4
祈りのために閉じた瞳を開き、ふと頭上を見上げれば満点の星空。今夜の夜空は、いつもより空に漏れ出す人工灯が少なくて、見事にきらきらと輝く星々と、その間を余すことなく満たすように深いブルーと黒が混ざりあった濃紺の夜空だ。
燦然と輝く星々の光と、底無しの闇をたたえる空。光も暗がりも互いに競い合うような、そんなかけ離れたコントラストに調和のきざしは見えないはずなのに、互いに美しいグラデーションを与えている。
慰霊碑の周りは夜は静かで灯りも少なく、通路に出れば深い闇に包まれる。そこからこの空を見上げれば、まるで宇宙にひとり放り込まれてしまったみたいに距離感が失われる。ひとりならば、自分の悲しみに沈むことを許せそうで、数少ない俺の好きな時間の過ごし方だ。
「なんて綺麗なんだろうねえ、星ってのは」
語りかけるように独り言ちながらカカシはベンチに腰掛けて落ちてきそうな星空を仰ぐと、静かに記憶が呼び起こされた。
──大切な人たちが星になった日、救うことはおろか涙することすはできずに、ただ立ち尽くすしかできずにいた日
感情の処理を終える暇もなく、愛しい人たちの笑顔が一人また一人と、質素な額縁に入れられて名実ともに積み重なるようになった。その笑顔と背反な苛烈な死にざまのギャップは幼かった俺の脳裏を掻き乱すのには十分な幅で、悪魔のように毎夜蔓延った。若かった俺の頭の中に巣食った悲しみは苦悩を、苦悩は悲しみを、互いの共存を許さなかった。まるで許してはいけないと囁かれるように、途切れることなく俺の意識に絡みついていた。
心のパーツが全てチグハグでバラバラで、噛み合うきざしは見えずに、絶え間なく周りから注がれる優しさも注視も期待も悪評も、そのすべてが底が抜けたバケツに注がれているようで、どれも心に留めおけずにいた。興味を抱くこともできずにいた。
それも、もう二度と悲しみに暮れることすらできない仲間たちを思えば、悲しみや痛みを感じ続けられる贅を噛み締めることが、せいぜい俺に許されたせめてもの追懐だと心がひしゃげるまで叩き込んだ。自己陶酔も責任転嫁も決して自分の心に許してはならないと、何度でも丁寧に焼き印を刻んだ。
カカシの苦く青い悲しみは、その後もたびたび不安定に付近を漂っていた。自分がこの世から消えてなる日を夢想することと、自分がやすやすと安住の浄土に足をかけることは許されるはずがないのだという自戒の狭間で、どこにも爪を立てることはできずにいた。
いつか、いや、できたら少しでも早く自分の命を全うしたい。体のいい大義を手に入れたものの、中身が形を留めない。砂を噛むような日々を誤魔化すように、任務に明け暮れた。
殺して、殺して、そして、数えきれない屍の上を俺は生きてきた。それから何度眠れぬ夜を越しただろう。
汗と涙を流し続けて血飛沫にあてられているうちに、すっかり爛れしまった心は、いつしか悔恨や悲しみの根本も見失っていた。自分の道を見つけられない未熟さを隠すように、屍は功績として積み上げ、それは俺を忍としての俺の地位を押し上げ続けた。
あの頃、相変わらず自分という人間に興味をもつことはできずに、ただ評価や噂話だけが一人でに歩きまわるのを眺めていた。
唐突に託された希望と、遺された張り詰めるような孤独の狭間で、生きることも死ぬこともできないままでいた。
そんな俺に、先生はまだ時を超えて若い光を与えて、俺を案じてくれていたわけで──
静寂の空気に身をまかせて郷愁にふけっていたのに、思考を分断するように、遠くから猛スピードで暗所のこちらに向かって通過しようとする気配がする。暗部面が通りがけの街頭に照らされた。
姿をとらえようと視界を定めると、見慣れた猫面が俺に気づいたようだった。
…アイツがあの形相って、…何か重い任務でやらかしちゃったのかしら。意識のない女はひどいな。
血しぶきか負傷しているのか、いやこの状況だと両方か……ひどい血糊だ。状況を読んでいると、声をかける間もなく行ってしまった。
まあ、そうよね。などとつい呑気な反応で終わってしまう。火を見るより明らかな赤だった。再会の挨拶をしている暇どころか一刻の猶予も許されない状況だろうから、当たり前なんだけど。
一見、物騒なこんな風景も暗部では日常なわけで、慣れというものはつくづく嫌になるねえ、とまた独り言を重ねてしまった。
さて帰ろうかと腰を上げて振り返ると、数歩先に淡く何かが照らされている。近寄ってみると、あまりにも見慣れた暗部面が落ちていた。
「狐面…しかもこの型、これ…オレの……?」
本来問うべき人間は既に去ったわけだけど、その場で思わず声にして問うてしまった。俺のというのは正確に言えば、俺が暗部を抜けるときに最後に直接指導した後輩に譲ったものだった。
まだ子供だったから、一層目をかけてやった。
ぞっと嫌な予感が一瞬で全身の肌をを駆け巡る。担がれた女の容姿を思い出してみれば確かにそうだ、体つきは随分とあの当時と比べて大人びていたように感じたが、子供の成長は早いし、もう数年経過している。暗がりでもあの髪の色と救護人員を思い返せば間違いないだろう。3人組のうちで血にまみれているのはたった一人、その女だけだった。
「nameが…?」
でも、そんなはずがあるだろうか。暗部時代の俺の下に配属された"子供"は総じて優秀を超えるような、わかりやすく言えば大人にすら妬まれるような実力がある子供だけだった。当然だが、任務が危険だっただからだ。
そんなnameが息もしているかわからない状況になる事態というのは、今のところ想像できない。里の様子も現状極めて穏やかで、何かが起ころうとしているとも思えない。
幼い頃から難しい立場にいたこともあり、目をかけてやった最後の後輩だけに、めまぐるしく疑問が沸いてくる──体調か?単なるミスか?それにしてもあまりにも派手なやられようだ。
自刃という言葉が鈍く脳内できらめいた。
イタチの里抜けの件で人知れず悩み続けていたのだろうか……いや待て、それが原因だとしても今というのは自分の中で合点がつかない。勿論、忍に、まして暗部の忍に、絶対など約束されることはない。どれだけ強くても死ぬときは死ぬ世界なのだ。ただ、弱肉強食であることも事実だ。確率の問題だ。nameの実力を考えれば、敵に倒れるか、敵が倒れるかで言ったら圧倒的に後者が確率として大幅に高いはずだ。
最適解が見つからずに考えていると、カカシはnameが配属された日が思い返した。
テンゾウにしてもイタチにしても初め見たときは自分にも輪をかけて随分と幼い子供に汚れ仕事をやらせるものだと改めて驚いたものだけど、それでもまさか次は女の子が配属されるとは思わず、ろ班だけでなく皆で目を丸くしたものだった。
実力はやはり折り紙付きの評判通りだった、血継限界は持っていないはずだが、基本に忠実で瞬身系の術、ひいてはつまり時空間忍術への応用も当時で既にそれなりにこなしていたような子供だった。それが、今ならどれほど強くなっているだろうか…。俺がnameと組んでいたのは2年もなかったはずだが、俺が抜ける直前には既にビンゴブックに載っていたほどだ。
そして厄介なことに、年の割には大人びて優れた容姿だったことも相まって、男女ともに好奇の目に晒され、最初にいた班になじめずに子守り実績のある俺の班に流れ着いた、というわけだった。
芯の強い、それでいて不思議な奴だった。ちゃっかりイタチとデキてたのを知ったときはテンゾウと目を見合わせちゃったけど。一時期はイタチのこともあってどうなるかと思ってたけど、持ち直したと思っていた。というか…思っているんだけど、何が起きているのかねえ。
nameの見舞いの言い訳にこの面を使おうなどと、この状況と照らし合わせると若干の邪な好奇心を抱きながら、今度テンゾウに会ったら必ず聞き出そうと決め、差し当たり帰路へと踵を返した。