きみが夜と呼ぶ黎明

 最近、どうにも夢見が悪い。メルセデス=フォン=マルトリッツは上半身を起こして、荒い息を吐き出した。もう見たくないと願う夢を、ここのところ繰り返し見ている。まだ夜中だ。起きているものはごく僅かだろう。メルセデスはもう一度大きく息を吐くと、一枚上着を羽織って自室を出た。
 こういう時に向かうのは、いつも大聖堂だった。王国での教会暮らしが長かったせいか、不安や悲しみに沈みそうになると女神に縋る。ここガルグ=マク大修道院の士官学校に入学してからも、祈りは欠かさなかった。「青獅子の学級」に属する生徒は多いが、メルセデスは特に信心深い方に分類される。
 
 重く大きな扉を押し開けて、大聖堂へ入る。ギイ、とそれが軋む音がした。奥へ奥へと足を進めていけば、そこには先客がいた。メルセデスは「えっ」と小さな声を思わず漏らしてしまった。まさかこんな時間に誰かが――しかも「彼」がいるとは思いもしなかったのである。燃えるような赤い髪の生徒の背中が見える。メルセデスは彼の名をつぶやいた。細い声だったのに、彼には――シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエには届いたらしい、彼は振り返ってその瞳にメルセデスのことを映し出した。
 ゴーティエ辺境伯の嫡子である彼もまた、メルセデスと同じく「青獅子の学級」に所属している。彼は仲間思いな部分が評価される一方、無類の女好きと知られていた。女性を口説くということ自体が趣味であると揶揄されるほどだ。それでも、メルセデスは知っている。ここで学ぶ者も大半がそうであるのと同じで――シルヴァンの心にも影が差しているということを。
「や、やあ、メルセデス。こんな時間に奇遇だな」
 先に声をかけたのはシルヴァンだった。彼は普段通りに振る舞っている。メルセデスはそんなシルヴァンにゆっくりと歩み寄った。
「珍しいのね〜、あなたがここに来るなんて」
「いやあ、たまにはメルセデスを見習ってみようか、と思ってね」
「まあ、そうなの? ふふっ、そういうことにしておきましょうか」
 メルセデスはまた一歩前に出て、シルヴァンの隣に並んだ。そして上へ上へと目を向ける。手を組んで、祈りを捧げる。遥か昔より在りし地フォドラ。このフォドラを見守るという天上の女神への祈りを。ここガルグ=マク大修道院は、フォドラに生きる者の大半が信仰する、セイロス教の総本山。多くの者の祈りは、まるで花束のように女神へと手向けられる。
 彼女の祈りは十数分にも及んだ。いろいろと思うことが多いのだろうな、と傍らでシルヴァンは思う。自分にも暗い過去があり、彼女もそれは同様。そもそも人間であればそういったものはひとつふたつある方が普通で、何も傷つかずに生きていける者なんて寧ろそっちの方が珍しいだろう。
「なあ、メルセデス。どうしてこんな時間に?」
 顔を上げたメルセデスに、シルヴァンは遠慮がちに問いかけた。
「え? ええ……そうね〜、少し、夢を見てしまって、それで目が覚めてしまったのよね」
 どんな夢だったのか、をシルヴァンは問わなかった。彼女が辿々しく答えるのを見て、何となく察してしまったからだ。幸せな夢では無かった、ということが。シルヴァンにも経験がある。辛い夢の果てに目が覚めたかと思えば、その夢に心を振り回されるような経験が。夢というものは不条理だ。楽しかったり幸福だったりする夢はすぐに消えてしまうのに、悪夢と呼べる類のものはしつこく脳裏に残される。
「あなたは?」
 今度はメルセデスが訊ねる番だった。小首を傾げると共に、緩やかなウェーブヘアが揺れた。
「俺も、似たようなものだよ。なんだか寝付けなくってな」
「そう……」
 シルヴァンの答えに、メルセデスは俯いた。
「気がついたらここに来ていたんだ。変、だよな。俺はメルセデスみたいに敬虔なセイロス教信徒って訳でもないのにさ」
「いいえ、そんなこと無いわ〜。女神様は、あなたのことも見守っているのよ」
 いつだって、どんな時だって。そう続けるメルセデスにシルヴァンは目を大きくする。メルセデスは続ける。
「それにね、シルヴァン。私、あなたとこうやってお話出来て、とっても嬉しいのよ〜」
「メルセデス……」
「ここに誰も……いいえ、あなたがここにいなかったら……私、怖い夢を忘れられずにいたような気がするの」
 目の前にある大切なものが崩されていく夢。大事にしてきた過去が踏み躙られる夢。生き別れた弟の夢。それらが重なり合って、混じり合って、メルセデスに襲いかかってきたのだ。それから逃げ出すように大聖堂に来たら、シルヴァンがいた。メルセデスは救われたように思ったのだ、いるはずのない彼の背中を見つけて。
「ねえ、シルヴァン。あなたも、私と話せて嬉しいと思ってくれるのかしら?」
「……ああ、勿論だよ、メルセデス。きっと、俺も君と同じ気持ちだ」
 シルヴァンが僅かに笑んだ。そして先程までメルセデスがそうしていたように、上の方へと目を向けた。手を組むようなことはしていないけれど、彼なりに祈りを捧げているということがメルセデスには分かった。
「……もし良かったらさ、メルセデス」
「あら、なあに?」
 彼がメルセデスの方に向き直る。
「また、こうやって話をしてくれないか。ふたりで、さ」
 君と同じ場所で、同じ時間を過ごしたい。彼の言葉にメルセデスは大きく頷く。それに――明日は、よく眠れるかもしれない。そう思えたのはシルヴァンが優しい目をしてくれていたからだった。


title:失青



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