こころのいたみ

「やあ、久し振りだね。君と会うのは、一体いつ以来になるんだろうね?」
 璃月の街外れ。この契約の国を揺るがした大事件は過去のものになりつつあり、街はいたって平穏である。元素が絡み合うテイワット大陸を巡る旅人――蛍は微笑う青年を前に身じろいだ。彼の名はタルタリヤ。氷国スネージナヤの組織「ファデュイ」、その中でも十一人存在する執行官「ファトゥス」に数えられる男だ。ファデュイは岩神モラクスの領域の璃月だけではなく七国の各地で暗躍している。タルタリヤは一時的に蛍の「協力者」になってはくれたが、ファデュイであることに変わりはなく、事実、「神の心」を狙って造幣局「黄金屋」で蛍と激闘を繰り広げた。油断のならない相手だ。タルタリヤは朗らかに微笑っているが、蛍の表情は強張っていく一方。
「ハハッ、そんなに警戒しなくてもいいのに」
 彼は全てを見抜いたような、そんな顔をする。
「……しばらくは稲妻に行っていたのかな?」
「……そう、だけど」
「へえ、稲妻にも強い奴はいたかい?」
 タルタリヤらしい質問に、蛍は無言を貫いた。彼はあどけなく笑う一方で、戦闘を好む面を持つ。ある意味狂気的なその姿こそ、きっと彼の本質なのだろう。気さくに振る舞う姿は仮面のようなものであると蛍は気付いていた。ざあ、と風が吹き抜ける。それと足元で咲く花だけが穏やかさを抱いていた。
「君なら分かってくれるかな。俺はまた、君と戦いたいんだよ」
 それは、想像通りの台詞だった。蛍は後ずさる。タルタリヤはあのファデュイの一員なのだ、それも、最も危険とされる執行官。今日は運悪くパイモンも一緒ではないし、それ以外の仲間もこの場にはいない。そう簡単に負ける気はないけれど、自分の力を過信するのも良くない。「公子」という肩書を持つタルタリヤは手を抜いたりもしないだろう。
「戦ってはくれないのかな?」
 タルタリヤが一歩前に出る。
「君と再会を果たしたら、またやりあうことが出来るんだろうなって、楽しみにしていたのにな」
 彼の目に光は無い。蛍はまた少し後退する。戦う気はない。それを言葉にしたのはいいが、その声は酷く震えていた。強者を前に、怯える弱者のよう。蛍だって自由の国モンド、契約の国璃月を旅した。永遠の国である稲妻だって巡っている。それに、これからスメールなどの国を旅することになるのは間違いない。故にそれなりの経験は積んでいる。だからこそ、だろうか。ここで戦うわけにはいかないと胸の奥で何者かが叫んでいた――ここは、逃げるべきだろう。蛍は決断した。
「――!」
 しかし、その場から去ろうとした蛍の手首をタルタリヤは強く掴む。ぎり、と力を込められて蛍の眉が顰められる。痛い、と声を漏らし、蛍は背の高い彼の目を見た。彼の目にはやはり何の光も灯されておらず、明確な狂気が孕んでいる。もう少し俺に付き合ってくれないか、と続けるタルタリヤへ蛍は「離して」と声を絞り出した。振り払おうとしても彼の力は込められていくだけ。旅人が稲妻に渡ることで、彼と離れていた数ヶ月。蛍のそれは様々な意味で充実していたのだが、彼の方が違ったらしい。その空白を少しでも埋めたいと願って、タルタリヤは戦いを望んでいるのだと蛍は察知する。
「……」
 全力で抵抗すれば逃げられるかもしれない。だが、それはきっとタルタリヤに傷を負わせることと同意義。蛍にとって彼は完全な味方ではない。しかし、彼を傷付けることは――したくない。彼が自分を傷付けることはあるだろうに、どうしてだろう、蛍は青い瞳をじっと見据えた。それは氷のような瞳だ、まだ見ぬ氷の女皇もそんな目をしているのだろうか。蛍は「分かった」と小さく答える。すると、タルタリヤは呆気無く手を離した。また風が吹いた。何かを告げるかのように。
「ああ、俺はこれを待ち望んでいたんだよ!」
 蛍は剣を構える。ずっと振るってきたそれは璃月を照らす太陽によってきらりと光る。タルタリヤもまた得物を握る手に力を込めた。
「……行くぞ!」
 先に動いたのはタルタリヤだった。得物と然程変わらない鋭さを持った目が蛍だけを捉えている。水の元素を纏った素早い攻撃を蛍はなんとか避ける。蛍は攻撃に移らない。いや、移れないのだ。そう、彼を傷付けたくないのだ、彼がスネージナヤのファデュイであり、ファトゥスであり――この璃月とその民を溺死させようとした恐ろしい男であっても。タルタリヤはそれが分かっていないようで、何度も攻撃を繰り返す。
「――っ!」
 それを必死に避ける蛍だったが、体力にも限界がある。タルタリヤの一撃が蛍の足へ直撃する。鋭い痛みが全身を駆け巡る。蛍はその場に蹲ることしか出来なかった。
「……はぁ、はぁ……これで、満足、した?」
 私の負けだよ、と蛍が続ける。足から滴る真紅。それは、青々とした大地に血溜まりを作っていく。それほど深い傷ではない。しかし、早めの治療が必要だろう。蛍は経験則でそう思った。なんとかこの場を離れて、バーバラに診てもらわなくては。だが、自分の足で歩いて宿まで行けるだろうか。
「……どうして、だろう」
「えっ?」
 タルタリヤの声が、驚く程に辿々しい。
「君とずっと戦いたくて、こうして戦えて嬉しい筈なのに……君が苦しむ姿を見たら、急に悲しくなってきてしまった……」
 彼はすっと手を差し伸べた。立てるかい、と続けられて蛍は何も答えられなかった。こんな表情のタルタリヤを見るのは初めてで、傷を負わせた自分自身に怒りを覚えているような――そんな顔をしていた。蛍はタルタリヤの手を借りて立ち上がった。痛い。ずきずきと痛い。けれど痛々しい顔のタルタリヤを見ると、もっと別の部分も痛みを訴えかけてくる。
「……ごめん、俺、矛盾しているよな」
「……そうだね。ものすごく、矛盾してる」
「これはきっと、君だから、なんだと思うけど……」
 タルタリヤの声は次第に細くなり、蛍はすべて聞き取れなかった。聞き取れたところで、また複雑な感情が胸を満たすことになっただろうが。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -