きっと好きになる



 ぱた

 物が倒れる小さな音が聞こえて、俐音はぼんやりと前を向いた。
 周囲が教科書をぱらぱらと捲っていると言うのに、前に座る神奈は全く動かない。

 手からペンが滑り落ちてもそのままなのを見ると、いつもながら眠りに落ちているのだろう。

 俐音は定規を持ち彼の背中を押そうとして、やめた。

 もう数センチで届くというところで動きを止める。

『……ごめん、無かった事にして』

 あれ以来、神奈はその言葉に従うように何も追求してこない。
 俐音が行動を起こすまでもなく望んだ通りの結果が得られたのだ。

 だが安堵したのも束の間、すぐに異変に気付いた。

 俐音が話しかければ応えてくれる。けれど神奈から会話を切り出す事はない。
 よく髪をかき回してきたのに、スキンシップらしい事は一切なくなった。

 二、三歩程度の距離を置いて保っていた境界線が、もっとずっと遠くなってしまった。

 今ここで神奈にちょっかいを出したら、彼はなんて反応を返してくれるだろうか。

 以前のように寝起きの悪さに駆られて詰め寄ってくる事はないのだろうと思うと何も出来ない。





「俐音ちゃん大丈夫?」

 放課後、特別棟の窓際に椅子を引きずりながら持っていき、黄昏るように外をぼんやりと眺める俐音の顔を穂鷹は覗き込んだ。

「大丈夫って何語?」

 虚ろな俐音の瞳を見て「あぁ全然ダメだ」と穂鷹は諦めが入ったような表情になった。

「リンリンこれでも食べて元気出しなよ」

 緒方が色とりどりのマカロンを並べたお皿を俐音に差し出した。
 珍しそうに眺めてから一つ取り、色々な角度から観察する。

「ああもう、ほーちゃん邪魔!」
「うっそ、いきなりなんで!?」
「僕はリンリンと話したいの。ちょっと出てって」

 普段とは違い真面目な顔つきになっている緒方に逆らわず、無言で見上げた俐音に笑いかけながら穂鷹は立ち上がった。

「じゃあ俺、屋上いるからね」

 穂鷹が出て行ったのを見送って、緒方も一つマカロンを取る。

「僕、もうとっくに響や穂鷹に話してるもんだと思ってた。カミサマ」

 そういえば緒方先輩には言っていたんだっけ。

 ひらひらと舞い散る桜の花びらを思い浮かべる。

 多分、あの時迷いもせず緒方に打ち明けたのは、出会って日が浅かったからだ。

 頭がおかしいと思われて距離を置かれても、大した傷になることなく終わっていただろう。
 ああやっぱりなと思って離れられた。

「あの時全員に話してたら楽だったのにって今なら思いますね」
「いい方法教えてあげよっか」
「なん、ですか?」

 もし神奈達に全部話してそれで引かれてしまっても、これまで通りでいられる方法。

「キレる」
「は?」
「だって響が言えっつったんでしょ? お前のせいだ、責任取って仲良くしやがれーって」
「そんなんで……済みますかね?」

 どうだろうねぇ。

 呑気に紅茶をすすりながら緒方は一人、和やかだ。

「じゃあもし言って話が嫌な方向に流れ出したら、響の頭を鈍器のようなもので思い切り殴って記憶を飛ばしちゃえばいいよ」
「鈍器……のようなものって具体的に何ですか。ていうか飛ぶのは記憶だけじゃ済まなくなりそうなんですけど!」
「リンリン力強いもんね」

 あれ真面目な話をしてたんじゃなかったっけ。
 クスクスと笑う緒方に俐音は趣旨を見失いそうになった。

 提示された方法は実用的なものではなく、じゃあやってみますと言えるはずがない。

「そういうのも全部伝えればいいんじゃないかな」

 響のせいでいっぱい悩んだ。離れてほしくないから言えなかった。

 それを無視するほど、響は冷たい人間じゃないよ。

 現に俐音が話しかければちゃんと返事をしているようだから、突き放しているわけではない。

「僕はこのまんま黙ってる方が絶対響はへそ曲げてどうにもならなくなっちゃうと思うわけ。同じ駄目でも、全部ぶちまけて終わった方がスカッとしない?」
「……駄目とか終わるとか言わないで下さい、縁起悪い」

 ずっと手に持っていた色鮮やかなマカロンをかじる。

「だね、じゃあ仲直りしてくるといいよ」

 緒方は一枚のファイルと俐音に渡した。
 透明なクリアファイルの中に入った紙が透けて見える。

 それに目を落としてから緒方の方に顔を上げた。

「ついでにほーちゃんにも教えてあげると喜ぶよ」

 にんまりと笑う。

 それに頷いて返す俐音は何も言わずに部屋を出た。




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