玖、【夕闇が手を掛ける】 






かつて其処には聳える五本の柱が在った。



東の空が藍色を帯びた紫に変わり、西の空に夕日が駆けていく頃。
紅は漆黒の隊服を着込んだまま、無残に崩れた円鵠楼を見上げていた。
ほんの一晩前には、その見上げる先に堂々たる五本の円柱が空に向かって伸びていた。

近年になって急激に諸外国との交易が頻繁になった瑞穂国は、政治・経済・文化、あらゆる面で近代化が進んだ。
その一つの象徴がこの円鵠楼であった。

国内の貿易公社をはじめ、運搬、通信関係や隣国の商社も受け入れ異人館の役割も担う円鵠楼。
五基の混凝土(コンクリート)の建物は雄大にその白い體(からだ)を保っていた。

だが、それも今や跡形もない。
五角形状に並んでいた建造物は既に崩れ去っているか、焼け焦げ黒く煤けて細かな瓦礫を落としているかのどちらかだった。


紅は五角形の中心、丁度広場のように使われていた場所で一人佇んでいる。
昼過ぎまでは検分や調査の為に軍人の行き交いが激しかったが、夕刻の今は幾分少なくなっていた。
それでもまだ働く軍人は至る所におり、紅を見つけると敬礼しながら足早に横を通り過ぎて行く。


「副長!」


周囲の音を擦り抜けて声が掛かる。
振り返らずとも少しすれば自分の元に来るだろう、と紅はそのまま黒焦げの柱を見上げた。


「木津宮、何かあったか」


近づく硬質の靴音が砂利道のようになった地面で止まったのを確認して声を発する。


「もうそろそろ引き上げの時間ですよ」

「他は引き上げて良いと言ってくれ。己はもう少しここにいる」


靴が細かな欠片や砂利を踏み更に近づく音が隣にきても紅は顔を上げたまま一瞥もくれない。
木津宮はそれを気にする事無く隣に立った。


「ったくー。急に外出するって言ったと思ったら結局現場に直行じゃないですか。
行くなら晩飯とかにして下さいよ」

「奢らねぇぞ、蛸」


見上げるのが疲れたのか、紅は視線を下に向ける。
その視野に入るのはやはり罅(ひび)が入り黒く煤けた壁面で、爆発の威力を物語っていた。


「奢りはまた今度の機会にお願いします」

「そういうのは斎藤辺りに集(たか)っとけ」

「嫌ですよ。あの人十中八九割勘なんですから」

「じゃあ脅せ」

「何で徐々に助言が物騒になってるんですか」

「締め上げろと言わんだけマシだ」


苦笑するしかない木津宮に対し、紅は快も不快もないような顔で未だ前を見据えている。
その間にも夜は西の空に手を伸ばし始めているようで、群れる影が長くなっていた。





「副長、今回のテロの件なんですけどね、」


何でもないような話し振りだが確実に声音が変化した木津宮に紅はようやく顔ごと視線を向けた。


「── 奇妙な奴を見たって話があるんですよ」


遠くで街灯が灯り始める。
淡い橙の光が目の端を掠める。


「爆発音がある前後にやたら目立つ格好した奴がいたらしいんです」


子供の甲高い笑い声が遠退いていく。
別れを告げる言葉と共に足音が四方に散りながら減っていく。


「女物で紅に金糸の蝶をあしらった着物を着崩して、眼帯代わりに左眼に包帯巻いた男が煙管吹かしながらふらふら歩いてたそうです」


軍靴の踏み締める音も疎らになっている。
人影だけがやたらと伸びて存在を誇張していた。



「男の右眼は ── 紅だったそうですよ」



木津宮の最後の一言に紅は眉間に深い皺を刻み込んだ。


「やけに詳しいな」

「オレのゆするべが引っ張ってきた情報ですからね。
それに、ここ最近ちらほらそういう奴はいたそうですよ」

「夜郎衆の関わっていそうな案件でか?」

「はい。うちのゆするべが一度付けたみたいなんですけど、撒かれたそうです」

「少なくとも雑魚じゃねぇって訳だな」



そう言うと紅はにやりと嗤った。


「そんな傾(かぶ)いた格好で誘ってくれてんだ。乗らねぇ訳にはいねぇなぁ?」


今度は肩を少し弾ませる。
しかし眼は笑うどころか怒気を含ませた燐火を宿していた。


「そいつがあの、宗璃王なんですかね?」


少し躊躇いがちに木津宮が問う。


「一条は面が割れてるから違うな。今更隠すこともねぇだろうし、わざわざあんな格好する必要もねぇ。あれの性格からして女物なんぞ着れねぇだろしな。
まぁそう考えると奴の可能性は低くねぇな」


一見落ち着いて言葉を紡いでいるように見える紅だが、その眼は先の怒気と好戦的な気色が窺える。


「どういう魂胆か知らねぇが乗ってやろうじゃねぇか」


紅が木津宮を見据えた。
その顔は見事に整いながらも薄暗い狂気が潜んでいた。
思わず魅入ってしまうような、しかし魅入れば戻れぬ闇を抱えて。


「遊びが過ぎるようなら仕置きだぜ?下衆共」




その呟きは西の空に手を掛けた闇に溶けた。


【了】 


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