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Novel - Hanno | Kerry

7






 輪郭を沿うように、髪の質感を確かめるような柔らかな手指の動きが何度か往復した。その体温を伝えながら耳朶のあたりで動きが止まると、対照的に私の意識は急速に動きを速めた。

……重い。これまで私が気付いていないと思っていそうだけど、この人に限ってそんなことあるのだろうか。あの大きな手で、いつのまにか逞しく大きくなった手で、熟睡してるときを見計らうように私に触れてくるのだ。

 今やnameにとって、このささやかな時間がどんな貴石や名誉よりも大事で、近頃はこの時間のために生きているようなものだ。

 しかし、nameは就寝時の気配には特に敏感で、大抵の場合相手がたとえイタチであろうとも、人に触れられそうになった時点で大抵の場合、意識が立ち上がってしまう。

……それにしても、今回も最悪な夢見だった。だけど今日はもう、起きなきゃ。

 nameが目覚めると、幾らか筋肉が弛緩した。悪夢のせいで身体が強張っていたことを感じさせられた──何度目になるか分からない、この大きな愛しい手からname自ら温もりを奪う夢。

……こうも何度も見ると、さすがに消耗されるなあ。

 遠くない未来に必ず約束された日は来るのだから、せめても刹那に、この混沌とした世界から切り離してあげたくて、決して失敗の無いように何度もシュミレーションしているうちに見るようになった夢。愛しいこの人をこの手で殺し、その脈動が動かなくなるまで立ち会う夢。

 恋人だから諦められないのではない。きっと友や先輩や後輩であったとしても、この任務の実際を知っていたら諦められるはずもないだろう。


 イ夕チは幼くして大局観を持ち、物事を理解する聡明さを持ち合わせてしまった。聡さを持ち合わせたばかりに、個を殺してもなお暴君とならずに、人知れず耐え忍んできた。そんな姿をたったひとり見つめ続けなければならなかったnameもまた、人知れず艱難辛苦に身を焦がしていた。

 指の隙間から乾ききった砂がこぼれ落ちていくのをただ見つめ続けるしかないような、静かな無力感が全身に染み渡った。

 木の葉と隣接諸外国と暁、この三者の状態を軸に情勢と交渉の余地を見極めているけれど、状態はいよいよ芳しくない。第三、第四の選択肢はまだ生み出せずにいる。次の一手をどこに見出せるのか、否か。

……やめよう。一度きちんと起きて、思考が立ち上がってからから考えよう。

 nameは不安定に傾き出した思考を立て直そうと意識を手繰り寄せる。この所いつにも輪をかけて任務詰めだったからか、少し顔が浮腫んでいるようで瞼まで重い。億劫になりながら瞼を押し上げた。
 目の前には窓越しの鮮やかな青を背後に従えて、気付けば漆黒の大きな瞳がこちらに向いていた。

 年齢不相応なほど威厳に満ち、それでいてどこか少年の様な儚さを宿す顔立ちを引き立たせるように、端正な骨格に沿って陰影が落とされていた。何十秒か何分か分からないけれど、長くも短くもない間目を奪われる。nameの胸の奥が、きつく収縮した。

……この人はどうして休息のひとときですら、呼吸のたった一瞬ですら、その場の空気感を我がものとしてしまえるんだろうか。

「……キレーだね、イタチは」
「無防備に何分間寝ぼけるんだお前は。高値のつく犯罪者の前だぞ」

 イ夕チはnameのやわらか声色につられて思わず表情を脱力させると、そのやわらかな表情がnameの胸をしくりと締め付けた。
 幼くして彼は全てを失いながら背負った。家族を、一族を、里を、国家を。その現実に決して打ちのめされることがないよう、長らく自分の愉悦のためにその美しい口角を少しでも上げることを嫌っていた。
 恐らく、今でも私と二人きりの環境が担保されない場合はその振る舞いが変わることはない。

 彼の命が有限になるということは、私の命にも同じ制約がかかることだと半ば脅しをかけた。任務の遂行のうちの自己管理だと体調不良の現実と引き換えに、半ば無理やりにこうして休息をとることを呑ませてきた。我ながら趣味の悪い説得の仕方だと思う。
 幸い、サスケ君やナルト君の成長もあり、苦労して漸く、たまに見せるこの悪戯っぽく言葉を紡ぐ表情を拝めるようになったのだ。

 この人の無心の笑みを見れる嬉しさと、当たり前のように自らを犯罪者と名乗るようになった悲しみと、この運命へのやり場のない怒りとで、nameの中で正義の整合性がとれない。

 ひやりと一つの仮定がnameの胸にまた一つ裂け目を入れた。もしかしたら、自分の稚拙なエゴのために残酷な仕打ちを追加で与えたのかも知れない、と。溶け合いきらない様々な感情は消化されるはずもなく、いつまでも濁ったまま、ゆらゆらとnameの腹の中を漂っていた。

 噛み合わず溶け合うこともなく、矛盾の上で擦れ合う感情が眼球の裏側がじわりとほのぬるく熱を与えると、nameの胸の中には何度目かわからない、自身が押し流されそうになるほどの無力感がなだれ込んできた。

 せっかくの逢瀬の時くらい、この人がこうやって笑うことを殺さない間くらい、笑みを絶やさずいられるようになりたいのに。抑えるほどに反発を増す切なさが、堰に近い。

「ねえ、そんなこと言って、今日薬飲んでないでしょ。脈が早いんだけど?私の観察なんてしてないで、ちゃんと飲んでよ」

 抑え切れぬ自らの脆さをひた隠すために、イ夕チの些細な不備へと話題の矛先をすり替えた。

「すまない。……しかし、お前も最近寝てないだろう」
「今寝てたでしょ。それに…里に戻ったら今回は定款通り連休をもらえそうだし。」
「俺の監視だけでも負荷は高い。…そう言って青い顔をしてやってくるのは何度目なんだ?まして最近は通常任務はいくつ並行して──」

 汚濁する心情で表情まで染め上がる前に、nameは主導権を反転させようと試みた。精悍な胸板に飛び込んでみたが、一瞬の虚いをイ夕チは見逃さなかった。

「name、いい加減にしろ。どの程度任務を受けている?俺の願いが分からないお前ではないだろう。答えろ」
「……別に、そんなに多くな…痛っ」

 焦燥感に痺れを切らしたイ夕チが、唐突にnameの華奢な手首を掴み、馬乗りになりねじ伏せた。

「だって、イ夕チだって……!」

 nameは自分がイタチに隠し事をしていた後ろめたさを唐突に思い出すと、語尾がにわかに崩れた。だとしても、イタチだって近頃の薬物耐性と体調の噛み合いが良くないのに、そのことを自分からは言ってくれないのに。仄かな後ろめたさと、納得しきれない罪悪感の中で、追及も投降も出来ずにいた。

 nameを見下ろすイ夕チの眉間が僅かに動かくと同時に、両手首がイタチの片手に収まった。持て余したもう片方の腕をnameの生白い首筋へと伸ばした。近頃の事態の膠着状態はイタチですら焦燥感の募るものだった。その思いに雪崩れ込むように、触れてしまえばたったひと掴みほどで締め上げられる細い首元へ手を伸ばした。

 お前だけは俺を置いていかないでくれ。俺のせいで死に急がないでくれ──そんなすがるような言葉が脳裏を掠めることすら許されるはずもない。イタチは即座にねじ伏せるように努める。
 業を嗜虐で塗り変えてから用いることで、イタチはせめても罪を罪のままで重ねて抱えていたかった。そうでなければ、自らを到底保つことなどできそうになかった。

「誰が…誰が、いつ勝手に死に急ぐ許可をお前に与えた…?お前には残された大義がありながら。…っ、俺というものがありながら…!」

 nameもイタチも、暗部時代から表向きは優秀な若手の瑞々しい関係に思われていたことだろう。しかし、実のところ二人を関係を結んでいたのは、その時から既に痛みだった。とうにお互い壊れていた。たった一人、とてつもない深淵に何度か落とされても生きながらえてしまった者同士、既に壊されていた。

 時に、お互いの関係性を確かめ合うように、叩きつけ合うように、不安定な愛とも執着とも分からないものを減速させないままぶつけ合った。

「……っは」

 イタチによっていとも簡単に頸動脈で血流が大幅に堰き止められて、頭に血が上るような感覚と同時に、甲高い耳鳴りが響き始める。生理的な涙が双眸ににじんで、舌がわずかに甘く痺れ始めた。
 一瞬、イタチがnameの瞳に法悦が浮かべられたことを確かめると、たったひと時だけであったが双眸が嗜虐に揺らめいた。

「答えろ、どういうつもりだ。」

……息が、できないよ…イタチ。

 nameの首筋の締め付けを緩めぬまま、手首を押さえつけていた手で、nameの薄く開かれた唇をこじ開けた。僅かな薄い呼吸さえ乱されて、解放されたnameの腕がイタチの手を解きにかかるが、びくともしない。目前の景色がちらと白み始めた。


……ちょっと、本当に、息が…!

 これまでになく早急に湧き上がったイタチの怒りに戸惑いながらそう脳裏を掠めた瞬間、首の圧迫が解かれイタチの口づけに口内が制圧された。依然として足りない呼吸に疲労した肉体では抗えず、問いかけもままならぬまま、目の前閃輝して白く塗りつぶされていった。





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