「あの、カムイ姉様は、本当は暗夜のレオン王に会いたいと想っているのではないのでしょうか……」
 白夜の第一王女ヒノカの私室。必要最低限のものしか置かれていないその部屋で、サクラは絞り出すように言った。
 きょうだい揃っての談笑を終えて数時間後。サクラは姉の部屋を訪れていた。
 たった今言葉にしたそれは、随分と前から感付いていたこと。カムイは確かに白夜の王女だが、暗夜の王女として生きていた過去を持っている。これは紛れも無い事実である。
 黒で覆われた暗夜王国には、自分たちの知らないカムイの生活と思い出があった。
 戦時中、暗夜王国で最も暗いとされる森――天蓋の森で、レオンとカムイは剣を交えている。
 ヒノカもサクラもあの時のやりとりを覚えていた。おそらく、リョウマとタクミもそうであろう。
 最初のうちは憎悪をぶつけてきたレオン。だが、「家族」であったカムイの言葉にその心を揺すぶられ、「弟」としての自分に戻っていた。
 それに、とサクラは思う。先程城下町に出ていた時も、一度「レオンさん」と彼の名を発していた。ただただ、ひたすらに切なげな瞳で虚空をとらえて。
「……そう、だろうな」
 ヒノカは長い沈黙のあと、そう答えた。
 しかし彼は暗夜王である。そう簡単に国を離れられる身ではない。
 カムイが会いたいと強く願ったところで、すぐに視線を絡ませ合うことが出来るというわけではない。
 それでも姉であるヒノカは、妹であるサクラは、こう思った。彼女の願いを叶えてやりたい、と。
 ふたりが相手を異性として深く愛しているのかどうかまではわからないが、互いを想い合っていることは知っている。
 彼と彼女が直接会ったのは、彼の戴冠式のときが最後。あれから、そう短くない時が流れている。
 ヒノカは腕を組み、考え込んだ。会わせてやりたい、と思うのは簡単だ。実際、そうするのは酷く難しいことなのに。
「……あとで、兄様に話をしてみよう。私たちだけで決められることではないからな」
「――はい、ヒノカ姉様」
 姉の言葉に妹は静かに頷いた。
 今、彼女はどのような思いで、どのような表情で、白夜の空を眺めているのだろうか。
 彼女の心に哀しみが残されたままであることを、ヒノカたちは知っていた。

 * * *

 数日後。白夜王国の王城にひとりの女性が訪れてきた。
 その来訪は王であるリョウマやその妹ヒノカなどには伝えられていたが、カムイは事前にそれを知らなかった。
 サプライズ的な何かだとその女性は小さく笑う。彼女を目の前にしたカムイは目を丸くさせ、心臓の鼓動は早まるばかり。
 女性は晴天の下で長い紫髪を揺らし、暗夜風の黒いドレスを身に纏っている。彼女は紛れも無く、カムイにとってのもう一人の「姉」、カミラであった。
 カミラは戦後、クラーケンシュタイン城を離れた。今の彼女は王族の女性ではない。だが、カムイらとの間にあるものが消えてしまったわけではない。故に、リョウマはカミラの来訪等を受け入れた。
 暗夜王国から遥々馬車でやってきたカミラは、そっとカムイに歩み寄っていく。
「ああ……私の可愛い可愛いカムイ。元気にしていたの?」
「え、ええ。カミラ姉さんもお元気そうでなによりです」
「ふふっ。久しぶりに会えて、おねえちゃん、とっても嬉しいわ」
 カミラがカムイをぎゅうっと抱きしめる。カムイのすぐそばにいたサクラは頬を赤らめ、タクミも同様の反応を見せ、ヒノカはというと咳払いをした。
 この国の王であるリョウマは王の間にいる。カミラはカムイの身体を名残惜しそうに離すと、アメシストの瞳で妹を見つめた。あなたに会いたかった、と小さな声で言いながら。
「あなたの顔が見たかったというのも事実なのだけれど、ひとつ、お願いがあってここに来たのよ」
「お願い? 私に出来ることですか?」
「ええ。そうよ――むしろ、あなたにしか出来ないことよ」
 カムイはじっと姉を見た。ヒノカたちも固唾を呑んで彼女の次の台詞を待つ。
 春風が走った。城のすぐそばで背を伸ばす桜が、淡い色の花びらを雨のように散らす。
「――レオンに会って欲しいの」
 カムイはカミラの言葉を胸の中で数回繰り返し呟く。
 レオン。暗夜の現王であり、自分にとっては血の繋がりのない弟だった人物。
 彼を想わない日は無かった。この光射す白夜王国の王女として、穏やかな時間を送るようになってからも、ずっと。
 会いたいと願い続けてきたのも事実。けれど立場上難しいであろう、と思い込んできた。
 だが、カミラは会って欲しいという。喜びが芽生えたと同時に、不安もまた芽を出した。彼に何かあったのではないかと。
 すると暗夜の姉はカムイの考えを読むように、首を横に振りながら付け加えた。そういうことではないわ、と。
「会っても、いいのですか? 私が……レオンさんに……」
「……ええ。リョウマ王の許可は下りていてよ。それに、あの子もあなたに会いたがっているわ」
 カムイはカミラから目を逸らさなかった。赤い瞳が揺れる。
 ずっと会いたいと願い続けてきたそれが、叶おうとしていることに喜びが沸き起こる。
 ただ、それと同時に現実も重くのしかかってきた。本当にそのようなことが許されるのだろうかと。
 カムイは白夜王国の民にとっては救国の英雄であるが、暗夜王国の民から見れば裏切り者でしかない。そういった声はここにいても聞こえてくる。
 俯いた妹に、姉はそっと背を撫でる。その手は温かく、優しいもので、北の城塞で暮らしていた頃と変わらない。
「ねえ、カムイ。レオンはあなたを憎んでなんかいないの。勿論、それは私もそう。マークスお兄様とエリーゼを失ったことは……今でも悲しく思うわ。けれど、あなたは――私たちを愛していたでしょう?」
 そんなカミラの声に、カムイは顔を上げた。
「……はい。マークス兄さんのことも、カミラ姉さんのことも、エリーゼさんも……レオンさんのことも、私は……ずっと……」
 涙で潤む瞳が、かつてのきょうだいとの思い出を映す。
 暗夜王国の王女として過ごした、北の城塞での日々。それはカムイにとって大切な思い出で、宝物のようなものでもあった。
 すべてを知り、暗夜を離れて白夜の人間として戦うことを選んだあとも、それが褪せていくことはなかった。
 反対に、マークスとの悲しい戦いと、エリーゼの最期の涙と、大切な人たちを傷付けてしまったということ。その痛みが癒えることもなかった。
 だが、目の前にいるカミラは優しく笑んでいる。レオンも同じだと彼女は言う。カムイは手で涙を拭った。
 その様子を見ているのは義姉であるカミラだけではない。ヒノカたちや、カミラに付き従ってきたベルカとエルフィもである。
 カムイは周りの人々のことを見てから、ゆっくりと口を開く。暗夜王国に行きます、と。瞳は濡れたままだが、その声ははっきりとしたものだった。
「そう言ってくれると信じていたわ、カムイ。私と一緒に行きましょう」
 暗夜王国までは距離があるからしっかり支度をして、とカミラが言うと、ずっと黙っていたサクラが「お手伝いします」と発言する。
 カムイはそれに感謝の気持ちを伝えて笑顔になった。満面の笑みとまではいかないが、それは優しく穏やかなものであった。
「なら僕は兄さんのところへ行ってくるよ」とタクミが言い、ヒノカはそれに頷く。
 また、風が走り抜けた。春の香りをふんわりと漂わせながら。カミラとその従者たちが「またあとで」と言い去ってから、カムイは大空を仰いだ。
 目に染みるくらい眩しく、青で満たされた空。ここからずっと遠くの暗夜王国では、黒い夜空が広がる。
 何もかもが懐かしく、そして切ない。失くしたものは戻ってこない。けれど、また何かを得ることが許されるのなら。
「カムイ姉様。よかったですね」
 サクラが言う。その笑顔は、もうひとりの妹にどこか似ていて、胸の奥が痛んだ。
「本当に……よかったです。姉様としばらくお会い出来ないのは、やっぱり、さみしいですけど……でも、姉様には笑っていて欲しいんです」
「サクラさん……」
「じゃあ、行きましょう。荷物をまとめなきゃいけないんですよね」
「……はい」
 時間は緩やかに流れ落ちていく。
 反対に、時の止まった胸奥には、兄と妹の後ろ姿があった。
 やっと収まった涙がふたたび溢れ出そうになるのを堪え、カムイは小さな妹の背を追った。


優しくて切ない嘘ですか



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