十四、【邂逅 ― 赤と黒 ―】 







  ── 見つけたら、

  ─── 殺す




目の前は、闇。
残響は己が鼓動と息遣い。
足音すら、掻き消して、
思考を急速に侵蝕する。

紅は唯々その跡を追う。
瞬刻過った紅(あか)を追い、
それを身に纏う者を捕らえる為に。

追い縋るモノは一体何か。
夢幻か、化生か、
それとも人たる者か。

何であっても構わない。
その首を斬り落とすことが叶うならば。





「随分お急ぎだね」


その声が目前の現実に引き戻した。
直ぐ様声の方へ目を向ければ瞳に映り込む影一つ。
いつの間にか迷い込んだ赤煉瓦が囲む空間のど真ん中に立つそれ。

眼に飛び込むは着物の紅。
意匠を凝らした黄金と黒の蝶が優美に舞う血のように染まるそれに、暗夜に溶け込むような黒の羽織。
覗く首や手は厭に白く、浮き立つ灯籠のごとく。
白い項にかかるほどの髪は漆黒。
闇を吸い込み、だが拒絶するほどの存在感をもって細やかな月光に照らされる。

黒に交じる白は包帯。
左の顔(かんばせ)を覆い、左の眼を匿す。
そして、唯一光を放つのは
右の紅玉、緋の瞳。

立つそこは闇であるはずなのに、その色と存在で空間が侵される。
紅に、染まる。


「何かお探しで?」


相手が問う。
互いに姿を認めた時点で足が止まり、時間が止まる。


「ああ、」


紡がれる言の葉が、


「手前ぇだ、宗璃王」


突き刺さる。



言葉を発するや否や抜かれる白刃。
地を蹴る軍靴。
一直線に射るように飛び込む黒の隊服。

狙うは急所。
あの眼を見た瞬間から、生きて捕らえるなどという考えは一片もなく。
その脳天に、
その晒された喉に、
その白い首に、
その心の臓に、
その右の緋の眼に、
この刀に喰い込ませる、
唯その時を渇望し冀求(ききゅう)する。

一気に詰まる間合い。
それは命を殺(と)り合う合図。
呼吸などする暇はない。
瞬きなどすれば斬られる。

渾身の一撃。
だが、決まれば首元から脇腹までいくそれを、相手は脇差しにも満たない華奢で細工の利いた小刀で受け止めた。


「これまたまぁ激しいご挨拶で」


にやりと嗤い刀を弾くと璃王は二、三歩間合いを取った。


「洛叉監史の副長殿はなかなか血気盛んな御方のようだ」


歌うように流れる声が癪に触る。
ひらひらと言葉に合わせて刀が揺れ、月明かりを受けその繊細な刀細工が反射する。


「そっちも承知ってわけか」

「それなりにね。アンタは相当目立つぜ、雪夜叉さん?」

「だったら四の五の言わず斬られろ、イカレ野郎」


熱り立つ紅に対し璃王は口元を歪めて笑う。
見れば見るほど胸くそ悪い。

夜須千代を握り締める。
その手がほんの僅かに震えた。
背筋を這う悪寒などではない。
言うならば、恐怖。
瞬きする間の短さの中に駆け抜けるように走ったのはその感覚が一番近い。

巫山戯た格好。
隙だらけの構え。
飾り刀の丸腰に近い装備。
しかし、それは上辺だけ。
刀を交えたその刹那、力量は推し量れた。

奴は、── 宗璃王は、強い。

力の差は五分かそれ以上。
無傷で捕まえることも還ることも十中八九不可能。
元より捕まえるなど生易しい考えはない。
要は殺すか殺されるか。
隊を束ねる長たる者として、捕縛を最優先するのは当然のこと。
生かさず殺さず時間を稼ぎ、援軍を待つのが常套手段。

だがここで退けようか。
答えは否。
刺し違えても、討て。


夜須千代を構え直す。
次の一手で決める。
紅を纏う男だけをこの眼に焼き付け、睨み付けた。
二、三歩退いたものの璃王はまだ紅の間合いにいる。
勿論紅も。

僅かに短く吐いた息と共に再び地面を蹴った。
夜須千代の切っ先が閃光を引き、空気を薙いで璃王の喉を目がけ奔る。





 「遅い」


だがそれはその一言で払拭された。
璃王は間一髪のところでその刃先を躱す。
舞うように優雅な動きで紅の一撃を避けたかと思えば、間髪入れずに懐に入り込むと的確に鳩尾へその拳を叩き込んだ。


「かはっ……!」


瞬時に身を捻るも時既に遅く。
躱し損ねた拳は見事に鳩尾へと入り込み、紅は態勢を崩す羽目になった。
璃王がその隙を見逃すはずもなく、軌道の逸れた夜須千代を握る紅の手もろとも両手首を掴み押し倒す。


「ぅくぁっ……!」


臓物から迫(せ)り上がる苦しさと叩きつけられた背中の痛みが声にならない音を押し出す。
苦痛で歪む眼を何とか見開けば世界は反転、見えるのは毒々しいまでの紅一色。

押し倒されあまつさえ敵が馬乗りになっていると気付くのにそう時間はかからなかった。


「……退け!下衆野郎っ!」


反動で起き上がろうとする紅を璃王は片膝で押さえ付ける。


「いくら神の意匠と謳われる美人でも、その口の利き方は頂けないなぁ」


手と膝に食い込ませるように力が加わる。
痛みがまた増した。


「アンタは甘いよ、副長さん。
あれじゃあ只のままごとだ」


璃王は嗤う。
その笑みは嘲りを含み、その瞳は見下すように細められる。


「確かにアンタは強い。道場上がりや意気がった雑魚相手には充分すぎる腕だ。でもなぁ」


先のからかう軽い声音とは違い、その声は低く、低く、耳を犯す。


「それじゃあ俺は斬れないよ?」


喉の奥で鳴る嗤い声が頭に響いた。
眼は一点に注がれる。
一つ晒されたその紅に。
見てはいけないと警鐘が鳴り響くのに、縫い付けられた眼は逸らせなかった。


「アンタは正攻法すぎるんだ。
碌に戦場なんか行ったことないだろ?」


紅の眼が紅の翡翠の眼を映す。
嘲りを含むその笑みで冷めた隻眼が両の翡翠を射抜いた。


「── その刀で首を刎ねたことがあるか?
その刀で肢体を切り刻んだことがあるか?
その刀で心の臓を抉ったことがあるか?
生きる為に、屠ふる為に、戯れの為に、」


突然手首を引かれ無理矢理起こされる。
夜須千代を持った手が璃王の首筋を斬る寸前まで引き寄せられた。



「アンタは本気の殺し合い、したことある?」



今引けば首を落とせるはずなのに、夜須千代を握る手どころか全身がまったく動かない。
髪の毛一本すら自由を奪われたかと錯覚するほどの感覚。
炯々と光る血の瞳がすべての動きを絡め取る。


「アンタの剣撃は所詮首斬り刀の試し斬りだ。口の利けない屍相手の独り善がり。だから隙だらけ」


夜須千代を掴む手ごと腕を取られたまま、刃先を撫で上げられた。
愛惜しむようなそれは酷く蠱惑的で妖艶、気味悪いほど色香を醸し出す。


「だけど、好い眼をしてる」


緋(あか)が思考を遮断する。
見てはいけない。
気取られてはいけない。
掴まってはいけない。
なのにその眼に惹き寄せられる。


「── 堕ちてこい。

そんな不粋な黒じゃなくて、血塗れのアンタならこの首賭けてやっても好い」


反応を返すよりも先に、開いた口が言い放つはずだった言葉ごと塞がれた。
それは呼吸も、思考も、何もかも奪い尽くすような深い口付け。
何の前触れもなく施されたその行為に全停止を余儀なくされる。
舌まで絡んできそうになったところで、紅は璃王の舌を咄嗟に噛んだ。


「いったっ」

「……何、しやがるっ!」


口の端から滴る血を舐め取り薄く笑う璃王に、紅は勢いに任せて刀を振るった。
頭に血が上った紅の斬撃など璃王にとって避けるに容易い。
易々と切っ先を躱すと、避け際に紅の脇腹を小刀で斬り払った。
瞬く間に漆黒の隊服から赤が漏れ出す。


「流石に二度も傷を頂くのはちょっと無理かな」


それが美人でもね、と笑いながら小刀の刃に舌を這わせ血を舐め取った。
吐き気のする璃王の理解しがたい行動と腹に受けた傷の痛みで紅の眉間に皺が深く刻まれる。
何か言おうと睨み上げたその瞬間、



 ズドンッツ!!!!



音が静寂と緊張を割いた。


  耳を裂く絶響、

    唸り揺れる敷石、

 激しく散る塵芥、



璃王の背後が一瞬にして崩れながら煙を上げる赤煉瓦の砂埃で白む。

あの絶叫は破壊音。
残響が頭を揺さぶり聴覚を麻痺させる。

微かに届くのは瓦礫の落下音と自分の浅い呼吸音。
消えた音の代わりに感じるのは赤眼の視線のみ。
ただ一光己が眼を射す昏い片眼はすべてを薙く。



その時、大小様々な靴音が石畳を叩き入り乱れ、怒号と共に近づいてきた。
その音を聞き取った璃王は興が醒めたとばかりに溜め息を吐く。


「残念。お開きの時間だ」


改めて紅に視線を投げにやりと嗤う。
次に感じたのは唇に触れるだけ、掠めただけの一瞬の感触。


「次はゆするべくらいじゃ逢ってやんないよ」



「……黙れ、外道っ」


払い除ける前に璃王はさっと身を退いた。


「また何れお逢い致しましょう?銀(しろがね)の美しい人」



浮かべる笑みは艶笑。
聞こえる声音は甘い調べ。
紅い瞳は魔の入り口。


くるりと背を向け、無防備に璃王が灰塵の中に消えていく。


紅はその背を追わなかった。
いや、追えなかった。


背筋に這うのは恐怖ではない。
恐怖一歩手前に巣食う陶酔。

そう、あれは 魔性。
魅入られてしまったのだ。あの男に。





「紅!!」
「副長!!」


洛叉監史の面々が駆け付けるまで、紅はそこから動けなかった。


【了】 


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