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 彩を寮に帰らせた緒方は独特の匂いが鼻につく保健室のベッドに俐音を寝かせた。

 外に出ていた腕を布団の中に入れようと持ち上げた瞬間、きゅっと唇を噛んで声を何とか抑えた。

 青白い顔、細い腕。無機質な部屋。
 父親が病気で入院していた時を思い出す。

 このまま目を覚まさないのではないかという不安で押しつぶされそうだった。

 力を込めて手を握る。

 お願い、お願い、目を開けて元気になって

 父にはこの祈りは届かなかったけれど、今度こそ叶うと良い。

 たかが寝不足くらいで馬鹿馬鹿しい。
 そう思うのに、今の俐音はどきっとするほど父を彷彿とさせた。

 透明感があると言えば聞こえが良過ぎる。
 ついさっきまで騒いでいたのが嘘のように、生気が乏しい。

「ケーキ、ちゃんと貰ってきたからね」

 彩から受け取っていたケーキの箱を持ち、緒方は部屋から出た。
 ドアをゆっくりと閉め、そこに凭れ掛かる。

 静まり返った廊下に一人分の足音が聞こえてきた。
 ゆっくりと顔を上げると、壱都は顔を顰めた。

「俐音は」
「寝てる。寝不足だってさ」

 そう、と見えるわけではないが、ベッドがあるだろう位置に目をやった。

「イッチーが来るとは思ってなかったな」
「俺にメール入れたのに?」
「そうなんだけど」

 なんとなく穂鷹か響か、あるいは両方かだと思っていた。
 今まではそうだったからだ。

 俐音に何かあれば駆けつけるのはあの二人。大抵二年の緒方達は待機するのがセオリーになっていた。

「今は会わせたくない」
「何それ、過保護なお兄ちゃんみたいだね」

 そんなんじゃない。そんなに良いものではない。
 未だ心の内にある濁った感情が疼く。

 二人は近づき過ぎたのだ。
 もっと釘を刺しておくべきだった。
 取り返しのつく程度に留まったのがせめてもの救いか。

 とつとつと、自分の中に入っていっていた壱都は緒方の視線に気付いて思考を戻した。

「……先戻ってて」

 保健室に入ろうとした壱都に緒方は「でも」と食い下がる。
 置いて行く事に引け目を感じているらしい。

「無理をするのは楽しくないよ」

 どういう解釈でその答えを導き出したのかは分からないが、部屋の中にまた入って俐音を見るのが辛いのだと、壱都にはお見通しのようだ。

 肩に置かれた手を見つめながら、緒方はそれ以上何も言わずに素直に頷いた。

「壱都……」
「なに」
「ひどい事しないって言える?」

 さっき、壱都が黙り込んで何かを考えている顔は穏やかなものではなかった。
 最近では滅多に見せることの無かった灰暗いもので。

 壱都は緒方を凝視し、けれど直ぐに視線を外した。

「言えない」

 言える訳がない。
 初めからそのつもりなのだから。




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