果てしなく広がる青い空に、千切れた綿のような雲が幾つか浮かんでいる。白夜王国には、また春が訪れていた。
 白夜の第一王女ヒノカは、暗夜王レオンに嫁いだ妹カムイからの手紙に目を通していた。
 手紙の内容はヒノカたちへの思いと、自らとレオンの近況報告、それと一歳の誕生日を迎えたばかりの息子フォレオのこと――。
 丁寧に書かれたその文字列を追うと、すぐそばで妹が微笑んでいるようでヒノカの頬も無意識に緩む。
 またお時間の許す時にでもこちらへ来てください、という一文はカムイの心からの言葉なのだろう。
 前に会った時はフォレオが生まれた直後だったので、少々慌ただしかった。それでも、母となったカムイが大変幸せそうにしていたのはよく覚えているけれど。
 ヒノカはもう一度手紙に目を落としてから便箋を封筒にしまい、立ち上がった。そろそろ時間だ。彼女は自身のもうひとりの妹、サクラのところへ行く約束をしていた。
 今日もとてもよい天気だから、彼女と城下町に出てもいいかもしれない。この広い空の下、カムイは何を思い夜空を見上げているのだろうか。
 離れ離れになったことは寂しいけれど、姉として妹の幸福を願っていたヒノカの心に、暗夜への怒りとそれに近しい感情はもう無い。
 わだかまりが全く無いと言えば嘘になってしまうかもしれない。暗夜王国が白夜王国にしてきた仕打ちは酷いものであったし、スメラギやミコトが亡くなったのも暗夜のせいだ。
 それでも今の王であるレオン、そして王妃となったカムイは、両国の共存を願っている。白夜王であるリョウマと同じ未来を望んでいる。
 長きに渡った戦争が白夜の勝利で終わって、その勝利を導いたカムイが暗夜に嫁いで――世界は変わった。くるくると廻りながら、新しい道を進みつつある。
 ヒノカは心の中で彼女の名前を一度呟いて、それから歩みを進めるのだった。

 * * *

 ゆらゆらと蝋燭の炎が揺れる。それはぼんやりと室内に光を添え、柔らかな雰囲気を醸し出す。
 木製の椅子に腰掛け、カムイはフォレオを胸に抱き、すやすやと眠る息子の寝顔を優しい目で見つめている。
 カチコチという時計の針が進む音と、フォレオの寝息。とても静かだ。そして同時に穏やかで、カムイは目を細める。
 そんな彼女のもとにレオンが戻ってきたのは、フォレオが眠りに落ちて一時間半ほど経過した頃のことだった。
 ゆっくりと静かに扉を開けるレオン。彼を出迎えるカムイの声は弾んでいて、レオンの方も思わず笑みをこぼしてしまう。
「……遅くなってごめん」
「いいえ、気にしないでくださいね。それより、お疲れではありませんか?」
「僕なら大丈夫だよ、ありがとう」
 レオンがそう答えると、カムイの方も花のように微笑んだ。
 彼は暗夜王国という大国を統べる王。多忙を極めていることをカムイはよく知っている。
 それでもレオンは時間を作って自分のそばにいてくれる。国を思うと同時に、家族のことを深く愛してくれている。
 カムイはそれが嬉しかった。レオンと本当のきょうだいではないと知った時の悲しみを覆い尽くすほどに。
 今思えば、本当に血の繋がったきょうだいであったなら、こうして夫婦になどなれなかったのだけれど。
 カムイが北の城塞で過ごしていた頃――囚われの暗夜王女であった頃から、レオンへの想いは始まっていて、カムイはそれを許されない想いだと抑え込んでいた。
 いつかレオンが隣国の王女や貴族の娘などと結ばれる日が来るのではないか、と思って枕を濡らすこともあった。
 矛盾した想いだとカムイはわかっていた。わかっていたからこそ、今、彼が一番に自分を愛してくれているということが何よりも倖せで。
 カムイは立ち上がってベビーベッドにフォレオを寝かせる。眠るフォレオにそっとふんわりとしたオフホワイトの毛布をかけてから、カムイはレオンの方を見つめた。
 彼は彼女が自分の方に目を向けることを待っていたようで、当たり前のように視線が絡む。頬が火照るのをカムイは感じつつ、その視線はそらさない。
 レオンが近寄る。出来る限り音をたてないように注意をして。狭まってくる距離。カムイはじっと彼を見続けている。
「――カムイ」
 名前を呼ばれただけで、胸の奥がどくんどくんとなる。
 心の芯が熱くなる。どこまでも優しげな眼差しを向けられて、それと同じくらい優しい声をかけられて。
 自分と彼の間には様々なことがあった。もう二度と笑い合うことさえ出来ないのでは、と思ったこともあった。
 カムイが白夜王国の王女として、平穏な未来の為に暗夜王国と戦う道を選択したあの時。
 兄と慕ったマークスの差し伸べた手を振り払って、もうひとりの兄リョウマの手を取ったあの瞬間。
 陽の昇らない暗夜王国でも最も暗いとされる鬱蒼とした森で、レオンと対峙したあの日。
 ぎっと睨みながら彼女を殺すとさえ言い放ったレオン。それでも彼のことが大好きだったと打ち明けたカムイ。
 それは、今思い出しても胸が締め付けられる。けれど、そんな日々がたった一日でも欠けていたら「今」という時は訪れなかっただろう。
 レオンはカムイを抱きしめる。腕の中でカムイが何度か自分の名を呼び、その度にレオンは「うん」と答える。
 過去は覆せない。失ったものはもう戻らない。こぼれた水が元通りにならないのと同じように。
 けれど、未来は変えることが出来る。自分たちが懸命に生きていく限り。
 カムイはレオンに身を委ねる。直に伝わる彼の体温と、自分のそれが重なって、混じり合って、ひとつになる――。

 少し前、レオンはカムイに言った――君が望むものはなんでも与えたい、と。それは、真剣そのものの顔で告げられた言葉。
 確かレオンとカムイの結婚が決まってから、すぐのことだった。その問いにカムイはこう答えた――あなたと共にいる未来をください、と。少しの時間を置いて、ゆっくりと。
 自分にとっての幸福はレオンと在ることであって、自分はそれを望み続けているのだと。そして、それと同時に、自分たちを支えてきてくれた人々の平穏な日々を願っているのだと。
 レオンはすぐに答えた。王として安寧秩序を守り抜き、愛する人と一緒に生き続けることは自分の使命であり、最も大きな願いであると。
 君とならきっと、と付け加える愛する人にカムイは頷いた。その時も、外では月が淡く優しい光を放ち続けていた。

 * * *

 時は流れて――暗夜王レオンとその妻カムイの間に、第二子が誕生した。
 カンナと名付けられた第二王子は、兄であるフォレオとともに健やかに成長した。
 父譲りの魔力を受け継いだフォレオ。母譲りの竜の力を身に秘めたカンナ。
 レオンとカムイはふたりをこよなく愛し、それと同時に夫婦間の絆もより強く強固なものとなっていった。
 降嫁したカミラも時折クラーケンシュタインへ姿を見せ、幸せそうな弟と妹、そしてその子供たちを愛でた。
 白夜のきょうだいたちもカムイに文を送り、遠く離れた地からカムイのことを思い続けている。
 レオンの叶えてくれたひとつの願い。それは、カムイにとってなによりも大切な輝かしい宝物。
 苦しみと、悲しみと――それと全く違った思いの果てに切り拓かれた未来。
 カムイは夜空を見上げる。星が流れた。それを見て、自分が白夜王女としてこの国を来訪した時に見た、流星群を思い出す。
 ずっと見たいと願って、あの時ようやく叶った、星の降る光景。カミラとレオンと共に見上げたそれは何よりも美しくて、涙が出そうになったのを覚えている。
 たった今ひとつ伝ったそれはきっと、今は遠く離れたところにいる大切な人からのメッセージ。
 カムイは背後からかけられた呼び声に振り返る。駆け寄ってくるふたつの小さな息子たちと、その後ろで笑う愛する人の姿を赤い瞳に映し出して、狭間に揺れた彼女は、今日も、穏やかに笑む。





それとも貴方といる未来ですか



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