- ナノ -
Novel - Hanno | Kerry

15





「name、何があったの。オレが居ない間に」

 白い部屋の中で、カカシの静かに振動する声色と射抜くような視線が、檻のようにnameを捕らえた。nameの淡い色の双眸が、カカシの瞳の奥で不安定に波打つ。不安定に移ろう瞳を隠すように長い睫毛が伏せられた。それに沿うように、わずかに俯けられたnameの瞼に落とされた影は物憂げだ。
 これまで知り得なかったnameの姿が、カカシの面前で急速に彩度を帯びた。
 
「はは……私情を挟んで隙つくって、私が勝手にしくじっただけで」
「……あのね、いたいけな後輩にこんな話を嗾けるからには、コッチも遊びじゃないのよ」
「え、わかってます……でも別に、お聞かせするのも恥ずかしいくらい、くだらないことです。しかも、今更それを知ったところで」
「……は、なんてカオしてんのよ」

 きっと目の前のnameの思考は今一気に染め上げられたのだろう。イタチの体温も、鮮やかに表情を変えた記憶も、まだ鮮やかにnameの脳裏を占めるのだろう。
 それなのにこんな詰問は、元恋人の、いや今も巣食うようにして心に生き続けている、そんなかけがえのない人の死を、文字通り蹂躙されるような心持ちだろう。
 nameは双眸に沈む憂いを覆い隠すように、そのガラス玉のような瞳を幾度か心許なさそうに巡らせた。nameがその薄く白い頬で精一杯に貼り付けた笑みは、乾いた端に諦観が滲んでいる。昔から知るはずの俺と二人でもこの面差しを保ったままで、終いには案の定どうにか話題を自己完結に持ち込もうとする始末だ。

 nameの移ろいをなぞるほどに、カカシの胸にはnameの翳りがズキズキと焦げ付いた。

 それでも何がどうであろうと、機密事項を抱える以上、報告と調査は誰かの手により進められ、暴かれ、記録される。そのことがカカシの庇護欲めいた心持ちを逆なでた。それならば、いっそ────元直属の上司でありながら、またこうして部下を守るどころか、微塵もその異変に気付くことさえできなかった。そうだ、俺にはきっと、妥当な役どころだ。
 カカシ自身もまだどこかに湛える翳りから時折流れ着く、鋭利な言葉を引き抜いては圧し詰めた。

「ねえ、あれだけの機密事項を背負って帰ってきて、その上いつの間にかダンゾウにこんなマネをされて……お前がよくても、五代目様がそのままにしておくと思うわけ」
「それは」
「大人を誤魔化そうとするんじゃないよ」

 nameの瞳の奥底に不安と悲しみが滴っては緩やかに滞留してゆく。すかさずカカシの双眸が、今一度nameの心の所在を見失わぬ様にひしと見つめなおした。

「ま、いーから。今から俺の独り言を耳に入れればいい。聞かなくていいし、答えなくていい。お前はたまたま俺の報告書の確認を耳にするだけ」
「は?」
「ただ、目は逸らさない。いいね?」
「い、嫌です!」
「別に、また幻術にかけたしないから。ただ目は口程になんとやらって、いうでしょ」
「でも……!」
「いーから。そろそろ言うこと聞いてちょーだいよ」



 ────ちょうどタイミングよく根の離反者を2名ばかり、テンゾウが嗅ぎつけていたのが幸いした。予想より早く、現在の根における最高次の記録書庫を突き止められた。極秘文書の所在がいくつかに分散されているから最初はどうなるかと思ったけど、差し当って事の是非を確認するだけなら、という具合だ。


 内容はといえば、nameは一度、根の小隊をたった一人で殲滅していた。
 これは、かねてから悪戯にnameに干渉する機会を窺っていたダンゾウへの拒絶の餞別のためではない。単純にあの任務の詳細を悟られてはならなかった。
 至極単純ではあったが、あのうちはイタチへの補給任務の詳細など、たとえ同じ隠れ里であっても、ましてダンゾウ直下の人員になど、決してイタチ本人の血痕の一滴でも掴まれることなど、あってはならなかった。イタチやname自身の処遇はもちろん、火影と根、如いては里の軍事力の均衡にも関わるからだ。

 きっとこの事はnameのこれまで数ある任務の中で、最も些細で、最も致命的な失敗だったはずだ。
 記録内容を追ってみれば、nameの苦悩は手に取るようだった。長期に渡る先の見えない重責に、心身の疲労で摩耗していたであろう。記載されている内容からも、添付されていた写真に写る、ダンゾウに封じられる形で拘束されたnameの姿も、抵抗なく捕縛されたようだった。

 当初は根でも暗部内部でも、表立ってはnameの暁の監視と暗殺計画の一環のため、口封じの殺し、という内容で進みかけていた。しかし、nameの確認した根の隊員の遺品の中に、珍しい術式を纏う書があった。ダンゾウがイタチとの接触を諮り、その接触の中でイタチの余命を削る計画が記された書の存在に気付いてしまったのだ。そして、その書の封印式を解けるのは、奇しくもnameと根の内部数人のみであった。
 瞬身から始まり、nameはチャクラの増幅より術式を幾重にも複雑に組み替えて展開する忍術を得意とするタイプの忍だ。そんなnameが、根でくすぶっていた計略を引き当てたことでイタチは少なくとも己の思い描く、限りある生を全うし、一方でnameはとうとうダンゾウの逆鱗に触れることとなった。

 既に何らかの病に蝕まれていたらしく血を浴びるほどのイ夕チの不調を目撃した後に、根の精鋭とたったひとり交戦して、さらに凄惨な計画を知った。そうしていよいよ疲弊の果てに里に返ったところで、ダンゾウに半ば拉致され、口封じを施された。その後はイタチの生存か暗殺かという思惑が核であることから、先代とダンゾウの間とで、直接の秘匿事項の等価交換ということで示談した。つまり、一応は舌の呪印をもって事の型がついた、ということらしい。


 カカシが手元からnameに再び視線を戻した。放心と愛惜が明滅するnameの大きな瞳に、カカシは自分の視線を故意に衝突させた。すると、再び傾く可憐に双眸を飾る睫毛が、大人びた細い鼻梁にまで影を伸ばしている。


 いつのまにか斜陽が進み、無機質なこの白い部屋が仄かに暖かい色を抱いていた。nameがこれまで恐らくはイタチ意外の誰にも触れさせなかった部分に、未だ生々しい裂傷に、ようやく自らの手で触れられる気がした。

 仄かに温度を下げた風がカカシの胸襟にそよぐと、報告書を読み上げるまでに自らの内に閊えたやる瀬なさを、歯切れの悪い二の句で嚥下した。

「いやあー、あの爺さんも相変わらずエゲつないことしてくれちゃって」
「……」
「お前も色んな奴に目をつけられて、大変だーね」
「こんなこと、この短時間に、どうやって……」
「そーねえ、テンゾウに礼でも言っておくと、心証いいんじゃないの?あの日も、遠路はるばる半分死体になってたお前を里まで担いできたのもアイツみたいだし」
「……は、い」
「おまえが早く元気に復帰してくれるのが、実務の上でもアイツのために一番いいと思うけどねえ」
「は、はぁ……」
「ま、よく聞けました」

 頭の中で読み上げた内容を反芻してみれば、なんと大人たちの身勝手なことか。ミナト先生が俺を守ろうとしてくれた道理が、今ならわかる。里の解決できなかった積年の不始末をたった二人の若者、いや身寄りのない子どもに押しつけ、失敗にも満たないたったひとつの術式の差で呪印まで入れられる────カカシは思わず、nameの竦めたままの肩にかかる髪をくしゃりとすると、nameは困惑した顔で心もとなさげに視線を泳がせた。
 
 まだ器用な女のように男の手を受け入れることも、一方で無垢な子どものように思うままにはねのけることもこうしてできないでいるのに。そんなnameの不器用さがカカシの胸中に残る小さな空白たちの隙間に浸潤してゆく。

「クク、name、恥ずかしいの?」
「っ、それは……こんな色々」
「冗談だって」
「……」
「はーいはい、悪かったって」
「……その、この記録は、誰が知ることになるんですか」
「俺、テンゾウ、五代目かな。事も事だから、無暗に広げられないし、そこは安心してちょーだいよ」
「……そう、ですか」
「そういえば、お前ならやろうと思えば解術できるんじゃないの、それ」
「もちろん試しましたが、私の術式をどこかで知り封印式に編入されているようで……」
「なーるほどね、まあ個人の特徴を口封じに限定する形でなんらかの形で取り込んでいるってとこかしっらね」
「私からはこれ以上は、何も……」

 五代目への報告のためにnameの部屋を後にした。ドア越しに浅く礼をするnameの姿は、同じ班で任務にあたっていたあの頃が懐かしくなるほど見慣れたものだった。だからこそ気がかりだった。
 それでも、きっとnameは今日の夜も、明日も、そのまたあくる日も、はちきれそうなほどの寂しさと、変えられない現実の堆積に咽ぶのだろう。たった一人、あの無機質な部屋で音もなく、象り切れないほどの悲しみに打ちのめされるのだろう。そして、再び任務に出されれば、明日を紡げないまま強烈な刺激に身を任せて、燃え尽きる場を探すのだろう。

 あかね色深まる夕刻の道には、人々の楽し気な活気が溢れている。こうして脳裏に鬱蒼とするnameへの気がかりがその縁を色濃くした。カカシは歩みを強めた。






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