あなたで良かった



 もう夏休みに入って一週間。寮に残っている人は疎らで、それが彩の気を緩ませた。
 明日には俐音の家に泊まりに行けるという事も、普段無意識のうちに張っている緊張を解いた要因かもしれない。

 寮の中にも自販機はあるけれど、彩が飲みたいものは学食の方まで行かなければ置いておらず、一度外まで出なければならない。

 いつもは部屋から出る時は、少しでも女っぽく見えそうな服は一切着て出ないようにしているのだが、今日なら誰にも出会わずに行けるだろうと女物の服を着たまま買いに行った。

 特に体のラインが見えるというわけではないが、やはり男物とでは作りが違う。
 もともと背が高い方でも、体躯がしっかりしているわけでもないのだから、尚更男というには無理のある姿だ。

 寮を出てすぐに、やっぱり横着せずに着替えればよかったと後悔するが、また戻るのも面倒で。

 さっさと行って帰ってこよう。

 走りだした時に、横道から人が出てきたが咄嗟に反応できなかった。

「っ!」

 思い切り彩からぶつかって、しかも反動で彩だけがバランスを崩して後ろに倒れそうになった。

 身長と体重差、もっと言ってしまえば男と女の差で、ぶつかった相手はよろめいただけに止まり、慌てて彩の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。

「ごめん、大丈夫か?」

 下を向いていた彩にも、相手が屈んで覗き込んできた気配が分かって、慌てて顔を上げ「大丈夫です、こちらこそすみません」と言おうと口を開いて、そのまま固まった。

 カッコいい……

 代わりにそんな言葉がスルリと滑り出しそうになり、今度は唇を噛む。
 神奈や成田を見慣れている彩だから、自分の目は肥えている方だと思っていた。

 だが今、至近距離で向かい合う体勢のまま見惚れてしまった。
 拙いと二、三歩下がって間を空け、改めて「すみませんでした」謝る。

 男という事になっている自分が、男に対して見惚れるなんておかしいに決まっている。

 相手が怪訝な表情を浮かべた理由を、そう解釈した彩は早く食堂に行くか、寮に戻るかしてこの場から離れたくなった。

「女の子?」

 もう行ってもいいだろうかと、食堂に続く道の方へと視線をやっていた彩は聞き逃してしまいそうだった。

 なに? もしかしてこの人、女って言った?

 強張った顔でもう一度相手を見ると、彩が女である事を確かめるようにしげしげと見返された。

 今の格好に不安があったところに直球で訊かれた事で、どう返したら不自然じゃないかなんて考える余裕も無く。

 彩は、あたしってこんなに速く走れたんだと後で感心したくらいのスピードでその場から逃げた。





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