▼境界線 昼ご飯を食べ終って食堂から教室に戻る途中、スピーカーから覚えのある声が聞こえてきて俐音は足を止めた。 『一年の鬼頭くんは今すぐ理事長室にいらっしゃい。そうね、五分だけ待ってあげる。それ以上掛かるようなら……』 ブチ、とそこで放送は途絶えた。 時間が掛かるようなら何だと言うのか。 あの人のことだからきっと恐ろしい罰ゲームに違いない。 全校生徒が見守る中で屋上から吊るし上げられたりしたらどうしよう。 泣いても叫んでも、きっと高笑いされる……! 自分の想像だけで泣けてきた俐音は、機敏な動きで回れ右。 猛ダッシュで理事長室へ急いだ。 膝が笑って、立っているのも辛いほど走って、到着してみれば理事長は一人優雅にお茶をすすっていた。 片手で湯飲みを握り、もう片方の手で底を押さえながら日本茶を飲んでいる。 「あ、あの何か、よう……じ、でも……?」 「とりあえず落ち着きなさいな」 ほら、と理事長は持っていた飲みかけのお茶を差し出した。 断る事もできず受け取ってしまったが、非常に飲みにくい。 しかも猫舌の俐音がモクモクと湯気の立つ熱いお茶を渡されても困る。 走ったせいで乾いた喉を潤す為に冷たい飲み物を一気に飲み干したい気分だ。 どうしようかと悩んでいると、ソファに座りなさいと目で合図され、もう足が限界なのもあり遠慮なく座らせてもらうことにした。 そっと湯飲みをテーブルに置き、部屋を見渡すと書類やら、どこの民芸品か分からない置物が所狭しと陳列されている。 「意外とこうやって二人で話をするのって初めてじゃないかしら?」 「そうですね」 何度も理事長に押し付けられた用事をこなしてきたが、会うのは今日で二度目だ。 それも仕事が山積みな理事長だから、忙しなく動き回っていて長居をするのは憚られた。 気にはなっていたものの、この学校に編入させてくれた人だというのに、半年以上もまともに礼も言えずにいた。 「すみません、春からちゃんと挨拶もしないで……」 「いいのよ、そんなこと。私の目の届く所で安全は確認させてもらってるからね。それより、響達とはうまくやれてる?」 「ひ、びき?」 俐音が聞き返すと、理事長は俐音が置いた湯飲みをまた手に取り、飲みながら器用に眉尻を上げる。 「神奈 響よ」 「いえ……名前で呼んだのがちょっと違和感あって」 「あらだって仲良しだもの」 「………あ、そーなんですか」 平然と言ってのけた理事長を数秒間まじまじと見つめてから、俐音は言葉に抑揚をつけずに返した。 前 | 次 戻 |