「上手いな」
「僕も最初にコンクールで見たとき本当に感動したよ」
「技術もそうだが……表現力だな」

不二はコンクールで見て、手塚は一度ベートーヴェンを聴いたきりだ。特に音楽に明るくなくても、それでも強烈な印象を受ける。聴衆に何かを訴え、誘う様なピアノだ。

早くてドラマチックな旋律の中に、なまえの一部が見え隠れする。
いつもは隠している感情とか思いとかそういったものを音に込めている。なまえにとっては口から出る言葉よりも今ピアノから叩き出す音の方がずっと雄弁なのかもしれない。

その場の全員がリハーサルであることを忘れて見入っていた。


「すごいな……なまえさん」
「……これを聴くと」
「?」
「いつもなまえさんを見失った気になってしまう」
「日吉も俺と同じこと思ってたんだ」

赤、青、黄、黒、白、紫……数え切れないほどの色を汚く混ざり合ってしまわないように、なまえがたくさんの音をまとめ上げると、それだけでなまえとエラと、ラフマニノフの世界が創造されていく。彼女たちと偉大な作曲家は、この数分間神にも等しい存在になるのかもしれない。

「なまえちゃん人間じゃないみたい。ピアノを弾くのは確かに人間だけど」
「あまり怖いことを言うな」
「怖いなんて言うの、柳にしては珍しいね」

足場はどんどん崩されて、最後にはなまえの世界に落ちていく。

「せやけどため息出てまう……ますます好きになってまうわ」
「白石はブレーキを踏めや」
「謙也かてため息ついてたやろ」

色彩と煌めきの世界の最奥にいる人を探して興奮だけがブレーキも踏まずに先走っている。
不安とも歓喜とも区別がつかないままに。

「……は……」

最後の音は余韻を残して霧散した。
それは『気付いた?』と耳元で囁いているようでもあって、あの突き抜けた興奮は何だったんだろうとため息を吐かせる。


その一方なまえは全てを出し切ったように小さく息を吐き出すと、そのまま情けなくズルズルと椅子をスライムの様に滑り落ちる。
幻覚かもしれないが煙みたいなものも見えた。

「みょうじ!大丈夫か」
「大丈夫……艦長……エラ……みょうじなまえはこの通り健在です……けほっ」
「す、スモークが出てる……」

エラと榊はなまえを揺さぶるものの、なまえは完全に機能停止寸前である。そもそもタランテラ自体の難易度も結構なものだ。

「まあ……これだけの演奏をしてこうなるのも無理はないか……正直、これが本番かと思うほどだったぞ」
「手すり滑り台のおかげだね」
「手すり滑り台だと?」
「タランテラは手すり滑り台の感覚。デンジャラス増量中みたいな」
「なまえの言ってることは分からないけど、ピアノの音を聴いたら何が言いたいかはわかったわ」
「さすがエラ!ありがとう!」

なまえが笑ったところで、会場が拍手と歓声で沸き立つ。いつの間にか裏方もステージに出ていて拍手している。リハーサルではなくて、ある意味本当に本番だったのかもしれない。


見ていたテニス部員たちもなまえに向かって拍手する。なまえの音楽は一見何を考えているか分からないがただ無邪気に音楽に向き合い好きでいる結果だ。

なまえは立ち上がると意外にも礼儀正しくお辞儀をした。
嬉しそうな表情は直る時に一気に曇ることとなる。


「……ななな何で!あの一角は何!?艦長!?」

なまえは慌てて振り返ると艦長……もとい榊を問い詰める。指差した先には当然一角には劇場では目立ちすぎるカラフルな一団。

「お前の演奏を聴きに来たテニス部員たちだ」
「ひいいいい手塚くんと柳生くんがいるのに寝癖だらけでジャージのままでうわあああ」

なまえは『ひいいい』とか『ぎゃあああ』とか『うへぇ』とかいう奇声を発しながらエラの後ろに隠れた。エラは申し訳なさそうにテニス部員たちを見ている。

「真面目なアイツも良いかもしれねーが、 みょうじはこうでないとな」
「アレも含めてなまえさんですからね」

寝癖ジャージで手すり滑り台をするなまえも
ラフマニノフを弾くなまえも
サティの旋律をこよなく愛するなまえも
全て知りたいと思うのは、歯止めの利かない興奮と同じということを最初に気付くのは、一体誰?



2015.12.05

ピアノを弾くお題は活字に起こすことの難しさと、何より楽しさを感じます!ラフマニノフのタランテラは私の最近のお気に入りです^^
それとお寿司屋さんの時は近くのくら寿司で妹と寿司を食べながら書きました!九州二翼とはまた別の幼なじみ関係で癒されます……!
新那様、リクエストありがとうございました!


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