花喰い少女

 この世界のすべてを敵に回しても、自分だけは彼女に寄り添っていたいと願った。
 その願いの為に、多くの命が失われていっても――それでも。
  
 ベレトは、アドラステア帝国の若き皇帝――エーデルガルト=フォン=フレスベルグと共に戦うことを選択した。即ち、それはフォドラで広く信仰されるセイロス教団にあの剣を向けるということ。ベレトはガルグ=マクの士官学校の教師として「黒鷲の学級」を任され、級長エーデルガルトや、彼女の従者ヒューベルト=フォン=べストラ、学級唯一の平民生まれのドロテア=アールノルトなどと絆を深めた。
 それはエーデルガルトたちが士官学校を卒業し、それぞれの居場所に戻るまでのものであったが、現実はそういった未来と大きく違ったものになってしまった。今や、セイロス教団は敵であり、大司教レアはベレトたちが生きることを赦さない。フォドラは戦の炎に包まれている。暗黒の時代がふたたび訪れたと言っても良いだろう。
 
 ガルグ=マクを拠点に、ベレトとエーデルガルトたちは教団や王国と戦っている。何もかもが変わってしまった。ベレトは今日も私室で目を覚ます。今日は出撃の予定が無く、それぞれが時間を有効に使うようにと、昨日のうちにエーデルガルトが通達していた。彼女の仲間たちは「黒鷲遊撃軍」の名のもとに、強い意志を持って戦いへと身を投じている。
 ベレトは身支度を整えると、外に出た。どうやら今日は曇天のようだ。もしかしたら一雨あるかもしれない。暗い雲は、彼らの行く先にある未来を覆い隠しているかのようだ。セイロス教団と戦うということ。それは、この世界のほとんどすべてが敵と言っても過言ではない。もともとベレトはそこまで敬虔な信徒ではなかったが、黒鷲の学級にも深くセイロスの教えを信じている者は少なからずいた。そういった者は、この戦は無謀だと心の片隅では思っているかもしれない。だがエーデルガルトの理想と考えを受け止め、彼女の軍に加わっている。
 
 ベレトはそんなことを考えつつ、温室へと向かった。花は好きだ。戦争で、人々が苦しみ喘いでいる世。花を愛でる余裕など無い者が大半だ。しかし、ベレトは思う。こんな時だからこそ、何かを愛でる心は救いになるのではないかと。温室の戸を開けて中に入れば、先客がいた。その人物は如雨露で花々に水をやっており、背を向けている。ベレトには気付いていないようだ。ここが戦場であれば、その人物の命は無かっただろう。ベレトは苦笑して、名を呼んだ――エーデルガルト、と。
「せっ、師(せんせい)……!?」
 エーデルガルトは驚きを隠せないようだった。いつもは冷静で、時にはやけに鋭く冷たい目をすることもある彼女だが、今この場にいるエーデルガルトは年相応の反応を見せている。
「な、何? 私が此処にいたら、おかしいかしら?」
 彼女は水やりを終え、如雨露をそっと置いた。棘のある言い方にも聞こえたが、ベレトはそこを注意せず、自分も此処にいていいかと問いかける。するとエーデルガルトは何故か頬を紅潮させつつ勿論、と頷く。花の香りがする。甘く、優しい香りだ。此処にいると、血の匂いで充満している戦場に立たねばならない現実が、少しだけ遠ざかるかのよう。ベレトはもう一度花に目をやり、それからエーデルガルトを見た。
「師は、花が好きなのね」
 少し意外だわ。エーデルガルトは言う。ベレトは否定も肯定も無く、何も言わないままだったが、彼女はそのことを気にはしなかった。もともとベレトは口数が少ない。戦場であれば大きな声を張り上げるけれども。エーデルガルトはふ、と微笑んだ。そんな彼女こそが一輪の花のようだ、と思ったがベレトは口にはしない。
「私は、今までそんな余裕が無かったから……たまには来てみようかと思ったの」
 エーデルガルトの過去が重いことを、ベレトは知っている。知っている、と言ってもきっと想像以上に残酷な過去だ、エーデルガルトが辿ったものは。歴史のあるアドラステア帝国の皇帝となったエーデルガルト。今は黒鷲遊撃軍をまとめ上げる立場であるが、本来傭兵上がりの教師にすぎないベレトには計り知れないものなのだろう、恐らくは。次期皇帝として壮絶な過去を、エーデルガルトは積み重ねてきた。そして――それはこれからも。休日明けには、またそれぞれの得物を手に、ヒトと闘う。多くの血を流し、命は未来を失って崩れ落ちる。戦争は殺し合いだ。殺さなければこちらが殺される。フォドラを包むのは女神の慈悲などではない、吐き気を催すような死臭だ。

「ねえ、師。あなたはこの花の、花言葉を知っている?」
 少しの沈黙のあと、エーデルガルトはそんな言葉を発した。彼女の指がさす花を、ベレトは見つめる。それはとても綺麗な花だ、儚くも存在感を放つ。ベレトは視線を彼女へと戻すと、首を縦に振った。教師という立場になってからは、いろいろな本を読んできたけれど、花言葉など調べたことはない。
「――じゃあ、今度調べてきて。答え合わせをしましょう、またあなたと此処で会う時に……ね?」
 エーデルガルトはもう一度微笑を浮かべた。ベレトが頷くのを見ると、エーデルガルトが一歩彼から遠ざかる。そろそろ行くわね。ヒューベルトと約束があるの。そう続けた彼女を追いかけるように、ベレトも歩んだ。すぐ隣へと立つ。それは予想外だったらしい、エーデルガルトが目を丸くする。ベレトの方も、無意識であった為に、同じような顔になった。
「……ふふっ、師、どうしたの?」
 そう悪戯っぽく言う彼女は、普段よりずっと少女らしく――本人に言えば睨まれるだろうが、可愛らしかった。ベレトはそのままエーデルガルトとともに温室を出て、そこで別れた。ヒューベルトと何かしらの約束があるそうだから、彼女に付いていく訳にはいかない。また後でね、とエーデルガルトは手をひらひらと振って去っていった。

 残ったベレトは、視線を空へと上げる。曇天。すっきりしない空模様だけれど、心は色付いている。心穏やかに花を愛でたせいなのか、彼女と――エーデルガルトと優しい時間を過ごせたせいなのか、ベレトには分かっている。これからの道は険しい。茨の道、と表現しても足りないくらいだろう。それでも自分は、エーデルガルト=フォン=フレスベルグがフォドラの統一を成し遂げるまで、この足を止めない。幾度血が流れても。どれだけの傷を負っても。いつかあの花の意味する言葉を知った、その先も。


title:天文学



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -