「ねぇねぇ、あの月が浮かんで見える所は、海水が甘く感じるんだよ」 「……緒方先輩はまた訳のわからないことを。そんなわけないじゃないですか」 「え、知らないの? 俐音ちゃん」 「有名だよ?」 穂鷹や壱都先輩まで真面目腐って何を言って……と呆れたけれど、真剣に見つめ返されてどきりとした。 「ホントですか?」 私が問えば緒方先輩はにっこりと笑顔を作る。 「僕も飲んだことないけど、試してみない?」 「おいおい、その辺にしとけよ」 「なわけないだろうが」 海の中に入ろうと手を引く緒方先輩にさすがにそれはダメだろうと止めに入った小暮先輩。 神奈は私の事をバカにしてるだけだ。 「ちょっと緒方先輩!?」 「あははっ! ばれちゃったー」 「穂鷹も福原先輩も、なんでそんな意味のない嘘つくんだ」 「えー、だってー」 「だってじゃない!」 ああもう、素直に信じかけた私がバカだったよ! あんな下らない冗談を真に受けた自分に腹が立つのと、少しばかりの落胆に肩を落とす。 「わっしょい!」 突然上がったよく分からない掛け声とともに、バシャリと大きな音を立てて水しぶきが上がった。 私の顔にも飛んできた海水を拭き取りながら何事かと見てみれば、海に埋もれている緒方先輩と穂鷹がいた。 「……なにゆえ?」 どうしてあの二人は自らの意思でずぶ濡れになってるんだ? 「馬鹿だからだろ」 「ああ、なるほどね」 端的な神奈の答えは的を得ている。 確かにそれ以外考えられない。 いつの間にか小暮先輩まで引きずりこんで戯れる二人を冷ややかな目で眺めていると、後ろから背中を強く突かれた。 「きゃぁ!」 咄嗟に隣にいた神奈を掴むも、支えにはなってもらえず、逆に一緒になって倒れこんだ。 尻餅をついた衝撃と、予想以上の水の冷たさに驚きすぎて声が出ない。 「……壱都、てんめ何しやがる!」 神奈が唸ったので初めてこれが壱都先輩の仕業であったことを認識した。 「みんなずぶ濡れになったら楽しいかなぁと思って」 「はぁ!?」 絶対思ってない。 適当に言ってるよ、この人。 穂鷹の手を借りて立ち上がりながら、ただ一人砂浜で涼しげに佇んでいる壱都先輩を見た。神奈の怒りさえも受け流して微笑んでいる先輩に感心する。 「ていうか響を巻き添えにしたのは俐音でしょ」 「うえ!?」 さらっと私に罪を擦り付けてきた! 「いや、掴んだのは私だし、一緒になってバランス崩した時は「くそ、コイツ使えない」とか思ったけど、でもやっぱり壱都先輩が突き飛ばしたせいじゃないですか!」 「だって、響」 「あああ、違う! 間違えた!」 「何がだ」 完全に矛先が私の方に向いてしまった神奈。 穂鷹の背に隠れて防御するも、敢え無く捕まってしまいまたも海水に沈められる惨事に。 「イッチーも濡れなよー」 「嫌」 頑なに拒んだ壱都先輩は、最後まで水に浸かる事は無かった。 楽しいとか何とか言っていたのは一体誰だ。 その後、ひたすら騒いだ私達は唯一無傷な壱都先輩を残し、全員が寒い寒いと言いながら歩いて帰る羽目になり、一人、また一人と後日風邪を引くこととなる。 end |