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「りーおーん!!」

 随分と遠くから手を振って呼ぶ声の主を、俐音はとりあえず無視する事にした。

 校門に凭れていたのだけれど、クルッと方向転換して校舎に向かって歩き出す。

「あぁ、行かないでくだサイよぅ!」

 よく耳に馴染んだうそ臭い日本語が聞こえてくるが、あえて振り向かない。
 振り向いてしまってはいけないと本能が告げている。

「俐音! 俐音! そこのひたすら小さくて黒髪メガネのりおーん」
「黙れ!! メガネは菊も一緒、だぁ……しまったぁー……」

 ついつい菊に乗せられて振り返って、しかも今更他人のふりが通用しないくらいにツッコミを入れてしまった俐音は肩を落とした。

 菊はしてやったりとニヤニヤ笑っている。
 今年の夏は猛暑になるらしく、七月に入ってまだまもないというのに、すでに日差しは暴力的なほどに強い。

 三者面談のために菊を校門で待っていた俐音は、歩いて行くと言っていた菊が倒れずに学校まで着けるのかと少し心配していた。

 普段全く外に出ないから、きっとこの暑さに負けてしまうだろうと。

 俐音の心配を他所に、菊も自分の体の事くらいは分かっていたらしく、その辺の対策は万全にしてきていた。
 それが問題なのだ。


 今日はカラッとした風が吹いているから、太陽光線さえなんとかすればこの暑さは半減される。
 それはさっきから日陰にいた俐音も実体験済みだ。

 だからといって、これはないだろう……。
 やっと俐音に追いついた菊を上から下まで見やって舌打をしたくなった。

 決して体躯がいいとは言えない菊だが、成人男性の平均身長はある。
 髪は少し長めで後ろで一つに束ねているが、決して女には見えない。

 なのに、そんな汗一つ掻かずに笑っている菊の手には、レース付きの日傘が握られているのだ。

 手が暇なのか、クルクルと日傘を回している姿は異様だ。

「菊……一緒に歩く気ならその日傘畳んで」
「えー、これいいデスよ? 俐音も入りマス?」
「嫌だよ! 菊、男。今は俺も男。ここ男子校、その日傘おかしい!」
「変な喋り方」
「菊に言われたかないわっ!」

 掴みかかる勢いで菊に詰め寄ると、傘で出来た陰の中に入って、それだけで随分と体感温度が違ったような気がした。

「………いいから早く行こう」
「あっれ、俐音男の子デショ?」
「うるさいバカ。汗掻きたくないんだよ」

 真っ白なレースの日傘の中に男二人が男子校の庭を横断する姿は滑稽だ。
 すれ違う生徒達が奇異な物を見る目を向けてくる。

 俐音は出来るだけ周りを視界に入れないように俯きながら歩いた。
 涼しさに負けたとはいえ、恥ずかしさは十分にある。

「で、何で菊はこんなの持ってんの……」
「これは随分と前に理事長さんが家に来たときに忘れ手帰りマシて。今日ついでに渡そうと思って持ってきたんデスよ。どんなものかと使ってみたら案外便利デスねぇ。今度一本買いマショうか」
「買うな」

 お願いだから男がこれを使うのはおかしいのだという常識を身につけてくれ。

 人並み外れた知識力があっても、一般常識がなければ立派な大人とは言えないんだと、今一番身近にいる人間から俐音は教わった。





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