それは、白夜王国第二王女としてカムイが暗夜王国を訪れて、しばらく経った日のことだった。
「北の城塞に行かないか」と誘ったのはレオンで、その提案にカムイは驚きながらも頷いた。
 北の城塞。それは、まだカムイが暗夜王女であった頃に長い時を過ごした地。
 前暗夜王であり、父でもあるガロンが施した結界に守られた小さな小さな世界。
 カムイにとって思い出の多い場所である。レオンは彼女の返事を受け止めると、穏やかに笑い、手を差し伸べた。
 その手をカムイは取る。自分より大きな彼の手は、とても優しくて同時に温かなものであった。

 * * *

 その次の日のこと。
 護衛に数名の暗夜兵を引き連れて、カムイとレオンは北の城塞へと向かった。
 城塞は記憶と違わぬ様子でそこにそびえ立ち、かつての主を見下ろしている。
 煉瓦造りの壁には深緑の蔦が這い、取り囲む草木は冷風に戯れる。
 カムイは深く息を吸い込んだ。それからレオンと一緒に中へと入っていく。

 城内には手が行き届いていた。カムイはそれを少しだけ予想外に思った。
 自分が暗夜を去って、それなりの年月は経過している。だから、もっと荒れてしまっているのではないかと危惧していた。
 しかし、そのようなことはなく、少女の記憶とぴったり重なりあう光景がそこにある。
 久しぶりではあるけれど、どこになにがあって、どう進めばいいのかは忘れてはいなかった。
 その様子をレオンは傍らで見て、彼女がここで生きていた証を感じ取ることが出来た。

 カムイが一番に向かったのは最上階にある一室。在りし日の彼女はそこで眠り、目を覚まし、そして様々なことをして日々を重ねた。
 その部屋は、レオンにとっても思い出深い場所でもある。閉鎖的な生活を送る姉のもとへ足繁く通ったレオンにも、だ。
 扉を開けて少女はかつての住処を見つめた。ここで自分は、きょうだいたちを待ちつづけていた――それを思い起こす光景が広がっている。
 テーブルには何枚かの紙がかつてのまま残されている。羽ペンやインクも置かれたまま。壁にかけられたカレンダーは時が止められたままである。
 心に熱いなにかがどっと押し寄せてくるのをカムイは感じた。もう戻ることの出来ない日々が、鮮明に見える。
 カムイは一歩奥へ歩んだ。漂っている空気も、穿たれた窓の向こうに見える景色も、すべてが懐かしい。
 ここで生きていた頃の自分は幸福だった。兄も、姉も、弟も、妹も――惜しみなく深い愛で自分のことを包み込んでくれていた。
 ずっと一緒、というわけにはいかなかったけれど、彼らの存在が彼女を支え続けていてくれたことも事実。
 兄と剣を振って、姉と話し込んで、弟に勉強を見てもらって、妹と笑いあって――それは、カムイにとって大切な思い出であると同時に、戻れない過去の記憶。

 過去を思い描くカムイとレオンを今という時間軸に呼び戻したのは、とある人物が部屋の扉を叩く音。
 ふたりは顔を見合わせる。誰が来たのだろう、と戸惑いながらカムイの方が声を出す。
「失礼致します」
 恭しく頭を垂らしてそう言ったのはカムイの臣下であるジョーカー。
 優秀な執事である彼の後ろには、メイドであるフェリシアの姿もある。
 ジョーカーは紅茶を運んできてくれたようで、カムイたちに椅子に座るよう促す。
 かたん、という音が室内を走り、カムイとレオンは着席した。それを確認してからジョーカーはカップに熱い紅茶を注いでいく。
 フェリシアも手にしていたバスケットをテーブルの中央部に置いて微笑んだ。甘い香りがする。バスケットの中にはジョーカーが焼いたであろうマドレーヌ。
 まるであの頃のよう――そう思ったのはカムイだけではなく、レオンもで、もしかするとジョーカーたちもそうなのかもしれない。
 と言うより、ジョーカーとフェリシアはそんな日々を辿りたくて、このように紅茶と菓子を運んできたのかもしれない。
 今はいないきょうだいたちの話し声と笑顔がよみがえってくるようで、カムイは泣きそうになる。
 マークスと、カミラと、レオンに、エリーゼ。そしてカムイ。五人きょうだいとしての思い出が少女の頭をよぎる。
 様々な話をした。様々なことを学んだ。あの頃に戻りたいという願いに少女は首を横に振る。自分にそれを願う資格はない。
 だが、レオンはまるでそんなカムイの考えを読み取ったように「カムイ」と名前を口にする。ぱっと顔を上げたカムイの瞳に映る彼は、あの頃と同じ目をした彼で。
「――暗夜王国に……戻ってくる気はない?」
 レオンは静かに問いかけた。カムイは丸い目で彼を見つめる。
 ジョーカーとフェリシアは部屋の隅で固唾を呑んで、主君の言葉を待った。
 少女はしばらく黙り込んだ。その静寂の中、レオンもカムイから目を逸らすことをしない。
「……レオンさん。私……私は、ずっと、あなたのことを想い続けてきました」
 ようやくカムイが口を開いた。少しだけその声は掠れていて、同時に若干の緊張感を漂わせている。
 ずっと伝えたかった気持ちなのに、なかなかうまく言葉にできない。
 カムイの辿々しい台詞を、レオンは黙して聞いている。
「あなたから、私は多くのものを奪ってしまった。でも、あなたのことを想わない日なんて、一度もありませんでした。白夜の青い空を見上げる時も、レオンさんは暗夜の夜空の下で何を思っているのか、って……」
「カムイ……」
「そしてあなたのことを考える度に、いつも同じ気持ちになるんです。レオンさんのすぐ隣にいる存在に……なりたい、って」
 心臓は激しく鼓動する。レオンはカムイのことだけを見つめ、カムイもまたレオンだけを見つめた。
 答えはすぐそばにある。それは互いに抱えてきた想い。痛みを伴うものだと知りつつ、ふたりはそれを積み重ねてきた。今日、この時まで。
 罪を許すとか、許さないとか、そういった話ではなくて。相手を想い続けてきたという揺るぎない事実は、白と黒が共存する未来への架け橋になり得る。
「だから、レオンさん。私は、あなたが私を求めてくれるなら……あなたのそばでずっとずっと、一緒に生きていきます」
「……カムイ。ありがとう。僕らが一緒になることで障害となるものはあるかもしれない。でも、君がいればどんな困難も乗り越えていける。そう、信じているよ」
 立ち上がって、レオンがカムイのすぐ隣へ動く。カムイも椅子から立って、彼のことを見た。
 ずっとひとりで抱えてきた想いが、いま、やっとひとつに重なる。
 レオンはおずおずとカムイを抱きしめた。温かな腕の中、少女は彼の名を繰り返す。
 それに応えながらレオンはひとつの誓いを立てた。愛する人を愛しぬこうと。死がふたりを引き裂くその時まで。

 生まれてはじめての愛が、永遠の愛となったことにカムイは頬を濡らした。
 レオンもまた本当の意味で彼女と「家族」になれることに大きな喜びを感じつつ、彼女の背を何度も擦った。
 自分たちは、これから多くの時を一緒に過ごしていく。その時の中には喜びや幸せだけではなく、それと真逆のものもあるかもしれない。
 それでもふたりならば乗り越えていける。悲しみや苦しみ、痛みは分け合って生きていける。
 この手に眩い光を放つ、いちばんはじめの愛が握られているから。


いちばんはじめの愛ですか



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -