望むものは、大抵の場合手に入らない。そういうのはよくある話だ。ディミトリは深く息を吐きだしてからそんなことを思った。こんなことを考えても、何も変わりはしない。それは分かっていた。だがつい考えてしまった。
今夜は新月。鋭く、冷たく光る月が見当たらない空には、無数の星が瞬いていることだろう。だが、それを見上げて思いを馳せる余裕など彼には無かった。
否、彼だけではないだろう。戦争の勃発したフォドラ。セイロス教団へ――世界に剣を向けたアドラステア帝国。それを束ね、率いるのは若き皇帝エーデルガルト。ディミトリは彼女への憎悪を抱えて生きている。だが、心は死んだようなものだ。彼女の首を捻り切ることだけを望み、あれから約五年。憎しみだけが彼を突き動かす。絶望の闇の中で、彼は這い蹲るように時を刻んでいる。
ディミトリは、ここのところ眠っても殆どの場合すぐに目を醒ましてしまうのだが、そうでない場合はいつも同じ夢を見る。目の前で大切なものが破壊し尽くされていく夢を。何もかも打ち砕かれるような残酷な夢を。いや、目を醒ましてもディミトリに纏わり付くのもそれと似たものなのだが――。
だが今回は違った。すぐに目を醒ましたのは同じなのだが、内容が大きく異なっていた。自分は鎖に繋がれている。酷く冷たい氷のような鎖に。夢の中でも、ディミトリは喪失感に沈んでいる。何の音もしない。風の音も、剣と剣を打ち付ける音も、何も聞こえない。不可解なほどに静かだ。ディミトリはずっと俯いていた。
どれだけ時間が経ったのか。夢の中の話であるから、現実世界の理である時の流れなんて本当は無いのかもしれないけれど――彼は顔を上げた。冷え切った床の上を、何者かが歩いている音に気が付いたのだ。夢の中ではあるが、ディミトリは無意識に槍を握る。自分以外は全て敵に見える。獣のように、目の前に他者が姿を見せれば牙を剥き、爪を立てる。まさしく血を欲する獣(けだもの)だ、光のない瞳に「その人物」の姿が映る。
「――」
声は無かった。出せなかった。目の前にいたのはディミトリがまだ穏やかな時を過ごしていた頃――士官学校で日々勉学や鍛錬に励んでいた頃、自分に様々な知識と経験を与えてくれた教師――ベレスであった。翡翠のような色の瞳がディミトリのことをとらえている。僅かに穿たれた窓から光が差し込んだかのよう。ベレスは何も言わない。ディミトリもまた言葉を詰まらせる。先生。そうあの頃のように呼びたい。だが、何も言えない。本当は彼女に会いたいとずっと願っていたはずなのに。
夢というのは儚く脆いもの。ディミトリがなにかを発する前に、その姿は霧のように消えてしまった。彼は目を醒ましたのだ、広がる現実は血の匂いが充満する、冷え切った世界。なんて夢を見てしまったのだろう。望むものなんて、手に入ることの方が少ない。ディミトリの喉から乾いた笑みが落ちた。それからぐっと手に力を込める。いっそ、あのまま永遠に時間が止まれば、あの優しかった安らげる日々を想いながら死ねただろうか。そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。死んでいった者たちの願いを繋ぐのが、生きている者の使命なのだと、胸の奥で自分に似たなにかが訴えている。復讐を遂げねばならない。エーデルガルトという略奪者を殺さねばならない。その道を阻む者がいたら、誰であろうとこの手で斬る。夢に縋る訳にはいかない。いくらベレスのことを思い出したところで、この場に彼女が現れることなんて無いのだから。
そのままディミトリは窓に目を向ける。視界が黒で塗りつぶされていく。心も全部、そうやって同じ色に塗り固められてしまえばいい。今の自分には人間らしい心など無い。
ただ――敢えて言うのなら、ベレスという女性への尊敬に似た想いだけは未だ消え失せることなく在り続けているようにも思えたが。
title:ユリ柩