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 教室の近くまで全速力で走ったところでカツンと眼鏡が床にずり落ちた。

 何だっていうんだ、相手は穂鷹なのに
 どうして私が逃げなきゃいけないんだ

 ぐちゃぐちゃな頭の中と、息を落ち着けながら眼鏡を拾う。

 一息吐いてから音を立てないようにそろそろと教室の後ろのドアを開け、すぐ手前にある自分の席についた。

 教師は俐音の方を向いたけれど、気に留めた様子もなく授業を続行している。

 前の席の響は身体を机に伏した状態のまま動かない。
 俐音が入って来た事にも気付かず眠っているようだ。

 教科書とノートを机の中から取り出しながら、頭の中を巡のは当然ながら先程の出来事。
 「ごめんね」と言って笑った穂鷹はなんだか全くの別人に見えた。

 人間という生き物は一体どれだけの面を持ってるんだろう。
 心が読めるはずがないけれど、穂鷹は表情に出る人だから多少の感情は汲んでやれる、そんな勘違いをしていた。

 実際には何にも解ってなどいなかったのだ。
 俐音の知らない一面を穂鷹はまだたくさん持っている。
 そう考えると少し怖い。

 穂鷹や壱都だけじゃない。みんなそうだ。
 知りたい、知ろうとすればするほど、彼らのほんの僅かな部分しか見えていなかったのだと気付かされる。

 その度に言いようのない寂しさを感じてしまうのはどうしようもない事ではないだろうか。

 そもそも、なんで私がこんな穂鷹のことで悩まなきゃ……

「すーんませーん、遅れました」
「うあぁーっ!!」

 思いに耽っていた俐音のすぐ後ろのドアが開いたのと同時に、今はまだ聞きたくない間の抜けた声がして反射的に隠れた。

 身を隠す場所なんて机の下しかないわけで。
 入り込む時に思い切り額をぶつけてしまい大きな悲鳴を上げた。
 がんがんと痛みが続く。

 そして今度こそ授業は中断され、静まり返った教室内。
 全員が俐音の方を見ていてた。
 ここは大人しく席につき直すべきなのか。

「大丈夫?」
「だ! い!? じょう……ぶ」

 本当は全然大丈夫などではない。
 腰を屈めて不思議そうに眺めてくる穂鷹に過剰反応して頭を上げたものだから、今度は後頭部を強打。

 さっきからゴン、ガンと派手な音を鳴らして打ち付けられている机も災難だ。

「で、俐音ちゃんさっきからどうしてそんなトコいんの? 地震の予行演習?」
「えーいや、ちょっと消しゴムとか、落としてみたり、拾ってみたり……?」
「みたり、か。ふぅん」

 さして興味も無さそうに頷いて穂鷹が自分の席の方に歩いていったのを確認して俐音もそそくさとイスに座る。

 今の会話を反芻してみて自分の挙動不審ぶりに穴があったら穂鷹を閉じ込めてやりたい気分になった。

 どうして俐音はこんなにも動揺してるのに穂鷹は有り得ないくらいにいつも通りなのか。
普通もっと申し訳無さそうにしたりするはずだ。
 「ごめん」と言っていただろう。

 段々と腹立たしくなってきた俐音だったが、穂鷹が謝った時の声を思い出したら、ついでに特別棟であった事もフラッシュバックしてしまい、持って行き場のない恥ずかしさが込み上げてきて、机に突っ伏し足をバタつかせた。

 何やってるんだか。我に返ってゆるゆると起き上がると、隣の席の生徒がまるで不審者でも見るような目で俐音を見ていた。

 行動がおかしいのは重々承知しているので睨む事も文句を言うことも出来ない。

 これも全部穂鷹のせいだ。
 隣の奴の代わりに穂鷹の背中を睨みつけて、終りかけの授業に専念しようとした。

 響は完全に眠っていてしばらく起きそうもなかった。




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