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 緒方の父親は穏やかな人だった。

 今の緒方が父親を語るなら、そこそこ名の知れた家の次男として生まれなに不自由なく育てられたためか、どこか世間ずれした部分が隠しきれなかったがそれも含めて彼の大らかさと言える、そんな人。

 小さい頃の緒方はただただ温和な父親が大好きだった。
 そしてそんな父親が仕事をしている姿を見て、出来上がったケーキを食べるのが楽しみで。

 若くして小さいながらも自分の店を持った両親は揃って家よりも店にいる時間が長く、自然と緒方も学校からそのまま店へ帰り「ただいま」と言うようになっていた。

 休みの日も友達と遊ぶ約束がなければ店に行って、邪魔にならない位置を見つけてはそこで二人が働く姿を飽くことなく眺めて。

 手が空けば二人も緒方を構い倒し、試食だと言ってはケーキを食べさせて、それが親にとっては楽しみになっているらしかった。


 幸せだったのだと自信を持って言える。この上なく。


 父親は緒方が十歳になる前に病気を患った。

 癌だと聞かされたところで当時の緒方に理解できるはずもなく、大変な病気なのだとそれからの生活で身を持って体験させられたのだ。

 若かったせいで病気の進行が早く、見る間に弱っていった父親はしかし、最期まで穏やかさを失う事はなかった。

 店を閉め、家にいるようになった父親は今度は家でケーキを焼くようになり、変わらず緒方に食べさせて「美味しい」と返ってくると嬉しそうに笑っていた。

「そうだ馨、これからは一緒に作ろうか」

 そう言って緒方の頭に乗せた彼の手は痛々しいほどに痩せ細っていて、そのまま消え入ってしまいそうな危うさを孕んでいた。

 必死で父親にしがみつき、よろけたその体が僅か十歳の子どもを受け止めるのが精一杯なほど衰弱しているのだと嫌でも気付かされて、初めて緒方は泣いた。


 それから入退院を繰り返した父親が家にいる時は家族三人でお菓子を山ほど作った。食べきれないほど沢山。

 一見してそうと分かるほど弱っていた父親だが、一度たりとも痛い、なんて言った事もなければ顔にも出さなかた。

「馨とケーキ作ってるのが楽しいから、痛いのも飛んでっちゃうんだよ」

 うそだ、とは言えなかった。
 最期まで父親は苦を二人に見せずに逝った。

 それまでは気丈に振舞っていた母親は、彼が息を引き取った瞬間泣き崩れ、緒方を抱き締めてうわ言の様に呟いた。

「どうしよう、お父さんにもう会えないよ。もう帰ってきてくれないよ」

 緒方は死を理解出来ないほど子どもではなかったが、受け入れられるほど大人でもない。

 だが母親の取り乱した姿を目の当たりにしてしまえば、父親とはもうこのままお別れなのだと無理矢理にでも納得せざるを得なかった。

 父親が危篤状態に陥った頃に現れた、初めて見る彼の兄弟だという人達。

 父親は周囲の反対を押し切り製菓の道へ進んだときに実家から半ば勘当される形で出て行ったため、音信不通になっていたらしかった。
 こうなってしまって初めて、母親が連絡を入れたのだ。




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