▼導かれて 最近よく肩がこる。ずっしりと何かが圧し掛かってくるようで、重たくて歩く事さえ困難に感じる時もある。 俐音は手に持っていた書類を机に置いて、ふぅと息を吐いた。 「……何かっていうか、壱都先輩なんですけどね」 「ん?」 首に絡めてくる腕を外そうともがくも、結局は元の位置に戻されて俐音の努力は無駄に終わる。 ここ一週間ほど、いつもに増して引っ付いてくる壱都がいい加減鬱陶しく感じ始めてきた。 放っておけば飽きるかと思ったのだけれど意外としつこい。 「何かヤな事でもあったんですか?」 「たっぷり充電して行こうと思って」 「……どこへ?」 私は充電器かい、というツッコミは敢えて飲み込んだ。 うん、とニッコリ笑って返されたらショックだし、言われる可能性が高かったから。 二人の会話を聞きながら熱い紅茶の用意していた穂鷹がその手を止めて俐音を見た。 「俐音ちゃんもしかして話聞いてなかった?二年生は来週から修学旅行だよ」 「へぇーそうなんだ。で、しゅうがく旅行って何?」 初めて聞く単語に、頭の中で漢字変換さえする事が出来なかった。 言い方でそれに気付いたらしい穂鷹が、ホワイトボードに『修学』と書いてくれた。 結局意味は分からなくて「ふぅん」と適当な返事をするだけになったのだけれど。 「授業の一環で旅行に行くの。これに行かないと学校に出て来て課題させられるから皆参加するんだよ」 「いや……課題が嫌だからって理由で皆行くわけじゃないと思いますけどね」 壱都がそうだからといって、他のみんなも同じ考えだと思われたなら可哀想だ。 「まあ折角なんだから楽しんで来てくださいよ。お土産はお菓子でお願いします」 少々値がはっても美味しいものがいい。などと俐音は厚かましい一言を添えた。 緒方や小暮にも後で頼んでおこうと、三人から別々に貰う算段をつけていると、またもや後ろからぎゅうと締め付けられた。 「俐音も持っていけたらいいのに……」 「連れてじゃなく持って? 荷物扱い!?」 「駄目ですよ壱都先輩、この季節でもナマモノをバックに入れといたら傷みますよ?」 「生っちゃ生だけど! そもそもバックになんか入らないから! 一体私を何だと思ってるんだ。野菜や何かと同じ扱いって酷すぎないか?」 壱都の腕を振り払って離れて睨みつける。 だが彼は相変わらず笑ってるだけで効き目はないし、穂鷹を見ても可笑しそうに肩を揺らしている。 「何なんだよ! もう」 「ごめんねぇ」 「謝るならもっと誠意を見せやがれ!バーカ!」 言い逃げ。 二人がどんな顔をしてるかなど確認する事も出来ず俐音は部屋を飛び出した。 だってあんまり笑うもんだから悔しくて吐いた暴言だったが、恥ずかしすぎる。ケンカにだってなってない。 今頃二人で馬鹿にしていたらどうしよう。 穂鷹はこのまま午後の授業サボればいいのにと、少しでも顔を見ないで済むように願いながら教室に戻った。 幼すぎる捨て台詞を吐いて教室に戻っていった俐音に、穂鷹はもう一度笑った。 「穂鷹がそんな風に笑うの珍しい」 今は特にそうでもないが、少し前までは無かった事だ。 「……壱都先輩も珍しく、ていうか誰かを気に入ってるの初めて見ましたよ」 「うん」 嬉しそうに目を細めた壱都は外に視線を向けて、中庭を歩いている俐音を眺めた。 これだけ離れていても、一瞬で探し出せる。 よく見知っている姿だからじゃない。引き寄せられるように目が無意識に俐音を追いかけているのだ。 初めてこの部屋で見たときから、他とは纏う空気が違っていて、それは脆く崩れそうだけれど何より鮮やかに映った。 「俐音ちゃんのこと好きなんですか?」 ここでもう一度頷けば、穂鷹はどんな顔をするだろう。 敵視するのか、それとも残念がるだろうか。 どちらも壱都にとっては悪くない反応だ。 だけど壱都はチラリと無感情に穂鷹を見やって、またすぐに窓の外に顔を向けた。 「厄介だね……そういう感情は」 静かに言った声にも表情にも、さっきまでの穏やかさは微塵も残っていない。 どこまでも無機質で、穂鷹はまるで出会った頃に戻ったのではないかという錯覚に陥った。 でもあの頃は今のように怖いとは思わなかった。 前 | 次 戻 |