫。そして重なったところから広がりゆく、確かな快楽。顔と顔が離れれば、くっ、と彼も声を漏らしているのが聞こえた。
「てっ、てい……ああっ……! んっ……あっ……!」
 羞恥心は消えていないが、上擦る声を喉奥へ押し込めることは出来ない。私のすべてである岩王帝君。鍾離さんへの燃え盛る感情。どちらも真実だ。強張っていたものは緩く解けている。三千年を超えている人生のなかで、そして長く続くこれからのなかでも、今日という日より深く刻まれる日は無い。
「――甘雨……!」
 彼の熱が奥へ進んだかと思うと、引き抜かれ、また奥へと押し込めれる。汗が滴り落ちているのが見えた。普段は見せる筈も無い今の彼の表情を、私は心に焼き付ける。ああ、私は、彼の為にこれからを生きたい。今まで彼の為に生きていたように。私に与えられた時間は長い。その全てを彼へと捧げたい。これまでとは、違う形だったとしても。
「あっ、ああ……私っ……!」
 ふわりと意識が飛んでいきそうになった。彼はゆっくりと私の上半身を起こす。背中に回された腕が力強く私を支えてくれる。彼は下から上へと高みを目指すように突く。動けば動く程に私は喘いでしまう。その言葉ひとつひとつを彼は拾い上げてくれる。そんな彼のことを、私は何よりも愛してしまったのだろう。璃月という国よりも、この世界そのものよりも、自分自身よりも。
「てっ、帝君……ああっ、あ、んんっ……だめ、ですっ――もう……」
 再び意識が離れそうになる。それは、私だけでは無かった。
「――甘雨っ……くっ……!」
 彼の表情が歪み、繋げられ続けていたそこへ熱が弾けた。吐き出されたものは私の中で広がっていく。ああ、と意識せずに口から何の意味も持たない声が出た。荒い息のままの私のことを彼は呼び、つい今さっきまであった激しさとは、全くもって対照的な優しい目が、私のことを捉えて離さない。頬に残る涙を、そっと彼の指で拭われた。

 窓掛けの先にある世界はまだまだ昏い。朝の訪れはもうしばらく先だろう。だが、一歩一歩そこへ世界が歩んでいるのもまた事実。肌を重ね合う行為に溺れた先に私が辿り着いたのは、簡単な一言では言い表すことの出来ない岬。鍾離さんはそんな私から離れず、傍らに居てくれる。
「……辛くは無かったか」
「……は、はい」
 鍾離さんは私の返事を聞くと頷いて、それからまた私の名前を呼んだ。今夜、何度彼の声帯から私の名が発せられただろうか。簡単には分からない程に、何度も何度も呼んでもらえた。その度に数多の感情が私を包んでいた。でも、一番「愛しさ」を感じたのは、今の声に対してだった。
「お前は少し、休むといい」
 草臥れただろう、と労う彼に、私は素直に首を縦に振る。
「朝になったら起こす」
 目覚めた時も側に居るからと、彼は私と約束を交わす。私は時間をかけて瞼を閉じた。その裏側に描くのも彼の姿。更に特別になってしまった、この世の何よりも尊く、かけがえのない存在。夢の中でも、彼と会いたい。そんな風に願う私は強欲だろうか。けれど、それが私の本音である。
「……」
 意識が靄のようになっていく。彼が私の頭を撫でている感覚も、次第に遠退いていく。
「――帝、君……」
 水底へ落ちていくような、そんな中で彼のことを呼び、私は完全に夢というあやふやなもので構成された世界へ。まだ身体に残る彼が与えてくれた熱度。どんなに冷たい世界に堕ちてしまったとしても、心の核でその熱は私のことを護ってくれる。
 私は優しい闇の中で、彼のことを想い続けた。光の降る朝が訪れ、曖昧な夢から現実へ戻る時も、彼が私を導いてくれる。もう、何も怖くはない。そして私は眠りへ。彼の眼差しを受けながら。

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