カムイがサクラとともに支度をしている間、カミラはヒノカと一緒にいた。
 あの頃ならばあり得ない光景だ、暗夜と白夜の人間がこうやって穏やかに時を紡いでいるだなんて。
 ヒノカの私室からは外の景色がよく見える。澄み切った青空を翔ける白い鳥と、吹く風とともに流れていく花びら。
 カミラの両隣にはベルカとエルフィ。ベルカはカミラが王族でなくなった今も彼女を支え続けている。
 そしてエルフィはというと、もともとはエリーゼの臣下だったが、今も暗夜に仕えていて、自らの意思で今回カミラに同行していた。
 かつてカミラに仕えていたルーナは、だいぶ前に暗夜王国から姿を消した。同時期に、オーディンもレオンのもとを離れている。
 少しずつ暗夜王国も変わりつつあるのだ。痛みを抱えながら、白夜と共存しつつ新たなる時代を迎えている。
「久しぶりにカムイに会えてとても嬉しいのだけれど……あの子、やっぱり笑っているときもどこか悲しそうなのよね」
 運ばれてきた茶に口付けてから、カミラは静かに言った。
 ほろ苦いそれは喉を潤し、身体をじんわりと温めてくれる。
「……たくさんのことがあり過ぎたからな」
「ええ。あの子はとても優しいから……」
 ヒノカの答えに、カミラも賛同しつつ目を伏せた。
 白夜王国に生まれ、暗夜王国で育ち、そして選択を迫られ――白夜の王女として戦いにその身を投じたカムイ。
 暗夜の民からは裏切り者と罵られ、きょうだいであった者たちとも戦い――結果的に救いきれない命もあった。
 カミラ自身もカムイと戦った。カミラも辛かったけれど、それ以上にカムイは辛かっただろう、とも思う。
 かつての弟、レオンへの想いを抱えつつも、それを言葉に出来ないままでいたのも、彼女が自分のことを許しきれていないせいだとカミラは感付いている。
 だからこそ、カミラの方から手を差し伸べた。孤独を知ってしまった弟に会って欲しいのだと告げた。
「……私には、忘れられないことがあるの」
 少しの間を置いてから、紫髪をかき上げながらカミラが言う。
「カムイがまだ北の城塞にいた頃の話よ。あの子はきょうだいみんなで星が降るのを見たい、って言っていて」
「星……」
「ええ。この国では見られないわね。どこまでも広がる黒い空に、たくさんの星が輝きながら流れるのよ。カムイは本を読んでそれを知ったみたいで」
 カミラが哀しげに笑んだ。
 ヒノカは知っている。カムイが読書を好んでいることを。
 そういえば、戦時中も仲間たちの為に様々な知識を得ようとしていたな、と思い出しながらカミラの言葉の先を待つ。
「でも結局、それを見ることは叶わなかった。あの子は城塞から出ることを許されていなかったし、マークスお兄様とエリーゼはもう、いないから」
「……そう、か」
「それは数年おきに見られるもので、ちょうど今頃がその時期なのよ」
 鳥がまた飛んでいくのが見えた。空を、風を切って、どこか遠くまでその翼で。
 カミラの言いたいことがヒノカにはわかった。だからこそ、彼女はこのタイミングで白夜王国へ来たのだろう。
 彼女が言うに、レオンもそれがわかった上で姉をこの国へ送り出したという。
「もう、あの頃には戻れないけれど……私たちの関係も、変わってしまったけれど、それでも――私は見せてあげたいの。あの子が見たいと願っていた、暗夜王国の美しいものを」
「……カムイは、いい姉を持っていたのだな」
 ヒノカが小さな声で言うと、カミラは微笑んだ。先程の哀しげな色は失せている。
 ふたりは暗夜と白夜、それぞれの王家で生を受けた。戦いを繰り返す、黒と白の王国で。
 その為にいがみ合った。けれど戦いが終わってみると、自分たちは同じような思いを抱え、生きてきたことがわかった。
 もし王族ではなくて、同じ国の人間として生まれていたのなら、よい友人になれたのかもしれない。
 リョウマとマークスも、タクミとレオンも、サクラとエリーゼも――そういった関係を築けていたのかもしれない。
 けれど、現実はそうではなくて、戦いによって命を落とした者もいる。傷付いたのはみな、一緒で。
「――カムイはこれからまた、大きな決断をしなくてはならなくなるかもしれない。だが、私はカムイが何を選んでも、どんな未来を望んでも、受け入れる覚悟はしている」
「ヒノカ王女……」
「私の願いは、カムイが幸せになることだ。何も反対はしないさ」
 それは、意味深な台詞だった。カミラは数秒目を丸くしたが、すぐにいつもの様子に戻ると「ええ」と頷いた。
 同じ気持ちよ、と付け加え、彼女はもう一度茶を口に含む。時間を置いたせいで、先程よりも少し冷めてしまっていたけれど。

 * * *

 出立の準備が整ったのは、いつにもまして青空の冴え渡る日のことだった。
 カムイとカミラ。ベルカとエルフィ。そしてカムイに仕えるメイドのフェリシア、執事であるジョーカーの六人がシラサギ城に背を向ける。
 まだ早朝と言える時間帯ではあったが、リョウマ、ヒノカ、タクミ、サクラとその臣下たちなどは揃ってカムイたちを見送りに来ていた。
 風はひんやりとしている。城下町の桜も、見頃を少し過ぎているようだ。
「ね、姉様。忘れ物はありませんか……?」
「はい。大丈夫ですよ、ありがとうございます。サクラさん」
「本当に? カムイ姉さんはちょっと抜けているところがあるから心配だね」
「もう、タクミさんったら。カミラ姉さんにも確認してもらったから平気ですよ……たぶん、ですけど」
 そんなやりとりを聞きながら、リョウマやヒノカは笑った。
 何も、今生の別れではない。今、ここで涙が流れることはない。
 数日前にヒノカが言った「大きな決断」がくだされるとしても、それはもう少し先であろう。
 暗夜兵も馬車ももう準備を整えていて、いつでも出発が出来るといった様子だ。
「……行っておいで、カムイ」
 ヒノカは数歩歩み、カムイの頭を撫でる。はい、と答える妹はとても幸せそうな目をしていた。
 そろそろ、と兵が声をかけてきて、カムイは白夜のきょうだいたちに手を振ってからカミラと共に馬車に乗り込んだ。
 最後の確認も済み、ついに出発の時が訪れる。馬が嘶き、車輪が廻り始めた。
 がたんと揺れるのを感じてから、カムイは窓から外を見た。自分を見送ってくれている者たちに「ありがとうございます」と告げる。
 暗夜王国の王都ウィンダムまでは、長旅となる。けれど、カミラたちも一緒だ。それに長い旅の先に彼がいると思えば、なんでも乗り越えられる気がした。
 カムイは胸の中でレオンさん、と呟いた。今、あなたに会いに行きます。そんな柔らかな言葉を添えて、一度目を閉じる。
 この空から眩い光が落ちた、夜の国。カムイはもうひとつの故郷への道を進み始めた。


忘れられないあの日の空ですか



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