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 自分はバカすぎないだろうか。

 俐音はこのまま帰ろうと思っていたのに鞄を部屋に忘れてきた。
 飛び出してすぐに気付いたが、戻る事も出来ず屋上に上がってぼんやりと景色でも眺めて時間を潰そうと決めた。

「あ」

 特別棟から赤茶の髪をした人が出てきたのが見えて無意識に小さい声が漏れた。
 壱都だ。

 その声が聞こえたはずもないのに壱都はゆっくりと振り返って上を、屋上にいる俐音を見た。

 ヒラヒラと手を振って歩き出した先輩の手にはカバンがちゃっかりと握られている。
 もう帰るらしい。

「いいなぁ」

 どのくらいここでじっとしてればいいのか。
 ぼんやりと中庭を眺めていると、ドアが開いて身構えた。
 穂鷹かもしれないと思ったから。

「寒くねぇの?」
「……寒い」

 出てきたのは響で、安心した俐音は手すりに背を預けて寛いだ。
 隣に来た響も手すりに肘をついて体重をかける。

「俐音」
「ん? あ、ぶ……」

 振り向いた俐音の口を自身のセーターでごしごしと拭い、満足出来たのか響はその後黙って見上げている。
 何がしたいんだか解らない。

 少しひりつく唇に手の甲を当てた。

「何か言いたい事あるから来たんじゃないの?」
「まあ。でもムカついたから」
「は?」

 会話がかみ合わない気がする。
 よく俐音に主語がない、説明になってないと文句を言うくせに響こそ言葉が足りない。

「私にムカついたのか!? どの辺?」
「たかがキスの一回や二回で穂鷹を意識してんのとか」
「たかが!? あのな、私にとったらこれ大問だ……」
「あと壱都も。なのに俺は普通だな、とか」
「私の発言さらっと無視!? その自由っぷりはどういう事だ、会話はキャッチボールが基本だっていうのに!」

 響のシャツを掴んで揺さぶろうとするより早く、顔面を手で押さえつけられた。
 当然リーチの差で俐音が負ける。

 息が出来ないともがけば簡単に解放された。

「穂鷹が怖かったか?」
「ん、少し。穂鷹なのに穂鷹じゃなくて」

 解らなかった。
 ごめんと言って笑った理由。
 押し付けられた気持ちが何なのか。

 分からないから戸惑った。

 それにあの時の穂鷹はなんだか大人っぽくて知らない人みたいで怖かった。

「でももう平気」

 逃げていてはいけない。あれもまた穂鷹なのだから。

 どういうつもりであんな事をしたのか訊ける様になるにはまだ時間が掛かりそうだが、穂鷹は普段通り接してくれているから、取り敢えず俐音も“普通”になれるように努力をしなければならない。

「まぁ、やっと自分が女だって自覚したってところか」
「自覚するまでもなく知ってるわっ」
「ちゃんと理解してないだろ」

 失礼な。
 いくら男子校に通っているからと言って、自分の体の事くらいよく分かっていなくてどうする。

 そういう思いをこめて睨めば、いつもみたいに髪を撫でられた。

「ほらな。俺だと普通だ」
「へ? うん。……だから?」
「この学校は俐音と駒井以外は全員男なんだからな。俺も」
「それって」

 響の含みのある言い方に、少しだけ怖いものを感じて一歩後ろにさがる。

「逃げないんだろ?」

 俐音の腕を取って引き寄せた響は耳元で囁くように続けた。

「これからはせいぜい気をつけろよ」

 間近にある響の笑顔は悪人のようだった。
 俐音を困らせて心底楽しんでいる表情だ。

 この学校で生活するにあたっての意識を、今更ながら無理やり変えさせられてしまった。

 もう少しで一年が過ぎようとしている。
 でもまだ二年、残っている。

 今日一日で随分と疲れたのに、これからずっとこんな事が続くんだろうか。

 こんなきっかけを作った穂鷹をここにきて改めて恨みに思った。



end



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