捌、【静寂色の通路】 






少し薄暗なるはずの昼前の館内。
人工的な灯りもなしに、漏れ射す光の乱反射で灰白色の石材が淡く白く輝くことからここは白鶯館と呼ばれる。
その人気のない廊下に園衞は一人座っていた。

執務室を通り過ぎて少し奥まったところにぽつんとある備え付けの黒革の長椅子。
すぐ中庭に繋がる扉の横という不自然なその位置は園衞がよくいる場所の一つである。

昼も間近なのに不思議なほど静かで音が去ってしまったようなこの空間。
遠くに微かに感じる音達は、微睡みに聞く喧騒のように現実味がない。
小さな窓から淡い光が園衞の頭上を通り過ぎ一角を射し示す。
光の余韻でさらさらとした黒髪だけが昼の星屑を反射させていた。



「園衞、何してるの?」


突然横の扉が開いて頭の上から女の声が降ってきた。


「休憩です」


声の主を一瞥することもなく、目の前に続く廊下を真っ正面に捉えたまま園衞は何とも素っ気なくそう言った。


「アンタは大概そうじゃない」


女の声が近くなった。
長椅子の空いたところに座ったらしい。
女の姿は園衞の漆黒の洋装とは対照的な袴姿。
纏めた黒髪が僅かに湿り気を帯びているところから、多分扉の向こうに位置する修練場からの稽古帰りだろう。

彼女の名前は日野榧(ヒノ カエ)。第四分隊隊長、階級は大佐。
気っ風の良い姉御肌の彼女は園衞でも歯が立たないことがままある。


「じゃあ暇つぶしです」

「あら、ご大層に茶器一式と茶菓子を持ち出して?」


にっこり笑う榧に園衞はようやく顔を向けた。


「……二人の世界に入られちゃーおれは邪魔者ですからね」


大して表情は浮かんでいないが、園衞は見る人が見れば分かるような、ほんの少しだけばつの悪そうな顔をした。




頼光が紅の手を掴んだその時に園衞は二人分の香茶を注いでその部屋を後にした。

唯でさえ自分を顧みない紅は頼光と話すといつも以上に周りが見えていない。
この時は園衞など眼中にないだろう。

弱みを見せてしまうのも、見せたくないのも、頼光だ。
頼光の次に紅と長い付き合いになる園衞はそれが痛い程よく分かっていた。

紅との付き合いは十年といわない。
園衞も訳あって頼光の家で世話になり始めた九つの頃から紅と頼光は彼の生活の中にいる。
人生の半分以上を共に過ごして分かったことは、紅にとって頼光が望むことが彼女の望みだということ。
だから園衞は一歩引いてそれを見つめる。

紅にとって頼光が総てであるように、園衞にとって紅は人生の一部だから。




「園衞らしくないけど、園衞らしい気遣いね」

「何ですか、それ」


先の園衞の一言で大方事を察した榧はまた笑う。
つられて園衞も笑みを零した。


「まぁあの二人っておれの一部みたいなもんですからね」


だから余計に分からない、と視線を正面に戻して園衞は呟く。


「園衞ってさらっと凄いこと言うわよね」


それが長年の信頼ってものかしら、と感心しながら榧が言う。


「違いますよ」


今度ははっきりと答えが返ってきた。


「因果みたいなもんです」


誰もが瞠目するような奇麗すぎる笑みを讃えて。


「恋とか愛とか友情とか、そういう他人の薄っぺらい言葉じゃ括れないんです」


だから分からない、とまた園衞は繰り返した。







「── そう言えば、榧さんとこの“ゆするべ”、連絡ついてますか?」


園衞はもう言うことはないというように会話の方向を変えた。

ゆするべとは密偵や情報屋を指すもので、士官以上の階級ともなればこのような専用の情報筋を一、二人持っている。
軍所属の者は特に監査と呼び、ゆするべはその総称を指すこともある。
勿論園衞も榧も佐官であり、洛叉監史のような組織に所属している身なのでゆするべは個々で有している。


「私はついてるわよ。
でも兼定(かねさだ)のところは音信不通って話。本人はそう言ってないけどね」

「あの人一度やり始めたら妥協しないから、ゆするべもとんでもないとこ探らされてんでしょうねー」

「ふふ、そうねぇ。
何もなければ仕事にならないけど、彼等には何事もなく帰ってきてほしいものだわ。
園衞のところはどうなの?」

「相変わらずですね。雑魚のしょうもない情報が二、三件入ってりゃ良い方です」

「それはアンタが宗璃王に固執し過ぎだからでしょう」


榧は園衞に眼だけを向けた。
その視線を受けて園衞は意味ありげに笑う。


「あ、バレてましたか?」

「今朝もゆするべがばたばた動いてたでしょ?資料作りは自分でしなさいね」

「……ちっ。静かに動けって言ったのに」

「姉さんの情報量舐めんじゃないわよ」


地を這うような声で呟いた園衞に、榧は子供染みた笑いを浮かべながら掻き回すようにその頭を撫でた。
他の隊史にやられたならば(実際、実行できる命知らずがいるかが定かではないが)虎石丸の錆にしてやろうと抜刀する園衞だが、大して嫌がる様子もなくくすくす笑うだけでなすがままになっている。


「そんなにがしがしやんないで下さいよ。毛が抜けますって」

「大丈夫、若いから生えるわよ」

「だからって抜いたら流石にキレますからね」

「しない、しない。
あ、お茶くれない?給水しにきたのすっかり忘れてた」

「それならついでに掻っ払ってきたかすていらもつけてあげますよ。持ってきた本人は食べてないみたいですけど」

「あら、輝一朗ご愁傷様〜」


頂きます、と手を合わせる榧にところ構わず香茶を準備する園衞。



扉の向こうから響く軍靴、砂利の上を滑る草履。

茶器の鈴音、揺れる水音。

灰白の壁に乱反射する話し声。


静かな廊下は遠くに聞こえる喧騒と交わり始めた。



【了】 


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